ブログ&ニュース ( 講師 )

ユメセン @伊深小学校

[ ユメ先生講師 ]

11月14日、岐阜県美濃加茂市の伊深小学校に「夢先生」として登壇。子どもたちの元気な声に圧倒される。体育館でまずはみんなと体を動かすゲーム。笑い声が飛び交って、こっちも自然に笑顔になった。

ゲームのあと教室に移動して夢トーク。

僕はどこにでもいるゆるゆるの面倒くさがりの高校生だった。中部大学に進学後に本気でハンドボールに没頭するようになり、自分の人生が大きくシフトし出した。

ホンダでのストックランはいつも圧倒的でプレーオフではいつも応援スタンドで太鼓を叩いてた。

安定を捨ててドイツに渡って2年目に左膝を脱臼してピルナをクビになった。

貯金を切り崩しながら約2年間意地になってリハビリを続けた。

いつも周囲からは「アホか、ムリや、やめておいた方が無難だ」と言われた。

それでも何とか北陸電力BTに拾ってもらった。37歳まで現役選手を続けることができた。

自分がハンドボールをやってきて学んだこと、努力して挑戦することの面白さをできるだけわかりやすく話した。

そして夢シートの記入&発表タイム。

サッカー選手、野球選手、学校の先生…いろんな夢を口にしてくれた。小さな夢でも、まず口に出して周りと共有することが大事なんだなって改めて思った。

子どもたちが夢シートに自分の夢を書き込む際になかなか筆が進まない子もいた。将来の夢の部分は空欄。でも真剣に考えている様子が伝わってきた。その子は仲間の発表を見て最後に勇気を出して手を挙げてくれた。

自分の席で立ち上がり、「僕の将来の夢は…」と止まってしまった。

「今、好きなことや興味のあることから話してくれてもいいよ」と声をかけた。少し言葉に詰まりながらも、今得意なことや興味があることを話してくれた。

ここまででも勇気を出してよく頑張ったなぁ。この後どうしようかなぁと考えながら暫くその子の様子を見守っていた。

そうすると涙を浮かべ声を震わせながら「今は夢がないけど、自分が夢中になれる何かを見つけたいです。」とはっきり語ってくれた。

クラスメイトも涙目になりながら、その発表に真剣に耳を傾けていた。

何とも心温まる瞬間だった。

今回のアシスタントはトマちゃんこと泊さん。今回もありがとうございました。



第2回 ドイツハンドボールチャレンジツアー ~トライアウト~

[ ドイツハンドボールチャレンジツアーパートナーハンドボールスクール講師 ]

第2回ドイツハンドボールチャレンジツアーのトライアウトが無事に終了した。

【サバイバルゲーム】
今回の対象は中学生男子。まだまだ身体も心も成長の途中にある世代だが、彼らの目は本気だった。ハンドボールを通して世界に挑みたい、その想いが全身から伝わってきた。このトライアウトは、学校の部活でも、地域のクラブでもない。そこに所属している中学生が、自ら手を挙げて飛び込んでくる場所。自分で「行きたい」と思った子だけがここに立っている。だからこそ一人ひとりの覚悟が違う。主催者の牟田さんがしきりに口にしていた「これは生き残りをかけたサバイバルゲームなんだ」という言葉が、まさにその場の空気を象徴していた。普段の実績や肩書きは通用しない。ただ純粋に、ハンドボールと自分自身が篩(ふるい)にかけられる場なのだ。

【有馬選手の存在】
このチャレンジツアーからは、すでに大きな一歩を踏み出そうとしている選手がいる。第1回に参加した有馬が、ブンデスリーガの名門グンマーズバッハと契約し、現在渡航の準部を進めている。夢を夢で終わらせず、現実に変えた先輩がいる。その背中を見ているからこそ、今回集まった選手たちも「自分だって行けるかもしれない」と思えたはずだ。目の前にリアルなロールモデルが存在することの大きさを改めて実感する。

【1日目】
1日目はオリエンテーション&アイスブレイクから始まった。最初は緊張で顔もこわばっていたが、ゲームややり取りを重ねるうちに、少しずつ笑顔が見え始めた。伸びやかな雰囲気のまま、GKとシュートトレーニングへ。そこからはポストとの2on2、さらに3on3へと発展。場面はシンプルだが、だからこそ判断力や駆け引きが試される。思い切りよく飛び込んだプレーもあれば、迷いが出て止まってしまうシーンもあった。中学生の今だからこそ、失敗も含めて全部が学びになる。

