ブログ&ニュース ( ユメ先生 )

ユメセン@長浜市立北中学校

[ ユメ先生 ]


2/16は滋賀県長浜市での夢先生。今回は長浜市立北中学校へ。久しぶりに中学生対象のユメセン。

僕はこの頃って人前で発言したり、自分の考えを伝えたり、本気っぽい感じを出すことに何か抵抗感があった。何でかわからんけど、あった。何なら、一生懸命な感じに嫌悪感すらあった。中学生、高校生の時なんて、僕は何でもテキトーで、バレなければええやろう。怒られなければええやろう。くらいに考えていた。

自分の人生やのに、他人事のようにしていた。将来について考えるってことを避けていた。その日さえ楽しければ良かったんやと思う。とか言いながら「これではアカンのやろうな」とは、自分が薄々気づいていた。

高校3年生の終盤になって「大学生になったら、何か本気でやってみよっかな。」って思うようになった。(その時も頑張れよ。櫛田くん。)それがたまたま「ハンドボール」だった。大本命って訳でも無かったけど、中部大学に一般受験で受かって「ハンドボール部」の門を叩いた。人生の大転換である。

色々あったけど、現在に至る。(はしょりすぎか?)

長浜市立北中学校のホームページに詳しく載せてもらっているやないの〜。

今、ハッキリと夢や目標がある人は、全身全霊でそこに向かって欲しい。

いやいや、そんな夢とか目標なんてないよって人は、自分が心から好きやって夢中になれるものが見つかりますように。

そう簡単に夢中になれるものなんて見つかるかいって人は、今の自分や、周りの人、毎日を丁寧にそして大切にして過ごせるといいなぁ。

僕は「ハンドボール」を「本気」でやるようになって人生が変わった。
それまでは、自分の人生を他人事のように生きていた。

「ハンドボールは人生の全てではない。しかしハンドボールは人生の一部である。一部であるハンドボールだからこそ、本気でやるのだ。」

今はこんな感じ。



夢の教室@浄水小学校

[ ユメ先生 ]

1ヶ月ほど前の話ではあるが、10/25は「夢の教室」に夢先生として登壇させて頂いた。今回は愛知県豊田市の浄水小学校へ足を運んできた。

ゲーム時間もトークの時間も子供たちは元気いっぱい。

みんなと歩調を合わせて協力しようとする子。
盛り上げようとして少しふざけてしまう子。
自分の得意な事でガンガン突き進む子。
将来2つやりたい事がはっきりある子。
あと一歩が踏み出せない子。

本当に十人十色。

僕は小学5年生の時にはっきりとした夢や目標なんて何も無かった。まさかハンドボールが職業になる。ハンドボールで生活していくなんて1ミリも頭に無かった。高校生になってからは何処で他人事のように毎日を過ごしていた。適当にそこそそやっていれば良いって思ってなんでもやり過ごしていた。

これではいかんのやろうなって薄々自分では気づいていたけど、見て見ぬ振りをして毎日を過ごしていたような気がする。将来についてをちゃんと考えたこともなかった。

「大学生になったら何か一つ本気で頑張ってみよう。」って思ったのが、たまたまハンドボールだった。大学から先でもハンドボールを続けることなんて考えてもいなかった。なんなら大学在学中に開催された世界選手権@熊本の存在すら当時は知らなかった。建築学科で勉強し単位は着実にとりつつ、ハンドボールに熱中する日々。しかし大学卒業後に自分が社会に出て、どうなっていくのか?具体的なイメージはなかった。

ぼんやりした状態で就職活動を始めて、スタートで大きくつまづいた。「これじゃいかん。社会に出るって甘くないと痛感した。」とほんまに思った。そこから就職活動も本腰入れてやりだして、いくつか内定を頂いた。

西日本インカレが終わって日本リーグの数チームから話を貰った。最終的にホンダにお世話になることを決めた。ホンダに決めた時は当時日本一だとか、ストックランがいるとか全然知らなかった。(アホやな。俺。)

