JHL 奈良大会 I Love Ikoma
2017年10月22日の今日は2006年1月のホンダ熊本での選手時代以来に奈良県生駒市での日本リーグだった。この時は29歳やったかな?今は40歳そして今回は監督として。前回はドイツに渡る前だったので、約12年ぶりだった。
僕は小学4年生から高校3年生まで奈良県生駒市で生活していた。10歳から18歳で生駒で過ごした。今は実家も生駒から春日井に移ってしまったが、当然、心のふるさとは生駒である。I love Ikoma である。
そんな生駒での日本リーグだった。
鈴鹿に夏合宿に来てくれた天理大学のみんながモップや応援席から応援してくれた。(秋学連で何とかインカレ出場権獲得オメデトウ)
選手入場のエスコートキッズは、奈良県の小学生チームの真弓クラブだった。(このクラブは僕が24歳頃に初めて指導する機会を持たせてもらったクラブ)
そして、天理大学の学生たちと一緒にいつもの三重でのホームゲームの様に応援してくれたシューターズ。
そして会場設営&運営をしてくださっている奈良県ハンドボール協会の皆さんは、僕が一条高校でふんわり&ゆるゆるとハンドオールをやり始めた頃からお世話になっている方たち。
生駒中学の体育の授業でハンドボールと出会って、その時の体育の菅沼先生にハンドボール部を勧められたが、断って中学では野球を続けていた。一条高校へ進学して、野球と迷った挙句、ふんわり&ゆるゆるでハンドボールやり始めてから25年。まさか自分が育った町で日本リーグの監督として日本リーグの試合をさせてもらえる日がくるなんて夢にも思わなかった。
ってこれは全部帰りのバスの中で、思い浮かべていたこと。
そんなことゆっくりと思い出すこともなく、昨日のHC名古屋戦を終えて、急ピッチで今日の飛騨高山BB岐阜(以降、ブルズ)との一戦の準備を進めて、気がついたら試合前のオフィシャルMTGで、気がついたら選手入場だった。
唯一「あー生駒で試合させてもらえるんや」って思えたのは試合前に選手入場の後に、母校一条高校の後輩(おそらくハンド部の生徒)が花束を渡してくれた時にくらい。
そして、立ち上がりにバタバタっとブルズにリードを許して、速攻で1回目のタイムアウトを請求して、何とか挽回して14-8で前半を折り返して、後半も何とかリードを保ちながら試合を進めて、気がついたら試合が終わっていた。
MVI 24(14-8 10-8)16 ブルズ
8点差での勝利。これで9戦6勝3敗である。
試合を終えて、中学、高校時代の同級生や真弓クラブの教え子たちと少しだけ話すことができた。やっぱり生駒はいいね。
そういや、今日10月22日はオカンの誕生日やったね。後13分で今日が終わるけど。
昔と今が全部一気にありがたかった一日やった。
本日の登場人物の皆さん、全員ありがとうございました。