ブログ&ニュース ( 講師 )

「もう櫛田さんにお腹いっぱいです。からのおかわり。」

[ ~2022 三重バイオレットアイリス2022~ 中部大学パートナーハンドボールスクール講師 ]

1/11(土)は宮崎県延岡市でのハンドボール講習会。正式名称は「令和6年度チームのべおか小中高連携アスリート育成事業」とのこと。

メイン講師が僕。メイン講師より遥かに豪華なサポート講師の原さん(写真左上、元三重バイオレットアイリス)と清家さん(写真右上、元レットル佐賀)の3名で進行。

午前は小学生男女。経験者の子も、初心者の子もいる。ウォーミングアップはみんなで体を動かして、1on1を攻めたり、守ったり。最初は6mライン付近でただ立って守っているだけだったのが、高さを出したり、牽制をかけて守ったり、攻撃はまたその背後のスペースを狙いに行ったりと、攻守どちらの視点からも豊かな駆け引きが沢山あった。最後はゲーム形式。

経験者のみんなが初めてハンドボールをやる仲間たちにハンドボールの楽しさを伝えてくれていた。聞くところによると初めてのハンドボールが楽しかったみたいで、翌日もハンドボールをやりに来てくれたみたいだ。最高。

午後から高校生男女。高校生はPVを絡めた2on2がメインテーマ。国スポの宮崎成年男子チームみなさんも駆けつけてくれて、デモンストレーションや指導補助に入ってくれて本当に助かった。

2on2の後は3on3に発展。最後、女子と男子は少し違いメニューをやって終了。宮崎の指導者の皆さんと事前、講習会中と高校生の様子を見ながらメニューを微調整しながら進行させてもらった。「6on6やゲーム形式はいつでもできるから、今日は細かい部分を徹底してやりたいです。」と言う意向だったので、スモールゲーム(部分練習)中心のメニュー構成。

中盤、攻撃が上手く解決できないと言う意味で少し停滞したけど、ボール保持者の動きと、ボールの受け手のポジショニングやタイミングがシンクロし出して、最後の30分は劇的に変化していく高校生たち。あの変化は凄かった。

現地、宮崎ではこんな感じでニュースとして取り上げてもらったみたい。

宮崎ニュースUMKより「五輪を目指す選手が出てきたら嬉しい」

延岡市ハンドボール協会のInstagramより

レットル佐賀のYoutubeをよく見ているので、「あ〜あの清家選手や〜」って思いながら一緒に子供たちの前に立たせてもらっていた。清家さんにはデモンストレーション役を何度もやってもらって本当に助かった。

タクちゃんありがとうね〜。

そして何よりも今回、7シーズン一緒に仕事(ハンドボール)を一緒にした原さんに声を掛けてもらって、宮崎のみんなと一緒にハンドボールができて最高やった。事前に原さんから「フォーメーション、戦術的なことではなく、1on1やPVとの2on2を子供たち、指導者の人に知ってもらいたい。」と何度も連絡をもらった。

原さんとは三重バイオレットアイリスでも、おりひめジャパンでも年がら年中、地球のどこでも同じ場所でハンドボールしていた。「もう櫛田さんにお腹いっぱいです。」と当時よくボヤかれていたけど、こうやって「おかわり。」してもらってまた一緒にハンドボールをする機会を頂けた。ホンマに最高やった。しょもないこと、言うとまた怒られる。


延岡駅前に原さんの手形を発見。すごっっっ!!!

クル、事前準備、当日のフォローと本当にありがとうね。



ドイツ遠征プロジェクト事前トレーニングキャンプ

[ パートナーハンドボールスクール日々講師 ]

新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。皆さんにとって2025年が素晴らしい一年になりますように。

さて1/4.5が仕事初め。中学生対象のトレーニングキャンプの講師をしてきた。ドイツ遠征を控えた中学生が全国各地から集結。北は東北、南は九州から集まってくれた。またトレーニングパートナーとして滋賀県からTSCハンドボールアカデミー(以下、TSC)の皆さんが参加。

1/4はハンドボール&トーク。1/5ハンドボール。合計3セッション。

2月にドイツ遠征を控えている7名の事前合宿って言うのが、そもそもの今回の位置付け。7名でできるメニューは限定的になるので、滋賀からTSCの皆さんがトレーニングパートナーとして参加してくれた。とは言え、基本的には両日ドイツ遠征組も滋賀組も同じメニューをこなしてくれた。