【2日目】
2日目は初日の振り返りからスタート。前日練習の映像を見ながら、自分のプレーを言葉してもらい、こちらかのfeedbackを行う。頭を整理した上で2日目のボールセッション開始。身体接触の要素を入れたウォーミングアップ、そこからDFのコンタクトスキルへ。体をぶつけ、押し合い、倒されてもまた立ち上がる。最後はゲーム形式。高校生(関大北陽/仮想ドイツ人)を相手に自分たちより形態的に大きな相手にハードなコンタクトを繰り返した。


【吉田耕平】
ホンダ熊本時代の元チームメイト吉田耕平。今回はGKコーチとしてGK陣の指導にあたってくれた。事前に練習メニューや担当部分の擦り合わせ。アドリブ満載。笑顔いっぱい。20年程前に僕らはほぼ同時期に日本を飛び出した。安定を捨てて、エストニアとドイツへ行った。吉田が先にエストニアに行って、道を切り開いてくれた。そしてまた同じ時期に日本リーグに復帰した。吉田は大崎オーソル。僕は北陸電力BT。それぞれ引退して指導者としてハンドボールを続けている。その吉田と日本の未来に繋がる仕事を一緒にできて最高だった。

【結果に関わらず誰でも何処でも成長できる】
普段の自分がいる場所と違い環境で戸惑った部分もあったと思う。「非日常の中で、どれだけ日常の力を発揮できるか?」「勝負が掛かった時に普段以上の力が出るか?」悔しい思いをした選手も多いだろう。でも、それでいい。少し大袈裟かもしれないが、自らの意志で人生を賭けて勝負する。競争する。その結果、夢への挑戦権を獲得できる人もいれば、掴みきれない人もいる。自分が飛び込もうとしている世界をそう言う場所なのだ。

トライアウトの結果が如何であれ、この2日間で感じたこと、経験したことを糧にして「成長」することは誰にでもできる。地球のどこでもできる。今回参加してくれた17名の中学生のこれからを応援しています。


【主催者の牟田さん】
左からハンドボールカメラマンの山崎さん、GKコーチの吉田さん、櫛田、主催者の牟田さん、牟田さんの想いに共感した専門性の高いスタッフと一緒に仕事ができるのはとてもやりがいを感じる。

牟田さん、今回も素晴らしい機会とご縁を頂きありがとうございました。

トライアウト day1

トライアウト day2



みどりハンドボールスクールへ ~親子2世代で~

[ パートナーハンドボールスクール講師 ]

みどりハンドボールスクールに行ってきた。愛知県名古屋市で活動する小学生チーム。今回の会場は小坂小学校。

今回、事前にお願いされていた内容は「僕の体験談」と「DFの駆け引き」。

何度も事前に打ち合わせをさせて貰った。直近の試合の映像も見せて貰って子どもたち様子やレベル感も丁寧に伝えて頂き当日を迎えた。

実施した内容はトーク&ハンドボールで2時間ちょっとのプログラム。

トークは選手時代:HONDA→ドイツ→北陸電力BT、と指導者:指導者準備期間→三重バイオレットアイリス&おりひめジャパン→中部大学の体験談。

ハンドボールはウォームアップ→シュート&GK→1on1→まとめ&写真撮影。

【中部大学ファミリー】
今回、声をかけてくれたのはみどりハンドボールスクールの野村監督。中部大学のOBで、2014年のインカレ優勝メンバー。

ちょっとだけ、むかし話。(今回はむかし話多め)

インカレ優勝後の日本選手権(当時は全日本総合選手権やったかも?)で北陸電力BTと中部大学が初戦で激突。北陸電力BTの中央を守るは僕とスーさんこと須坂さん(当時北陸電力BTのルーキー:スーさんはその後、チームの中心選手として活躍、コーチ、監督を経て、現在は中部大のコーチ)。

中部大学の後輩たちは左膝が悪い僕のところを徹底的に狙って攻めてきた。懐かしい。何とかインカレチャンピオンを退けて北陸電力BTが勝利した。

そんなインカレ優勝メンバーの野村さんが今、ジュニアの現場に立っているっていうのが、なんとも感慨深い。

今回は濱野さん(中部大学ハンドボール部4年生GK)も一緒に来てくれた。彼は将来はGKコーチを目指している。今年の2月には将来を見据えてドイツにも短期留学、コーチとしての視点を持ちながら選手をしている。

