【第6回】左腕坊主インタビュー(全7回)
もう自分だけの左膝ではないような気がするんですよ。
- リハビリ中は焦りの気持ちもあったかと思いますが、感情のコントロールはどうしていましたか?
-
2回目にドイツに行って、本当にあとちょっとでドイツで、またハンドの試合に出れるっていうときに、滞在ビザが取れなくて、契約がうまく行かなくてっていうときは、朝起きて何もしたくないような日が続いたんですね。
でも、自分だけのためだけやったら、自分でもうハンドやめるって決めて、仕事を普通に探したら楽やったと思うんですけど、日本リーグをやめてドイツへ行ってプロでやって、けがした後に僕がどうアクションを取るか、試されていると思っていました。
もう一回復帰するとか、仮にハンドをやめても仕事をしっかりしてるとか、そうやってこれから僕がどう生きて行くか、どう立ち居振る舞うかが、これから次にそういうことをしようと思う人たちにすごく影響するなっていう想いがあったから。
僕が海外行ってからも「どうやって海外行くんですか」「そっちどうですか」っていう連絡がよく来てた。なのに、僕が「もう無理や」って自暴自棄になったらいかん、何をするにしてもちゃんとしようっていうのがありましたね。良い意味で見られている、試されている、踏ん張り時なんやなって自分に言い聞かせていました。
- それは後輩のためや、ファンのためだったりでしょうか?
-
後輩やファンの人もそうですし、リストラされた人とかケガした人とかが、電話をくれたり、手紙を送ってくれたり、ブログ読んでますってメールくれたりしていて。膝もいろんな人が診てくれたし、僕が頑張ることに共感してくれたり、頑張ろうと思ってくれる人がいるんやなって思ったら、ドイツに来るまでは自分のためだけにハンドしてたんですけど、そういう人たちのためにも頑張りたいとか。何て言うのかなぁ。もう途中から、なんか自分だけの左膝じゃないような気がしてきて。
大学時代も補欠、本田時代も補欠、そんなやつが海外へ行ってケガしたけど、何や頑張ってまたハンドも復帰して、仕事もしてるでーみたいなところを、そういう人たちと共有したいなという。「ほかの人が喜んでることが僕も嬉しい」みたいに、なんかだんだんだんだんなってきて。それが、そのとき折れかけた心をだいぶ支えてくれましたね。
だから、復帰したら、そういう人と想いを共有して一緒にハンド楽しみたいなぁ、頑張りたいなぁというのを思い描いて、日々なんとかリハビリしたり、就職活動したり、チーム探したりしてましたね。
- 誰かのために頑張るというのは、どういうことでしょうか。
-
誰かのためにとか、そんな大それた気持ちがあるわけじゃないんです。あくまでも好きだし、上手くなりたいし、勝ちたいからハンドボールをしています。自分の為です。自分の為にやっているハンドボールに変わりはないんですけど、僕の想いや、プレーを通して何かを感じてくれる人がいたり、喜んでくれる人がいるなら、そんな部分も受け止めて、力に変えて頑張りたいなって気持ちではいます。
ファンの方と試合会場で会ったりしたら、「あのときからブログ見てて応援してました」とか言ってもらえたりすると、ああ、ずっと見てくれてるんやな、よし頑張ろうかなっていうのがありますね。
その人だって何かに打ち込んでいたり、何かに悩んでいたりするわけだけど、お互いに自分のフィールドで頑張ろうぜって。
そういうのがポツポツといろんなところで出てきて、ほかの競技でケガした人とかが励ましてくれたりすると、自分一人のためじゃなくて、僕がハンドすることで何かを感じてくれる人がいるんやな、頑張れるなと思いますね。
ホンマに1度落ちるところまで落ちたので、今は本当にそういう人たちに感謝の気持ちを持ってやってます。ごく自然にそういう気持ちになりました。
- リハビリが終わったのはいつですか。
-
実際にはまだ終わってないと言うか、今も競技しながら、試合も出ながら、今でもやっぱり機能障害みたいなのは残ってるんです。内側の靱帯は完全にはつながっていないし、片側にはあまり上膝が曲がらないし、逆側にはもう延々と曲がるんですね。
練習の度にテーピングを3,000円分ぐらい巻いて、その上にサポーターをしてやってるんですよ。
それでも朝起きると、やっぱり動き固くて、力入らないし、階段もちゃんと今でも降りられない。自分ではできると思っていても、やっぱり客観的に見ると、身体の動きも固いし、柔軟性がないし、足引きずっているっていう状態でした。チームトレーナーの大西太一さんの指示による動作的なリハビリって言うか、コンディショニング・トレーニングみたいなものを今もなお継続的に続けています。
- 日本のチームから声がかかったのはいつでしょうか。
なぜ櫛田選手をチームに入れようって決断をされたのかは、わかりますか。 -
声をかけてもらったと言うよりは、自分から売り込みました。前監督に連絡して、挨拶行って、「一回練習に来ないか?」って言ってもらえたのが2009年の5月とか、そんなんですかね。
これは、あくまでも僕の予測でしかないですけど、どっちかって言ったらうちはおとなしい選手、黙々とやる選手が多いんで、そういう僕のバイタリティーだとか、そういう気持ちを前面に出したりだとか、リーダーシップをとれる、そういう波及効果があるような部分を期待してもらってたのかな。
あと、海外での経験だったり。あとは、うちのチームはそんなに身体のサイズが大きくないので、身体のサイズ的なこともあると思います。
結局2009年9月に現在の北陸電力ブルーサンダーに入団して、日本リーグに復帰しました。自分で決めた2年間という復帰までのタイムリミットまで残り3週間でした。