ハンドボールに関してはPVを絡めた攻撃を3つ提案。2on2スタート、1on1スタート、そこからの発展。戦術的で複雑なものではなく、シンプルなもの。普段違うチームで過ごすメンバーたちが自分の強みを出してドイツで勝負するための考え方を整理をした。ドイツに行くと普段より形態的に大きくて力強い相手を守り、攻めることが想定されるので、攻守ともの強いコンタクトの中で自分がやりたい攻守ができるか?この部分にも焦点を当てた。(個人的には、ここが最重要やと思う。)

ハンドボールに関しては初日、二日目と狙い絞って、自分たちのやることを整理した。あまり事前にガチガチに縛るよりも、緩やかな共通認識を持ち、余白を残しまくって子供たちの反応を見つつ牟田さんと相談しながら進めていった。

トークセッションでは、子供たちと同じ年齢の頃の自分自身の話やドイツで選手をしていた時の話をさせてもらった。

「ハンドボールって何なのか?」
「20,30歳の時にどう在りたいのか?」
「ドイツ遠征を終えた時、今の所属チームを卒団する時にどうなっていたいのか?」
「なぜ。ドイツに行くのか?」
「この経験が自分にどうプラスになるのか?」

こんなことを、ゴリゴリに真剣に考えてもらった。流石に自分の意思で手を挙げて全国から集まってきたメンバーだけあって想像以上に具体的に考えている参加者が多かった。

トークセッション後に子供たちからの質問もなかなか鋭かった。

「試合の時にどんな準備をしていたのか?」
「ドイツで(プロ)ハンドボールするって言うのはどういうことだったのか?」

子供相手だからって、ええ事言うたりふわっとしたこと答えるんやなくて、真剣にシビアでリアルに自分で考えていたことを答えさせてもらった。

「ハンドボールは仕事。自分自身が商品やと思って生きるようになった。」これに尽きる。

結果が全てだからこそ、自然にプロセスにこだわりが出るし、プロセスを大事にする。自分が情熱を持って取り組んでいることが仕事なので、僕にとってはそれが当たり前。

もしかしたら、ドン引きするんちゃうか?って思ったけど、目を逸らすことなく真剣に話を聴いてくれていた。


今回GK陣は個別指導。初日は静岡から脇坂さんが来てくれた。また両日、濱ちゃん(濱野太一、中部大学の学生ですでに指導資格を持っている。)が来てくれた。

GKは専門職。やはり専門家に個別で指導してもらうのは大切なこと。

大きな絵を描いて(中学生をドイツに連れて行くという)、1年がかりで準備を進めてきた牟田さん。その想いに共感してそれぞれの専門性を活かして協力している皆さん(特にKKハンドボールの川瀬さんはカメラをまわし、受けれをし、時に実技を見せ、獅子奮迅の活躍やったなぁ。)勇気を持って手を挙げて現在進行形で頑張っている中学生のみんな。そして我が子にその機会を作るための懸命にバックアップするご家族。みんなホンマに凄い。

こんなにも夢のあるプロジェクトに関わらせて頂けて本当にありがたい。僕にできるのは実体験を話ししたり、コーチングしたりくらいだけど、ホンマに応援している。



ユメセン@宇美町立井野小学校

[ ユメ先生講師 ]

福岡県の宇美町立井野小学校でユメ先生として子どもたちに夢について話してきた。何度もユメ先生をさせてもらってきたけど、何度やっても独特の緊張感がある。子どもたちとの真剣勝負。それでもこの役割は特別。

僕が子どもたちに伝えたかったことは「本気」と「あきらめない気持ち」そういうことの大切さだ。僕自身はホンマにどこにでもいるごくごく普通の中学生、高校生やった。特に夢とか目標もなく。何となく毎日を過ごしていた。一生懸命やるとか、そういうのを避けている時期もあった。

でも自分でつまらなくしていることには自分が一番気がついていた。このままじゃあかんよなって思いながらもなかなか変えることできずにいた。大学生になったら何か一個本気で打ち込んでみよう。その対象がハンドボールだった。

中部大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって大きく人生が変わった。学生のころは、ただハンドボールが楽しいだけ、上達するのが面白いだけで、ハンドボールが生業になるなんて夢にも思っていなかった。

