2015年5月1日からスタートした三重バイオレットアイリスでの仕事も2022年3月31日で一区切り。三重国体に向けて7シーズンの契約期間だったが、新型コロナの影響で三重国体も中止になってしまった。全く予想もしていない結末だった。
1年目と7年目にプレーオフを逃した悔しさは今も鮮明に覚えている。2年目に初めてプレーオフを決めたこと、そこから5シーズン連続であの舞台に立てたことはいい思い出だ。しかし、あの舞台で勝てずにこの仕事を終えることは残念で仕方がない。
1年目に飛騨高山BB岐阜戦に引き分けて、プレーオフを逃した。その1週間後にホームでHC名古屋戦を控えていた。プレーオフを逃した後の1週間の準備は本当に難しかった。でもこのHC名古屋戦を落としたらこの1年目の取組み全てが水の泡になるって思っていた。ここで負けたらこのクラブが駄目になるって思って、とにかく必死だった。プレーオフを逃してもぬけの殻になってしまった選手が何名かいて、練習を途中でやめたこともあった。もう2度とこんな想いをさせないって心に誓った。
2年目、壮絶なプレーオフ争いの末、最終戦に勝利して悲願のプレーオフを決めることができた。初出場&初優勝を狙ってのプレーオフはクラウドファンディングで多くの人に支えてもらってバスで熊本まで行った。これまた懐かしい。
3年目の途中からは多くの人に支えてもらって日本代表コーチを兼任しながら三重バイオレットアイリスの仕事を続けるようになった。世界選手権、東京五輪など世界の最前線を経験させてもらった。
シーズンインまでの準備期間に殆どチームにいなくて、代表活動を終えてチームに戻ってきたら直ぐに日本リーグが控えている。何が何でもプレーオフってのだけ頭にあって対戦相手の分析して、練習メニュー考えてってズッと何かに追われている感じだった。プレーオフが終わると、直ぐに次年度の年間スケジュールを立てて、直ぐに代表活動が開始するそんな数年間だった。まあ、この仕事をしているとそんなもんだ。
最後の2年(6年目、7年目)は新型コロナの影響で東京五輪が延期になり、前述の通り最大のターゲットでもあった三重国体が中止になるなど、予想もしていない2年だった。チーム活動が出来なくなったり、練習場所がなくなったり、外で練習しすぎてみんなで真っ黒に日焼けして久しぶりに集まったり、それでも多くの方に助けてもらってハンドボールを続けることができた。
選手もスタッフも一つの勝利のために一丸となって戦った日々。勝利の喜びも、負ける悔しさもみんなで分かち合って歩んできた。シューターズの応援を背に闘うホームゲームは本当に重たくて、でも最高にエキサイティングな時間だった。本当に最高だった。
福井から僕と妻と愛犬、2人と1匹で鈴鹿に来て、長男も次男も鈴鹿で産まれて、愛犬は去年の夏に亡くなった。今度は家族4人で鈴鹿を旅立つ。この7シーズン、ただひたすらにハンドボールに没頭させてくれた家族には心の底から感謝している。最後のシーズンに長男が幼稚園の友だちを誘ってホームゲームの応援に来てくれるようになったのは良い思い出やなぁ。
この7シーズン、全身全霊でハンドボールをやってきた。本当に狂気に近いくらいハンドボールのことばかり考えて時間を費やしてきた。数えきれないくらいの失敗談が詰まった7シーズン。個性豊かな選手たちと専門性の高いスタッフたちとこのクラブでこの仕事ができて本当に最高やったなぁ。
三重バイオレットアイリスに関わる全ての皆さん、本当に本当に有難うございました。