というわけで、今回は「くっしー&ハマちゃん」である。

【part1 トークセッション】
まずは20分ほど、アイスブレイクも兼ねて自分の話をさせてもらった。

HONDA時代、世界最高峰の左腕と言われたストックランの衝撃。
「同じポジションに圧倒的な選手がいたら自分はどうするだろうか?」
ちなみに当時の僕はただただ圧倒された。

そこから一念発起してハンドボールの本場のドイツへ。けど、ドイツ2年目に左膝の大怪我。選手生命を一度は失いかけた。正直、あの時はどん底だった。怪我した現実を受け入れらずに、ただ時間だけが過ぎていった。

日本に帰国する直前。ドイツの最後に撃たせて貰って外した7mtが悔しくて、「ああ、俺はもう一度ハンドボールがやりたいんや。今まで何をしていたんやろう」って現実と向き合わせてくれた。嬉しい気持ちじゃなくて、「悔しい気持ち」が次へのエネルギーになった。

「みんなはこの前の試合で勝てなくて、悔しかった?」
「この悔しさをどうやって次に繋げていく?」

日本に戻って本格的にリハビリを開始。2年間って期限を決めてもう一回コートに立ちたくて、意地になってリハビリを続けた。
北陸電力でなんとか競技復帰を果たして、また少しずつ試合に出られるようになった。

こんな感じで僕の体験談を少し話して、子どもたちが「自分だったらどう感じるか?どうするか?」を想像して貰って意見交換して貰った。

【part2 ハンドボール】
ハンドボールを「楽しむ」。大切にして欲しいことの一つ。

ウォーミングアップの中に少しずつ「DFの駆け引き」の要素を入れながら進行。OFもDFも勝ち方がそれぞれ2つずつあるルール。やりながら自分たちで自然に「駆け引き」を表現してくれた。

設定されたルールや、今の条件下で「どうやったら上手くいくだろう?」って自分たちで考える。複数のタスクを同時処置。矛盾する要素に何とか対応する。子どもたちは頭も身体もフル稼働でニコニコと頑張ってくれた。

GKはハマちゃんが丁寧に観てくれた。

最後は3ヶ所のエリアを設けての「1on1」。ここで子どもたちの反応を観ながら段階的に質問して、子どもたちの考えに耳を傾ける。

「DFの目的は?OFの目的は?」
「DFはシュートを打たせないこと?んんん〜〜〜、えっとゴールさせないことかなぁ」
とかやり取りをしていく。

「そうやなぁ。DFの目的なゴールさせないことやなぁ。じゃあ、ゴールさせない為に、GKはDFにどうやって守って欲しい?」
するとGKの子が「同じシュートなら遠くからとか、外側に追い込んだシュートなら結構取れるかも」
「おお〜、ええやん、ええやん。具体的になってきたなぁ。遠くからのシュートとか、外側に追い込んだシュートになるようにするには、仲間のDFにどうやって声かけるとそれに近づく?」

こんな調子で、一歩ずつ進めていった。

今回はあえて、最初に説明をせずに、子どもたちの反応を観ながら、質問をして、子どもたちの自分たちで考えた事をベースに一歩ずつ進めて言った。途中で「こういう視点で考えてみると良いよ」「今のヤバイって感じたんじゃない?どうしたら上手くいったと思う」って話しかけたりに留めた。

そして最後に今日の感じたことを話し合って貰って、最後に今日やったことのまとめやみんなが考えた事をホワイトボードに書いて整理した。

正直言って、この頃は「ハンドボール楽しい」って感じでくれたらそれだけでOKやと思っている。楽しいと感じることは、勝手にやる。努力は夢中に勝てない。

【平子ファミリーとの再会】
さらにさらに今回、平子ファミリーとの嬉し過ぎる再会。

平子くん、三重県出身、北陸高、日本体育大を経て大同特殊鋼phoenixで活躍した技巧派・左腕として活躍。名手、平子卓人。はい、タクト。

旧制・乾さん、奈良県出身、洛北高→大阪教育大で何度も全国制覇したレジェンド級の選手。(もし日本リーグに進んでたらって正直今でも思う人は少なく無いんじゃなかろうか。)はい、いぬっち。

この二人のとの出会いは彼らが小学生時代に遡る。僕は現役選手の頃から将来、指導者になりたいと考えていたので可能な限り準備するようにしていた。僕がHONDA時代に鈴鹿ハンドボールスクール(三重県)や真弓クラブ(奈良県)に時間を見つけては顔を出していた。そこに当時、小学生の彼らがいた。当時から二人はセンス抜群だったのは言うまでも無い。