大学4年の時は普通に就職活動して、いくつか内定を頂いた企業のいずれかでサラリーマンをする予定だった。4年生の西日本インカレで準優勝できて優秀選手に選んでもらえて、日本リーグの何チームからかお話を頂いて、あれよあれよと話が進んで、ハンドボールの世界に身を置くことになった。

ドイツで左膝を脱臼して途方に暮れていた時に、多くの人に支えてもらった。今でこそ、失敗や挫折もまた大切な経験。とか言えるけど、当時はそんな余裕は全くなかった。ただただ絶望していた。2年間は絶対に諦めずにリハビリすると決めて、意地になってリハビリを続けた。

1年11ヶ月10日経った。北陸電力ブルーサンダーで競技復帰することができた。そこから更に6シーズンもプレーさせてもらった。毎日、この日の練習や試合が人生最後のハンドボールかもなって思いながら気が付けば6シーズン、37歳まで現役選手を続けさせてもらった。

目標に向かう途中には何度も壁にぶつかる。全く思い通りにいかないことばかりだ。それでも夢中になって目標に向かい、壁にぶつかり、自分と向き合い、乗り越えていくことで、アスリートしても一人の人間としても成長できる。

今回のアシスタントはシッキーこと式田さん。1977年生まれの同世代。元サッカー選手でもあるシッキーがアシスタントとしてサポートしてくれた。もう10年以上前だけど、僕のユメ先生デビュー戦@越前市の時のアシスタントもシッキーだった。今回もシッキーが場を盛り上げてくれたおかげで、僕も話しやすかった。シッキー有難うね〜



ユメセン@更級小学校

[ ユメ先生講師 ]

長野県千曲市へ足を運んできた。更級小学校でのユメ先生である。更級小学校では既に2学期が始まっていた。8月末のこの時期にユメ先生に行くのは初めてだった。

当日の打合せで、「自主性」「思いやり」を大切にして学級運営していると担任の先生に教えてもらった。最初は体育館でゲームの時間。アシスタントのカワムさんからのお題が難しくて、なかなかゲームをクリアできなくて悪戦苦闘の子供たち。

作戦タイムでルールを再確認して、どうやったらゲームをクリアできるか?今はどうしてクリアできないか?限られた時間の中でアイディアを出して、みんなで考えた作戦をやってみる。

作戦を立てる前よりは、クリアに近づいているけど、それでも上手くいない。ちょっとふざけてしまったり、真剣にやっているけどカワムさんのフェイントに引っかかってしまったり。

またまた作戦タイム。こん感じで挑戦して、失敗して、また挑戦しての繰り返し。最後にクリアできた時のみんなの笑顔は最高やったね。

体育館から教室に移動して、今度はユメトークの時間。

特に夢や目標もなくゆるゆると過ごしていた小学生、中学生、高校生の頃の話から始まり。雨降って部活休みになれ〜って思ったり、負けて悔しいって言うてる翌日には、ハンドボール部やのに、ボーリング行ったり、カラオケ行ったり、そんな感じのゆるゆるハンドボール。部室でスラムダンク読んで上手くなった気分になって既に日が暮れていたり。

それはそれで悪くなかったけど、なんかモヤモヤしながら過ごしていた。常に漠然と、将来への不安があった。それでも将来のことを具体的に考えることは無かったし、何ならちゃんとすることを常に避けていた。

大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって。少しずつ変わり始めた。大学で本気でハンドボールに没頭はしていたけど、日本リーグの道に進むなんて考えてもいなかった。と言うより、当時は日本リーグの存在を知らなかった。在学中の1997年に熊本県で開催された世界選手権の存在も知らなかった。

ホンダに進み、何年も連続して日本一のチームの万年補欠で、ストックランや日本代表の先輩たちに圧倒される毎日やった。ホンダ熊本に移籍して、ようやく出番を掴んだら、チームが日本リーグか徹底することになった。会社員として残る道もあったけど、一念発起して欧州へのチーム探し。

エストニア、スウェーデン、ドイツを回って、チームを探して。色々あったけど、最終的にドイツのピルナに拾ってもらった。一年目に優勝できて 4部から3部に昇格することができた。ドイツ2シーズン目の試合中に左膝を脱臼してしまった。複合靭帯損傷と診断され、お先真っ暗。約半年ボールを触ることもなく、前に進むこともなく、ただただ途方に暮れていた。カールハインツ(ピルナのファンのおっちゃん)の思いやりに触れ、何とかギリギリのところで生活していた。ピルナをクビになることが決まった。

