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三重バイオレットアイリスの一員になって3年経過。

[ 三重バイオレットアイリス ]

三重バイオレットアイリスの一員になって今日でちょうど3年が経った。

2014/2015シーズン、僕はまだ北陸電力ブルーサンダーでコーチ兼任選手をしていた。当時の僕はJHL全チームで現役最年長選手だった。左膝の怪我との付き合いながら、1年でも長くJHLでプレーする事に面白みを感じていたのが当時の僕だった。

2015年の年始のある日、三重バイオレットアイリスの細野GMから連絡貰った。

「櫛田、三重バイオレットアイリスの監督やらんか?」

「監督の話をお受けするかどうかは別にして、ぜひ一度お会いしましょう。」

細野GMはすぐに車を飛ばして福井に来てくれた。

「2021年の三重国体を見据えてチームの根幹から立て直してほしい。女子は2019年に熊本で世界選手権、その後に2020年に東京五輪、その後に2021年の三重国体や、櫛田”また”一緒にやらんか?とにかくワシは勝ちたいんや」

また…

2000年、当時JHL6連覇の最強チーム、ホンダの一員に導いてくれたのが細野さんだった。同じ人から選手として、指導者として声をかけてもらう。こんな事は人生にそうあるものではない。

同じJHLの舞台で、現役選手か監督か?本当に悩んだ。2014/2015シーズン終了時点でもまだ答えは出せていなかった。

2020年自国開催の東京五輪。自分が元気なときに自国開催のオリンピックは恐らく一生で一回の機会。この機会に自分の関わる競技で、大好きなハンドボールで本気のチャレンジができるのはどちらか?

現役選手として東京五輪を目指すのか?指導者として東京五輪を目指すのか?

僕が出した答えは後者だった。一生で一回の機会に本気で挑戦しよう。三重バイオレットアイリスの監督として、自分が指導した選手がチームの成長と共に、個人としても成長し日本代表チームで活躍するそういう形で自分は東京五輪に挑戦しよう。

そう考えると、今このタイミングで指導者としてのキャリアを本格的にスタートさせないと間に合わない。

2015年5月1日に三重バイオレットアイリスの監督に就任した。

それからの3年は本当にあっという間だった。

三重バイオレットアイリスの監督をやり出すと、純粋にこのクラブを少しでも良くしたい。自身の現役選手への拘りとか、東京五輪に向けてとか、そんな気持ちよりも、少しでも選手の成長につながる事に時間を使いたい。ただそれだけだった。

ホームゲームの時に選手が活き活きと大好きなハンドボールをプレーし、その姿を一人でも多くに観て貰う。そして何かを感じとって貰う。そんな光景を細野さん達(長年クラブを支えてくださった皆さん)が感慨深くビールでも飲みながら「昔は大変やったなぁ」と悦にいる。

1日でも早くそんな三重バイオレットアイリスにしたい。ただただ、それだけだった。

今もこれからも、その想いは変わらない。



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