そう言うわけで、僕の中では今でも「タクト&いぬっち」なのだ。

トークセッションの部分に少し戻ると、左膝のリハビリを経て、僕が北陸電力BTでプレーしている晩年。平子少年が日本体育大を卒業して、大同特殊鋼phoenixにスーパールーキーとして入団してきた。なんと今度は選手として対戦することになったのだ。

お互いのポジション的に直接マッチアップすることはなかったけど、入団直後から的確に飄々とプレーする姿を観ていて、すげ〜なぁと関心していた。タクトがどう感じているかは分からないけど、こっちは勝手に感慨深いものがあったので、当時のことはよく覚えている。

なんと、なんと、今回みどりハンドボールスクールに何と平子夫妻の長男くんが参加してくれていた。

「将来の指導者になるための準備」として始めたあの時間が、20年以上経ってこんな形になって返ってくるなんて、最高過ぎる。親子2世代に渡って一緒にハンドボールができる奇跡。出会い、縁、ハンドボールに感謝。

みどりハンドボールスクールの皆さん素晴らしい機会を頂きありがとうございました。日曜日の夜遅くに、ご家族が見守る中で子どもたちは大好きなハンドボールができて幸せやなぁと感じました。

僕のこうした活動を長年サポートしてくださっているトランジスタの皆さん、今回も本当にありがとうございました。

実は今回、みどりハンドボールスクールと僕を繋げてくれたのはいぬっちだった。いぬっち、ありがとうね〜。



ユメセン@飯野小学校

[ ユメ先生講師 ]

2025年6月13日。愛知県豊田市立飯野小学校で、夢先生として登壇させて頂いた。今年度、初の夢先生。

対象は5年1組と2組。どちらのクラスも、最初から元気ハツラツ。目が合えばニコッと返してくれるし、リアクションも大きい。直前の打ち合わせで担任の先生から「世界へピース」「天まで届け」と言う学級目標も教えてもらった。

前半はゲームの時間
全力で動くって、やっぱり最高。夢先生のプログラムは、まずゲームから始まる。みんなで協力して、考えて、動いて、ぶつかって、笑って。全力で遊ぶ時間。

勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。何より大事なのは、「全力でやる」「協力すること」こと。子どもたちは、思い切り身体を動かしながら、自然と仲間と協力し、声をかけ合い、チャレンジしていた。


後半はトークの時間
教室に戻って、今度はトークの時間。伝えたかったのは、「本気」で挑戦することの大切さ。自分の人生を「本気」で生きているかは実は自分が一番分かっているんじゃないかと思う。

適当に過ごしていた中学生、高校生の頃の話。中部大学に進学して「本気」でハンドボールやり始めた矢先のユニフォーム係の話。ホンダ時代のストックランの衝撃。ドイツでの左膝脱臼。リハビリからの競技復帰。成功よりも失敗や挫折のほうが多かった。あと先考えず、ずっこけてばっかりやった。

うまくいく保証なんてどこにもない。でも、自分でやると決めて「本気」で挑戦することが大切やと思う。


アシスタントの泊さん
今回のアシスタントはトマちゃんこと泊志穂さん。元サッカー選手。一緒に活動するのは初めてだったけど、ゲームの時間の進行などサポートして下さった。

そして驚いたのが、おりひめJAPAN時代に一緒にハンドボールをした田邊さんと、なんと大学の同級生だった。授業の合間にトマちゃんが「くっしーさん、ベーちゃんって知ってますか?」って。懐かしくて思わず笑った。

スポーツって、こういう不思議な縁を何度もつないでくれる。

最後に
「夢」ってポンって出てくる子もいれば、うーんって唸りながら夢シートを書いている子もいた。それで良いと思う。

実際に僕は中学生、高校生の頃に「夢」なんて特に何も無かった。ハンドボール選手になりたいくてハンドボールを始めたわけではない。中学の体育の授業でハンドボールが体験できて、高校時代に何とく始めたハンドボールだった。ゆるゆるやった。当時、職業につながるとは1ミリも思って無かった。

飯野小学校のみんながこれからどんな道を歩むのか、楽しみやね。「夢」や「目標」に向けて「本気」で挑戦していると壁にぶつかったり、苦しい時が必ずくる。そんな時こそ、成長するチャンス。自分を信じて一歩ずつ進んでいって欲しい。

飯野小学校の5年1組、2組のみんなの「夢」を応援しています。



生駒にて

[ パートナーハンドボールスクール日々講師 ]