帰国1週間前の大切な試合に当然呼ばれて、ベンチに入れてもらって、マティアス(当時の監督)に7mt打ってこいと指示をされ、ベンチから足をひきづりながら、コートイン。観客が立ち上がって拍手で後押ししてくれる中で7mtを打つことになった。「これがクシのドイツでの最後の仕事やから」ってベンチから送り出されて、半年ぶりに打ったヘロヘロシュートはあっさり相手GKに止められた。足をひきづりながらベンチに戻ると一気に悔しさが襲ってきた。「何で俺はこの半年立ち止まっていたんだろう。俺何やってたんや…」と。

ピルナを解雇されて日本に戻った。

先の見えないリハビリの日々が始まった。貯金を切り崩しながら意地になって2年間リハビリを続けて、何とか北陸電力ブルーサンダーで復帰させてもらった。

北陸電力ブルーサンダーでは左膝にテーピングをグルグルに巻きながら6シーズンもプレーさせて貰えた。当時は全然勝つことが出来なかったけど、福井での6シーズンはハンドボールでも仕事でも本当に素晴らしい経験になった。2015年、37歳まで現役選手をさせてもらった。

良い時ばかりではなく、壁にぶつかることの方が多かったけど、ゆるゆる高校生だった僕でも、大学で本気でハンドボールに没頭するようになって道が開けた。多くの人の支えや思いやりがあって37歳まで現役選手をやり切ることが出来た。

更級小学校のみんなの夢や目標が叶うと良いなって思うし、今は夢や目標が無くて何か自分が夢中になることを見つけたり、今過ごしている毎日を大切にできると良いなと思う。

ユメシート、届くの楽しみやなぁ。



愛知県中学生ハンドボール研修会

[ ハンドボールスクール講師 ]

3/23・24と愛知県内の中学生男子対象のハンドボール研修会の講師として緑SCと天白SCへ足を運んできた。

全国でも有数のハンドボール所の愛知県。事前情報では中学生でも技術的なレベルは非常に高いとの事だったので非常に楽しみにしていた。

実際に「中学生でもこんなことできるんや」とか、「このメニューの一発目でそこに気がつくんや」とか嬉しい驚きの連続やった。

3/23 @緑SC
AM
アイスブレイク → Wup
name Pass
GK → Shoot
2on2×2 (withPV / parallel)
サイドラインゲーム

PM
Wup → Pass Game
GK → Shoot
4on4(+2 Free man / 6on4 2色)
4on4(ハイポジション)
サイドラインゲーム

3/24 @天白SC
AM
アイスブレイク → Wup
3on3 / 4on4 no ball → 1Free man
Pass Game
GK → Shoot
2on2×2 (parallel / 横連動 / +1PV)
サイドラインゲーム

PM
fan Game
クイックラン(4人組で方向変換走)
Name Pass
GK → Shoot
3on3×2(normal / 両手パス / 1Free man)
4on4(ハイポジション / +1on1)
サイドラインゲーム

研修会に参加して下さっていた指導者の方からもメニューが変わる度あるいは昼食の時に、鋭い質問がズバズバと飛んでくる。

「三重バイオレットアイリスや代表スタッフの時は女性で、今は男性(大学生)ですけど、指導する上で違いはありますか?」
「この世代だと、どうしても攻撃の偏っての練習メニューになりがちなんですけど、どんな工夫してますか?」
「さっきのメニューと、今のこのメニューはこう言う繋がりがありますか?」
「次の発展としては、こう言うのもアリですか?」
「この制約の意図はこういうことですか?」

櫛田心の声 (んんんん???制約って言葉が出たってことは、この指導者の方は制約主導アプローチとかエコロジカルアプローチに精通しているんかな?)

