【第3回】左腕坊主インタビュー(全7回)
―― そう思って協力者を独力で探し、DVDを送った。
- ヨーロッパのプロリーグを目指すために、どのようなことをしたのですか?
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最後のシーズンは個人的に調子が良かったので、良かったプレーを自分でDVD編集して、エストニアでプレーしている吉田耕平(元チームメイト)に送ったんですよね。そうしたら、日本でプレー経験のある彼のチームメイトのブルーノ(元湧永製薬)が僕の映像を見て「この選手だったらヨーロッパでもやれるんじゃないか」って、まぁ、お世辞半分かもしれないけど言ったっていうのをメールで彼が教えてくれた。
それで、「ああ本当にやれるんかなぁ」って、少しずつ思うようになって、レギュラーシーズンと並行しながら、ドイツとスウェーデンとエストニアと知り合いを辿って、そのチームの方にDVDを送ってもらったんです。
まったくの赤の他人みたいな人にもメールとスカイプで「僕はこういう思いで挑戦したいんだ」って伝えていきました。シーズンが終わって本田技研熊本には「ホンダ熊本の事は大好きだし、このチームで成長させてもらったので感謝していますが、僕はほかのチームへ移ろうと思います。」という話をさせてもらいました。
とは言ってもまだホンダの社員なので、ゴールデン・ウィークと有休をありったけ使わせてもらって、自分に興味持ってくれてたチームに、エストニアとスウェーデンとドイツに、練習参加させてもらったり、トライアウトを受けに行ったんですよ。
- 海外にDVD送られたり、実際に行かれたりするときは、言葉の壁や意識の違いがあったと思いますが、そこをどうやって乗り越えたのでしょうか?
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言葉の壁は正直、結局乗り越えられてはいないとは思うんですけど、でも最初は片言の英語だけだし。そのときは、代理人も別にいないし、こうやったら海外のプロでやれるっていう教科書もありませんし。
ただがむしゃらに動いて、自分のいいところを分かってもらうのは言葉よりも映像やと思って、直接見せるのが早いやろうと思って行ったりとか。本当に、無鉄砲やったから行けたのかなと。
- 極端な話ですが、英語がまったくしゃべれない状態でも、行けたと思いますか?
- プレーするだけなら、別に行けるとは思いますけど、結局いちばん困るのは契約やビザなんです。結果的にピルナと契約してドイツでプレーしましたが、出された契約書は、英語じゃなくてドイツ語なんですよね。だから今思えば、プロとしてやるのであれば、ちゃんと代理人を伴って行った方が絶対いいと思います。でも、日本人の誰が代理人をやってくれるのかも、どこにそういう連絡したらいいのかも、当時は分かりませんでした。
- 契約書はどうやって読んだのでしょうか?
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1回目、ドイツの2部のアウェから契約書が来ました。たしか英語表記だった気がします。金額も書いてあって、それは通訳の方に訳してもらって、「これぐらいもらえるよ」という感じで理解しました。
でも結局、出発4日前にそのチームとは契約破談になったんですよ。メインのスポンサーが下りたから来るなという感じで。職場には退職願いを出しているし、航空チケットも取ったし、お世話になった人みんなに挨拶してたのに「これからどうすんねん?」と。
でも、連絡しても向こうは夏のバカンスに入ってるので連絡取れないし。もう「自分でまた行くしかないわ」と思って片道切符もう1回買ったときに、ドイツの当時4部のピルナというチームが、「興味を持ってる」という連絡が入りました。
- 契約破談のあと、どうされたのでしょうか?
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すぐにプレーを見せに行ったんです。「日本の1部でやってたのにドイツの4部って……」って、最初行く前は思いましたが、行ったら僕より大きい選手ばっかりやし、本当にブンデスリーガ(ドイツリーグ1部)目指していくっていう意気込みも感じたし、ピルナにはチェコ人とか、セルビア人とか、ナショナル経験ある選手とかもたくさんいたんですよ。
監督に「おれはこういうハンドボールがしたいんだ」みたいなことを片言の英語で話したら、ドイツ人なんですけど、何か浪花節な感じの監督で、そのフィーリングも良くて、練習に2週間ぐらい参加したらドイツ語の契約書が出てきた。
当時僕はドイツ語しゃべれなかったので、片言の英語がしゃべれるチェコ人が助けてくれました。「これぐらいもらえるから大丈夫。サインしていい。いい契約だと思う」と言ったのを信じてサインしました。もし彼が僕に嘘ついてたら、大変なことになってますけどね(笑)。
- 入団したチームは、櫛田さんのことを何で知ったのでしょうか。
- 僕がDVDを送ったわけじゃないんですよね。女子球界の第一人者の田中美音子さんからの紹介でノルウェーで当時ハンドボールのコーチ留学をしていて、今筑波大の女子の監督をしてる山田永子さんがDVDをいろんなところに配ってくれたり、ドイツのチームを探すのを助けてくれました。僕が分からないところで、いろんな人が向こうで動いてくれていました。
- 人と人とのつながりを経て、入団につながったということでしょうか。
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そうですね。海外でプレーやコーチをしている人を日本で教えてもらって、連絡先を聞いて、そこに行ってみて、その人が自分のチームや他のチームの事情を教えてくれてアドバイスしてくれます。きちんとしたネットワークが構築されているわけではないです。
スウェーデンの場合、当時はおそらくハンドボールの日本人プレーヤーやコーチがいませんでした。でも、スポーツ雑誌『Number』に日産の卓球部を辞めて、スウェーデンに行っている石田大輔選手の記事が載ってて、サイトがあったので、そこにアクセスして、「ハンドボールしたいんや」って実名入りのメッセージを送ったら石田選手から連絡いただきました。
向こうはクラブチームなので、卓球もあれば、ハンドもあるじゃないですか。「DVD送ってくれたら、僕が住んでる周囲のハンドボールのチームに配りますよ」って言ってくれたんです。
石田選手にはとてもお世話になりました。スウェーデンで石田選手と初めて会って、「じゃあ明日ここのチーム行こうか」とか、「今度このチーム行こうか」という感じで。スウェーデンを回りきった後は、石田選手と離れてドイツに入りました。