奈良県高体連男子の指導者講習会のために生駒市総合体育館へ。
この体育館、実は一条高校時代に試合をした場所なのでメチャクチャ懐かしかった。参加者は奈良県内の各チームから数名ずつエントリーしてくれた。

今回のテーマはポストを使った再現性のある基本攻撃。
複雑なフォーメーションなどは一斉やらずに、シンプルな2on2や3on3の中で再現性のある攻撃を目指した。

DFの間にポストがいる2on2、DFの外側にポストがいる2on2を分けて行なったり、ミックスで行なったり。指導者の皆さんも時に高校生に混ざり、時にデモンストレーションを見せてくれたり、積極的に参加してくださった。

今回の参加者は数年後に奈良インターハイを迎える世代。


同じ近畿圏内には京都、大阪、兵庫を中心に全国屈指の名門校がひしめいている。それでもやってくる奈良県での全国大会。
子ども達にとっては地元開催のインターハイは最初で最後。
一生に一度しかない機会。だからこそ、どんな形であれこの世代には自分たちの可能性を信じて頑張って欲しい。

今この瞬間の積み重ねが未来につながる。

僕のこうした活動を長年サポートしてくださっているトランジスタさん。今回も本当にありがとうございました。

そして今回はスポーツイベントさんがプレゼントを提供してくださった。最後にみんなで月刊ハンドボールを持ってパシャリ。



ユメセン@大紀町立七保小学校からの大宮小学校

[ ユメ先生日々講師 ]


先日、三重県度会郡大紀町でユメ先生をさせて貰ってきた。

松阪市から下って大紀町に入ったので途中「櫛田川」を渡ったのだ。47歳のおっちゃんはそれだけでフワッとテンションが上がってしまう。

さて、午前は大紀町立七保小学校、午後からは大紀町立大宮小学校。どちらの小学校も一学年、一クラス。幼稚園の時からずーと同じ仲間と過ごしてきた5年生のみんな。

活発な子も、マイペースな子も、ずっと一緒に過ごしてきた。担任の先生たちも温かくて、担任の先生の人柄がクラスの雰囲気に滲み出ていた。

打合せの合間に教頭先生が、校内を案内してくださった。給食も学内で手作りしていた。

そして… な、なんと大谷翔平選手が日本全国の子供たちにプレゼントしたグローブを見せて貰えた。

今の自分の夢をみんなの前で勇気を出して話してくれた子。「まだそう言うのが無いから」ってうつむきながら教えてくれる子。クラスメイトの発表を聴いて心を込めた拍手で応援している子。ずっと一緒に過ごしてきた仲間だからこその優しい時間やったなぁ。

アシスタントはウメちゃんこと梅田翼さん。

ウメちゃんとは東北で一緒になることが多かったけど、今回まさかの三重県で本当に久しぶりの再会やった。

いや〜〜、ウメちゃんに会うとそれだけで嬉しくなるわぁ。



「もう櫛田さんにお腹いっぱいです。からのおかわり。」

[ ~2022 三重バイオレットアイリス2022~ 中部大学パートナーハンドボールスクール講師 ]

1/11(土)は宮崎県延岡市でのハンドボール講習会。正式名称は「令和6年度チームのべおか小中高連携アスリート育成事業」とのこと。

メイン講師が僕。メイン講師より遥かに豪華なサポート講師の原さん(写真左上、元三重バイオレットアイリス)と清家さん(写真右上、元レットル佐賀)の3名で進行。

午前は小学生男女。経験者の子も、初心者の子もいる。ウォーミングアップはみんなで体を動かして、1on1を攻めたり、守ったり。最初は6mライン付近でただ立って守っているだけだったのが、高さを出したり、牽制をかけて守ったり、攻撃はまたその背後のスペースを狙いに行ったりと、攻守どちらの視点からも豊かな駆け引きが沢山あった。最後はゲーム形式。

経験者のみんなが初めてハンドボールをやる仲間たちにハンドボールの楽しさを伝えてくれていた。聞くところによると初めてのハンドボールが楽しかったみたいで、翌日もハンドボールをやりに来てくれたみたいだ。最高。

午後から高校生男女。高校生はPVを絡めた2on2がメインテーマ。国スポの宮崎成年男子チームみなさんも駆けつけてくれて、デモンストレーションや指導補助に入ってくれて本当に助かった。