余談だけど不勉強で僕は制約主導アプローチとか、エコロジカルアプローチとか、って言葉は1年前まで知らなかった。今自分がやっているようなメニューをもう10年以上やってきた。去年だったか、どこかの講習会に見学にきた指導者の方から「櫛田さんの指導はエコロジカルアプローチっぽいですね。」って言われて、「なんじゃそれ?」ってなってそのタイトルの本を読んだ。

普段考えている練習メニューの全てがそうってわけではない。噛み砕いて、順序立ててストーリー性のある展開にする時もある。新しいことを導入する時は尚更。それでもなるほど今まで自分がやってきたのはこう言う事やったかと腑に落ちる部分がかなりあった。

みたいな感じで、僕にとっても自分の頭の中を整理するいい機会になった。

それにしてもハンドボール王国・愛知恐るべしである。



「Sport in Life」のまちづくりを目指して~春日井市制80周年記念事業~

[ 2022~ 中部大学日々講師 ]


2/17は朝宮公園に足を運んできた。春日井市制80周年記念事業の一貫として、「Sport in Life」のまちづくりを目指してと言うスポーツイベントに講師として参加させて頂いた。

春日井市のスポーツ少年団で活動している小学生が対象。80名を超える大人数が参加してくれた。野球、サッカーなどを中心に元気いっぱいの小学生を3グループに分けて、野球、サッカー、ハンドボールを40分ずつ体験してもらうって感じだった。当然、僕はハンドボールを担当。

僕以外の講師陣が豪華過ぎた。野球は鹿島忠さん。サッカーからは森山泰行さん石原孝向さん。中日ドラゴンズ、名古屋グランパス、INAC神戸…マジか。

ハンドボールからは、くっしー行ってきたよ。太陽拳全開で行ってきたよ。


今回はこんな感じ屋外でのハンドボール体験。人工芝。野球やっている子たちは投げるのが上手。サッカーやっている子たちは空間認知に優れていた。

最初にデモンストレーションで大人たちがハンドボールの試合を2分くらいやって最終イメージを掴んでもらう。覚えてもらうルールは二つだけ。

ルール1:シュートは6m外からは打てる。
ルール2:3歩ドリブル3歩は自由に動くことができる。

たったこれだけ。

ボール遊びをしながらW-up。
段階的に2つのルールに触れながらパス、そしてシュート。
そしてその後はゲーム。そうすぐにゲーム。両チームに大人が混ざってやけどね。

みんなハンドボール初めて30分後にはゲームしてたけど、シュート決めちゃうのよね。子供ってすげーわ。

今回はやる前は結構アウェー感あったんやけど、ハンドボール未経験の子たちにハンドボールをやってもらう機会を作ることができてほんまに良かった。

そして今回のSpecial Thanks‼︎‼︎

以前、長男がサッカーシューズを購入したスポーツデポさん協賛のスポーツイベントやった。なんか、こういうの嬉しいよね。

そしてそして、春日井ハンドボールスクールのスタッフやOBの皆さんがサポートに駆けつけてくれた。僕の進行に合わせて、子供たちの輪の中に入って一緒にハンドボールしてくれた。

本当に本当にありがとうございました。



小田中コーチと八王子ユナイトHC、仕事納め

[ パートナーハンドボールスクール講師 ]

12/28は八王子ユナイトHCのみんなと一緒にハンドボールしてきた。

八王子ユナイトHCの愛知遠征の最終日に中部大学まで来てくれた。小田中コーチから1ヶ月ほど前に連絡を貰って日程調整に入った。事前に試合映像を送って貰った。今のテーマや12/26.27の様子、心身の疲労度など聴かせて貰って当日を迎えた。

小学6年生~中学2年生までの男女合計17名。みんな元気いっぱい。小田中コーチからのオーダーはOFの出発点になる1on1と2on2。フィジカル。そしてハードワーク。

【メニュー】
・アイスブレイク(小田中コーチから今回の経緯や僕との出会いを紹介)
・ムーブメント・プリパレーション
・フリーWup (心拍数150目安)
・Fanゲーム(コーディネーション、身体接触、駆け引き)
・GK Tr
・2on2 with PV (inside / outside / Free)
・4on4 with PV (3種類の2on2)
・3on3+1
・4on6(3+3)
・トークセッション

2on2と4on4あたりまでは、ストーリーを持たせつつ子供たちの反応を見つながら、少しずつ難易度を上げていった。

最後の3on3+1と4on6(3+3)は条件、ルールだけ伝えて、攻守ともに自分たちで解決策を導き出していった。驚きの理解力、対応力、発想力。

こんな感じで、こちらの想像を超える表現をしてくれて、小田中コーチと共にびっくり仰天。

もちろんシュートスピードがあるとか、フェイントが切れるとか、そういう能力は大切だ。それと同じくらい目の前にある条件下で最適解を出そうとしたり、少人数で協力したりって部分も大切やと思う。ゲーム。プレー。駆け引きってこう言うことって感じやった。これは攻守ともにね。そう言う部分が素晴らしかった。