2on2の後は3on3に発展。最後、女子と男子は少し違いメニューをやって終了。宮崎の指導者の皆さんと事前、講習会中と高校生の様子を見ながらメニューを微調整しながら進行させてもらった。「6on6やゲーム形式はいつでもできるから、今日は細かい部分を徹底してやりたいです。」と言う意向だったので、スモールゲーム(部分練習)中心のメニュー構成。

中盤、攻撃が上手く解決できないと言う意味で少し停滞したけど、ボール保持者の動きと、ボールの受け手のポジショニングやタイミングがシンクロし出して、最後の30分は劇的に変化していく高校生たち。あの変化は凄かった。

現地、宮崎ではこんな感じでニュースとして取り上げてもらったみたい。

宮崎ニュースUMKより「五輪を目指す選手が出てきたら嬉しい」

延岡市ハンドボール協会のInstagramより

レットル佐賀のYoutubeをよく見ているので、「あ〜あの清家選手や〜」って思いながら一緒に子供たちの前に立たせてもらっていた。清家さんにはデモンストレーション役を何度もやってもらって本当に助かった。

タクちゃんありがとうね〜。

そして何よりも今回、7シーズン一緒に仕事(ハンドボール)を一緒にした原さんに声を掛けてもらって、宮崎のみんなと一緒にハンドボールができて最高やった。事前に原さんから「フォーメーション、戦術的なことではなく、1on1やPVとの2on2を子供たち、指導者の人に知ってもらいたい。」と何度も連絡をもらった。

原さんとは三重バイオレットアイリスでも、おりひめジャパンでも年がら年中、地球のどこでも同じ場所でハンドボールしていた。「もう櫛田さんにお腹いっぱいです。」と当時よくボヤかれていたけど、こうやって「おかわり。」してもらってまた一緒にハンドボールをする機会を頂けた。ホンマに最高やった。しょもないこと、言うとまた怒られる。


延岡駅前に原さんの手形を発見。すごっっっ!!!

クル、事前準備、当日のフォローと本当にありがとうね。



第1回 ドイツハンドボールチャレンジツアー ~事前トレーニングキャンプ~

[ ドイツハンドボールチャレンジツアーパートナーハンドボールスクール日々講師 ]

新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。皆さんにとって2025年が素晴らしい一年になりますように。

さて1/4.5が仕事初め。中学生対象のトレーニングキャンプの講師をしてきた。ドイツ遠征を控えた中学生が全国各地から集結。北は東北、南は九州から集まってくれた。またトレーニングパートナーとして滋賀県からTSCハンドボールアカデミー(以下、TSC)の皆さんが参加。

1/4はハンドボール&トーク。1/5ハンドボール。合計3セッション。

2月にドイツ遠征を控えている7名の事前合宿って言うのが、そもそもの今回の位置付け。7名でできるメニューは限定的になるので、滋賀からTSCの皆さんがトレーニングパートナーとして参加してくれた。とは言え、基本的には両日ドイツ遠征組も滋賀組も同じメニューをこなしてくれた。

ハンドボールに関してはPVを絡めた攻撃を3つ提案。2on2スタート、1on1スタート、そこからの発展。戦術的で複雑なものではなく、シンプルなもの。普段違うチームで過ごすメンバーたちが自分の強みを出してドイツで勝負するための考え方を整理をした。ドイツに行くと普段より形態的に大きくて力強い相手を守り、攻めることが想定されるので、攻守ともの強いコンタクトの中で自分がやりたい攻守ができるか?この部分にも焦点を当てた。(個人的には、ここが最重要やと思う。)

ハンドボールに関しては初日、二日目と狙い絞って、自分たちのやることを整理した。あまり事前にガチガチに縛るよりも、緩やかな共通認識を持ち、余白を残しまくって子供たちの反応を見つつ牟田さんと相談しながら進めていった。

トークセッションでは、子供たちと同じ年齢の頃の自分自身の話やドイツで選手をしていた時の話をさせてもらった。

「ハンドボールって何なのか?」
「20,30歳の時にどう在りたいのか?」
「ドイツ遠征を終えた時、今の所属チームを卒団する時にどうなっていたいのか?」
「なぜ。ドイツに行くのか?」
「この経験が自分にどうプラスになるのか?」