閃きとか、無意識下で何となく出来た。みたいなのって大事にしたい。もちろんチャレンジしたらミスはつきもの。全然OK。


ハピネス・スポーツクラブKOTA牟田さんも遠方から見学に来て下さった。牟田さんも小田中さんも2023年の嬉しい出会い、嬉しい再会。子供たちやスポーツ、ハンドボール事を本気で考えて、尚且つスポーツで生計を立てていく事を実践している二人。

最高にハッピーな2023年の仕事納めやった。



ハピネス・スポーツクラブKOTAへ

[ パートナーハンドボールスクール日々講師 ]


先日、ハピネス・スポーツクラブKOTAさんの「ハンドボール夏フェスタ」に参加させて貰ってきた。

「ハンドボール夏フェスタ」
第1部、クラブ内交流戦&親子ハンドボール。
第2部、櫛田亮介クリニック。

第1部はクラブ内交流戦&親子ハンドボール。ハンドボールのコートに横のキッズスペースも設けてあってバスケットボールや輪投げなんかも楽しめるように工夫されていた。僕はパートは第2部やったけど、少し早めに会場に到着して、第1部の雰囲気を感じさせて貰ったけど、親子で参加できたり、ゲームの待ち時間も楽しめるように工夫されていた。

さて第2部は僕のパートは大体こんな流れ。ちなみに参加者は年長さんから小学6年生まで25名前後(当日、飛び入り参加もいたのかな)。

1.傷害予防を兼ねた動き作り&ボールを使ったスモールゲーム
2.トークセッション

1.傷害予防を兼ねた動き動き作り&ボールを使ったスモールゲーム

少し専門的な表現をするとmovement preparationになるのかな。但し、難しい表現はなしで、ネコみたいに動いてみようとかそんな感じ。

準備運動の後は、前後左右に移動してストップ。これも段階的に決まった動作&決まった場所でストップ→いつ止まるか分からない状況でストップ(少しだけ判断)→更にドリブルをしながら、いつ止まるか分からない状況下でストップ。

最後は4,5人で1組になってのボールを使ったスモールゲーム。みんなで身体を動かすのはここまで。

クローズドスキルから徐々にオープンスキル&マルチタスクへ。


2.トークセッション

僕の幼少期から現役選手を終える頃までエピソードを親子で聞いて貰った。

「小学生→中学生→高校生→大学生→日本リーグ→ドイツ→日本リーグ」って言う流れで話を展開。

ゆるゆるな高校時代、本気でハンドボールをやりだした大学時代(最初はユニフォーム係)、挫折の連続だったホンダ時代(ストックランやばかった)、大怪我したドイツ時代(左ひざを脱臼した時はマジで終わったと思った)、2年間のリハビリの末に復帰できた北陸電力時代(あと3週間遅かったら引退してたな)って感じで話をさせて貰った。

こうやって見るとほぼほぼ失敗談やな。

今回のイベントを企画&運営&進行していたのはハピネス・スポーツクラブKOTA代表の牟田歩さん。

牟田さんとお会いするのはまだ2回目。日本では数少ないハンドボールで飯を食っている人の一人。

子供たちの為に少しでも良いものしたいってことで、事前に何度もZoomでのミーティングを行った。

牟田さんの理念に共感してクラブに参加している親御さんや子供たち。親子が自然な形で一緒に参加できるような仕組み作りや雰囲気作りが最高やったなぁ。



大人のハンドボール教室へ

[ ハンドボールスクール日々講師 ]

5月21日に東海学生春季リーグ終了して、翌日5月22日完全オフ。そしてなんと5月23日はトヨタ車体(日本リーグのトップチーム)とのテストマッチ。嬉々とした表情でトップ選手に挑む学生たち。何度、跳ね返されても立ち向かっていってたな。更に鍛え上げて本当の意味で勝負できるようになっていこう。日本の中での現在地を知る事ができた。

そこからチームは1週間のオフ、この期間に福井永平寺ブルーサンダーのコーチに足を運んできたわけだ。実はこのタイミングでアッサーノ朝野選手と対談させてもらってきた。朝野選手は今年度からトランジスタアンバサダーに就任。今回は共にトランジスタファミリーってことで、朝野選手とお互いに3つずつ質問して、答えてって感じの対談。