こんなことを、ゴリゴリに真剣に考えてもらった。流石に自分の意思で手を挙げて全国から集まってきたメンバーだけあって想像以上に具体的に考えている参加者が多かった。

トークセッション後に子供たちからの質問もなかなか鋭かった。

「試合の時にどんな準備をしていたのか?」
「ドイツで(プロ)ハンドボールするって言うのはどういうことだったのか?」

子供相手だからって、ええ事言うたりふわっとしたこと答えるんやなくて、真剣にシビアでリアルに自分で考えていたことを答えさせてもらった。

「ハンドボールは仕事。自分自身が商品やと思って生きるようになった。」これに尽きる。

結果が全てだからこそ、自然にプロセスにこだわりが出るし、プロセスを大事にする。自分が情熱を持って取り組んでいることが仕事なので、僕にとってはそれが当たり前。

もしかしたら、ドン引きするんちゃうか?って思ったけど、目を逸らすことなく真剣に話を聴いてくれていた。


今回GK陣は個別指導。初日は静岡から脇坂さんが来てくれた。また両日、濱ちゃん(濱野太一、中部大学の学生ですでに指導資格を持っている。)が来てくれた。

GKは専門職。やはり専門家に個別で指導してもらうのは大切なこと。

大きな絵を描いて(中学生をドイツに連れて行くという)、1年がかりで準備を進めてきた牟田さん。その想いに共感してそれぞれの専門性を活かして協力している皆さん(特にKKハンドボールの川瀬さんはカメラをまわし、受けれをし、時に実技を見せ、獅子奮迅の活躍やったなぁ。)勇気を持って手を挙げて現在進行形で頑張っている中学生のみんな。そして我が子にその機会を作るための懸命にバックアップするご家族。みんなホンマに凄い。

こんなにも夢のあるプロジェクトに関わらせて頂けて本当にありがたい。僕にできるのは実体験を話ししたり、コーチングしたりくらいだけど、ホンマに応援している。

追記
第一回ハンドボールドイツチャレンジツアー ダイジェスト



ユメセン@宇美町立井野小学校

[ ユメ先生講師 ]

福岡県の宇美町立井野小学校でユメ先生として子どもたちに夢について話してきた。何度もユメ先生をさせてもらってきたけど、何度やっても独特の緊張感がある。子どもたちとの真剣勝負。それでもこの役割は特別。

僕が子どもたちに伝えたかったことは「本気」と「あきらめない気持ち」そういうことの大切さだ。僕自身はホンマにどこにでもいるごくごく普通の中学生、高校生やった。特に夢とか目標もなく。何となく毎日を過ごしていた。一生懸命やるとか、そういうのを避けている時期もあった。

でも自分でつまらなくしていることには自分が一番気がついていた。このままじゃあかんよなって思いながらもなかなか変えることできずにいた。大学生になったら何か一個本気で打ち込んでみよう。その対象がハンドボールだった。

中部大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって大きく人生が変わった。学生のころは、ただハンドボールが楽しいだけ、上達するのが面白いだけで、ハンドボールが生業になるなんて夢にも思っていなかった。

大学4年の時は普通に就職活動して、いくつか内定を頂いた企業のいずれかでサラリーマンをする予定だった。4年生の西日本インカレで準優勝できて優秀選手に選んでもらえて、日本リーグの何チームからかお話を頂いて、あれよあれよと話が進んで、ハンドボールの世界に身を置くことになった。

ドイツで左膝を脱臼して途方に暮れていた時に、多くの人に支えてもらった。今でこそ、失敗や挫折もまた大切な経験。とか言えるけど、当時はそんな余裕は全くなかった。ただただ絶望していた。2年間は絶対に諦めずにリハビリすると決めて、意地になってリハビリを続けた。

1年11ヶ月10日経った。北陸電力ブルーサンダーで競技復帰することができた。そこから更に6シーズンもプレーさせてもらった。毎日、この日の練習や試合が人生最後のハンドボールかもなって思いながら気が付けば6シーズン、37歳まで現役選手を続けさせてもらった。

目標に向かう途中には何度も壁にぶつかる。全く思い通りにいかないことばかりだ。それでも夢中になって目標に向かい、壁にぶつかり、自分と向き合い、乗り越えていくことで、アスリートしても一人の人間としても成長できる。

今回のアシスタントはシッキーこと式田さん。1977年生まれの同世代。元サッカー選手でもあるシッキーがアシスタントとしてサポートしてくれた。もう10年以上前だけど、僕のユメ先生デビュー戦@越前市の時のアシスタントもシッキーだった。今回もシッキーが場を盛り上げてくれたおかげで、僕も話しやすかった。シッキー有難うね〜



ユメセン@更級小学校

[ ユメ先生講師 ]

長野県千曲市へ足を運んできた。更級小学校でのユメ先生である。更級小学校では既に2学期が始まっていた。8月末のこの時期にユメ先生に行くのは初めてだった。

当日の打合せで、「自主性」「思いやり」を大切にして学級運営していると担任の先生に教えてもらった。最初は体育館でゲームの時間。アシスタントのカワムさんからのお題が難しくて、なかなかゲームをクリアできなくて悪戦苦闘の子供たち。

作戦タイムでルールを再確認して、どうやったらゲームをクリアできるか?今はどうしてクリアできないか?限られた時間の中でアイディアを出して、みんなで考えた作戦をやってみる。

作戦を立てる前よりは、クリアに近づいているけど、それでも上手くいない。ちょっとふざけてしまったり、真剣にやっているけどカワムさんのフェイントに引っかかってしまったり。

またまた作戦タイム。こん感じで挑戦して、失敗して、また挑戦しての繰り返し。最後にクリアできた時のみんなの笑顔は最高やったね。

体育館から教室に移動して、今度はユメトークの時間。

特に夢や目標もなくゆるゆると過ごしていた小学生、中学生、高校生の頃の話から始まり。雨降って部活休みになれ〜って思ったり、負けて悔しいって言うてる翌日には、ハンドボール部やのに、ボーリング行ったり、カラオケ行ったり、そんな感じのゆるゆるハンドボール。部室でスラムダンク読んで上手くなった気分になって既に日が暮れていたり。

それはそれで悪くなかったけど、なんかモヤモヤしながら過ごしていた。常に漠然と、将来への不安があった。それでも将来のことを具体的に考えることは無かったし、何ならちゃんとすることを常に避けていた。

大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって。少しずつ変わり始めた。大学で本気でハンドボールに没頭はしていたけど、日本リーグの道に進むなんて考えてもいなかった。と言うより、当時は日本リーグの存在を知らなかった。在学中の1997年に熊本県で開催された世界選手権の存在も知らなかった。

ホンダに進み、何年も連続して日本一のチームの万年補欠で、ストックランや日本代表の先輩たちに圧倒される毎日やった。ホンダ熊本に移籍して、ようやく出番を掴んだら、チームが日本リーグか徹底することになった。会社員として残る道もあったけど、一念発起して欧州へのチーム探し。

エストニア、スウェーデン、ドイツを回って、チームを探して。色々あったけど、最終的にドイツのピルナに拾ってもらった。一年目に優勝できて 4部から3部に昇格することができた。ドイツ2シーズン目の試合中に左膝を脱臼してしまった。複合靭帯損傷と診断され、お先真っ暗。約半年ボールを触ることもなく、前に進むこともなく、ただただ途方に暮れていた。カールハインツ(ピルナのファンのおっちゃん)の思いやりに触れ、何とかギリギリのところで生活していた。ピルナをクビになることが決まった。

帰国1週間前の大切な試合に当然呼ばれて、ベンチに入れてもらって、マティアス(当時の監督)に7mt打ってこいと指示をされ、ベンチから足をひきづりながら、コートイン。観客が立ち上がって拍手で後押ししてくれる中で7mtを打つことになった。「これがクシのドイツでの最後の仕事やから」ってベンチから送り出されて、半年ぶりに打ったヘロヘロシュートはあっさり相手GKに止められた。足をひきづりながらベンチに戻ると一気に悔しさが襲ってきた。「何で俺はこの半年立ち止まっていたんだろう。俺何やってたんや…」と。

ピルナを解雇されて日本に戻った。

先の見えないリハビリの日々が始まった。貯金を切り崩しながら意地になって2年間リハビリを続けて、何とか北陸電力ブルーサンダーで復帰させてもらった。

北陸電力ブルーサンダーでは左膝にテーピングをグルグルに巻きながら6シーズンもプレーさせて貰えた。当時は全然勝つことが出来なかったけど、福井での6シーズンはハンドボールでも仕事でも本当に素晴らしい経験になった。2015年、37歳まで現役選手をさせてもらった。

良い時ばかりではなく、壁にぶつかることの方が多かったけど、ゆるゆる高校生だった僕でも、大学で本気でハンドボールに没頭するようになって道が開けた。多くの人の支えや思いやりがあって37歳まで現役選手をやり切ることが出来た。

更級小学校のみんなの夢や目標が叶うと良いなって思うし、今は夢や目標が無くて何か自分が夢中になることを見つけたり、今過ごしている毎日を大切にできると良いなと思う。

ユメシート、届くの楽しみやなぁ。