【対談動画 朝野選手×櫛田コーチ】

5月30日に活動再開、先ずは頭の整理。春季リーグ戦の総括と西日本インカレに向けてのスケジュールやテーマの共有が目的である。次はどこに向かって頑張っていくのか?チームが向かう方向と自分が向かう方向を揃える。スタッフと選手が同じページを開いて進んでいけるように。

6月2日は春季リーグ戦でアベック優勝を果たした野球部とハンドボール部で春日井市長&春日井商工会議所を表敬訪問。中部大学は「スポーツ宣言」をしている。学内や春日井市に少しでも明るいニュースを届けることができてよかった。

翌6月3日、野球部は全国大会へ。ハンドボール部全員で見送ってきた。

ここで、ようやく本題。6月3日は午後から「大人のハンドボール教室in東海」の講師役ってことで、稲沢に足を運んできた。

ハンドボール未経験の方、JHL観戦をきっかけに少しハンドボールを始めた方、雨で交通機関が乱れた中車で関東から参加してくださった方、学生時代にハンドボールをやっていた方、お子さんを連れて家族で参加してくださった方、多種多様な皆さんが笑顔でハンドボールを楽しんでくれた。

ボールに慣れてもらって、簡単なルールを2つ(9mの外からシュートOK &3歩→ドリブル→3歩は自由に動ける)だけを伝えて、動きながらルールを覚えてもらって、シュートやフェイントは自分のレベルに合わせてやってもらって、あとは5分ゲームを5本。

経験者の方がそれとなく、未経験者の方を気遣ってくださったこともあり終始和やかな雰囲気で進んでいった。ここ数年はハンドボールを競技スポーツとして関わる機会が殆どだった。今でも中部大学ハンドボール部の指導を行なっている時は競技スポーツの側面が多いが、授業でもそやけど少しずつハンドボールの生涯スポーツ的な側面を感じる機会が増えてきた。これはこれで新しい気づきがあって面白い。

高校時代、大学時代の仲間との再会。JHL観戦仲間との再会。ジャンプシュートを打つ楽しさ。体を動かすことの清々しさ。失敗したり、息が上がったりする機会。はじめましてのちょっとした緊張感。色々あったなぁと。

「大人のハンドボール教室in東海」最高やったな。



傷害予防と身体能力向上

[ パートナーハンドボールスクール日々講師 ]

インカレを終えてから年末にかけて何度か講演やクリニックの機会を頂いた。こうした活動を日本シグマックス様(ザムスト)、ファーストフロンティア様(トランジスタ)が何年もサポートして下さっている。

少しずつだが、子供たち、指導者の皆さんと顔を合わせながらのこう言う機会が戻ってきたのは嬉しい限りだ。

今回は講演やクリニック、普段のコーチングの中で気づきや裏話をブログに纏めてみる。ハンドボールの技術や戦術的な話が中心ではなく、アスリートの傷害予防や身体能力向上って観点からの内容になると思う。

先日、愛知県アスレティックトレーナー連絡協議会@中京大学に参加し、僕は特別講演②を担当させて頂いた。(アスレティックトレーナー、以下AT)

参加者は既にスポーツ現場に立つATさん、ATを志す学生さんなど90名ほど。勿論、関わる競技はハンドボール以外の方が殆どである。

1時間の持ち時間の中で、下記の流れで話を進めていった。

・自己紹介
・選手時代のエピソード
・指導者時代のエピソード
・振り返り&まとめ

<選手時代のエピソード>
2007年にドイツでの試合中に左膝を脱臼。複合靭帯損傷(前十字靭帯、後十字靭帯、内側側副靱帯、半月板などを損傷)という診断結果を受け、ドイツで2度の手術。競技復帰は絶望的というドクターから見立てもありドイツのチームをクビになり帰国。日本での2年間リハビリを経て、北陸電力BTで競技復帰。リハビリ期間は経済的にも困窮、ペットボトルを買うのも躊躇う日々。自力での歩行も困難な時からリハビリでお世話になったトレーナーとのリハビリ奮闘記。

<指導者時代のエピソード>
自国開催での世界選手権直前に前十字靭帯損傷を負った選手とのリハビリ、競技復帰までの話。雇用先、JISS、代表スタッフ、所属チームのメディカルスタッフなど各方面からの理解や協力を得ながらの手術やリハビリ。新型コロナもあって延期になった東京五輪での活躍。本人の競技復帰にかける強い意志、人柄や裏話などを交えた復活記録。

上記の話の後には参加者同士のグループディスカッションを実施、最後にまとめと質疑応答をさせてもらった。

ある程度、予想はしていたが「指導の際に男性と女性で気をつけている点や違いはあるか?」って言う質問を頂いた。

「ハンドボールの技術や戦術的には大きな差は感じていません。寧ろ男女ともに同じ大きさのコートでプレーするのでスペース自体は女性の方があるように感じています。月経、出産や傷害予防(特に女性アスリートのACL損傷とその予防)に関しては注意していましたし、大切にしていました。。それでもACL損傷をゼロにできたはMVIでの最後の1年だけでした。」と僕からの回答。

「アスリートが主体的に成長していく為にという前提で、ATさんが自分の専門領域や自身の能力を最大化して仕事をするための環境や、仕事がし易いコーチングスタッフとの関係性ってありますか?」とATの方に僕からも質問させて貰った。

「お互いにプロフェッショナルとして専門領域に責任を持ちつつ、その枠を少し超えてお互いに意見や情報を交換できる関係性ですかね。」と言うATさんから回答。

完全に同意である。

アスリートを中心に、アスリートに関わる全ての人がそれぞれの専門領域を活かし、協力しあってサポートしていけるといいなと思う。実際にスポーツの現場ではそういう環境はまだまだ少なくて、現時点では理想論に近いかもしれないが、現実を見つつ理想は追いかけたい。

改めてだが、非常に学びの多い機会だった。

10月、11月、12月と静岡県に足を運ぶ機会が何度かあった。

静岡県で高校生を指導しているストレングス&コンディショニングコーチの方とのじっくりと意見交換する機会があり非常に学びが多かった。(以下、S&Cコーチ)

因みにS&Cコーチとは、アスリートを対象に、ケガの予防と競技に必要な身体能力の向上を目的とした筋力トレーニング、その他のトレーニングを指導する専門家のことを言う。

コンディショニングと言うと、体調を整える、軽く動く、マッサージ、治療、テーピングみたいなイメージを持つ人が多いかもしれない。しかし、ここで言うコンディショニングとは走るスピード、方向転換能力、敏捷性、ジャンプ力、心肺機能、エネルギー代謝能力を向上させる為の各種トレーニングの事を指す。

JHLだとトヨタ車体がS&Cコーチを配置していて個人的には大注目している。

実は高校生チームにS&Cコーチがついていることに衝撃を受けた。それと同時に嬉しくもなった。他競技では当たり前になりつつあるのかもしれないが、少なくともハンドボールの高校生チームについているS&Cコーチとお話する機会は僕にとっては初めてだった。

自分自身が2007年に左膝を脱臼して、2年間のリハビリを経て競技に戻った。その後、まともに試合出場するのにもう2年かかった。合計4年間はまともにハンドボールが出来なかった。練習でも試合でも左膝をテーピングでぐるぐる巻きにしてプレーしていた。怪我をして成長できた部分もあったが、プレーをする面では怪我をしてマイナスことが多かった。

左膝を怪我してから自分の身体と向き合うようになり、リハビリを通して傷害予防や身体能力向上に自然と興味を持つようになった。今でも自分自身の身体でずっと実験している。

そんな自分自身の怪我の経験もあって、指導者になってからコンディショニングの部分には注意しながら自チームの指導をするようになった。クリニックの際にも、ハンドボールの技術的、戦術的な部分は勿論だが、可能な限りコンディショニングの部分にもメニューに盛り込んで指導するようにしている。

前出の日本シグマックス様、ファーストフロンティア様はこうした僕の想いも含めて、子供たちの為に何年もサポートして下さっている。

現在進行形で指導をしている中部大学の学生たちの中には将来的に指導者を視野に入れている学生もいる。ハンドボールの技術的、戦術的な部分へのアプローチは勿論、ストレングス、コンディショニングへのアプローチをするようにしている。目的、チェックポイントなど、少しずつ理解を深めてもらっている。

傷害予防をして、身体能力を向上させて、今より凄いプレーをするのだ。

自分で興味を持って実践できて、チェックポイントを理解し説明できて、専門家の人とそれなりに対話ができる。そんなアスリートが増えていくと良いなと思う。

まだまだ僕も学び続けたい。