ハンドボールの道に進みだしたのそこからである。そこからは失敗、挫折の連続で色んな人に助けて貰って現在に至る。人生どうなるかわからない。

僕のトークの時間を終えると、今度は夢シートへの記入時間。

子供たちが夢シートに将来の夢や今好きなこと、そのために今頑張ること、なんかを書き込む時間。

じっくり考えて書き込む子。
好きなことや夢を躊躇なくグイグイと書き込む子。
まだはっきりと夢や目標がなく頭を捻っている様子の子。

一度書き込んだ将来の夢を消しゴムで消している子がいた。

「どうしたの?」って声をかけた。
「ムリかなぁ。叶わないかなぁって思って消しちゃった。」って涙目になって細い声で教えてくれた。

ジッと目を観て、肩に手を置いて(心の中で大丈夫だガンバレ)って頷くことしか出来なかった。教室を後にする時もずっと僕の方を観ていた。目が合っていた。

インカレを終えて、函館から春日井に戻るとこの時の夢シートが送られてきた。姿勢を正して返事を書こうと思う。



ユメセン 坂本小学校へ

[ ユメ先生 ]


先週、6月16日(金)は久しぶりのユメセン。いつ以来かも定かでは無いくらい久しぶりぶり。

MVI &JPNとダブルワーク、2019年の熊本世界選手権を終えてコロナになって、全くユメセン出来なくなっていた。

本当に久しぶりのユメセンだった。今回は岐阜県中津川市の坂本小学校へ。

最初はゲームの時間。みんなで体育館で体を動かして、ルールを確認して、作戦を考えて、協力して、失敗して、また作戦考えて、挑戦しての繰り返し。


ゲームの時間の後は、教室に移動して、夢や目標について考える時間。

特にやりたい事もなくて、ユラユラ、フラフラしていた中学、高校の頃。何となく始めたハンドボール。別にハンドボール選手になりたくて始めたわけでも無いし、ハンドボールで食っていくつもりも全くなかった。夢中になったり、熱くなったりするより、何でもテキトーでええやんくらいに思っていた。自分の人生やのに、他人事のようにテキトーやった。何となくこのままじゃあかんなと感じていた。けど、どうしていいのか分からんって感じやった。

中部大学に入学して、本気でハンドボールに打ち込み出してから、人生が大きくシフトしていった。本気になると、壁にぶつかる。それこそ何度も。良い時ばかりじゃないどころか、良い時なんて殆どない。それでも、本気でハンドボールすることが楽しかった。

大学を卒業して当時、6年連続の日本一だったホンダに加入した。殆ど試合に出ることもなく、プレーオフの時には応援スタンドで太鼓を叩いていた。日本一になって「嬉しいけど、悔しい」みたいな感じが続いた。この時点で何度も引退を考えた。ストックラン(フランス代表のスーパースター)はヤバすぎた。

ホンダ熊本を経由して、一念発起して2006年にドイツに渡った。1年目に優勝できたと思ったら2年目に左膝を脱臼して、最高潮から奈落の底に突き落とされた感じだった。ドイツのドクターには、「将来自力で歩けたらラッキーだよ。選手としては難しい。」と告げられた。ピルナ(ドイツのクラブ)をクビになって、帰国した。

2年間は何があってもハンドボールをもう一度するためにリハビリをすると決めた。それ以上やっても無理なら辞めることにした。携帯電話も解約して、ペットボトルの水を買うのも悩むような生活をしながら意地になってリハビリ続けた。貯金を食いつぶした。転職活動をしながら、リハビリをしながら、チームを探した。

2009年トライマックスの泉さんに救って貰って福井で仕事をさせて貰えることになった。そして北陸電力BTが拾ってくれた。結局6シーズンもプレーさせて貰った。

指導者に転身し、2015年から三重バイオレットアイリスの監督になって5回もプレーオフに連れていって貰った。それなのにプレーオフでは一度も勝てなかった。並行して2017年からはおりひめジャパンのコーチとしてウルリック達と一緒に仕事をさせて貰った。

そして2022年から母校・中部大学に戻ってきて、将来有望な若い学生たちと一緒に汗を流す毎日。

チームを移籍したり、海外(ドイツ)に拠点を移したり、大怪我してクビなったり、30歳過ぎて路頭に迷ったり、失敗ばかり。「やめておいた方がいい」「もうやめとけ、無理するな」って言われることの方が多かったけど、多くの人に支えて貰って今も何とかやっている。(やれてんのか???)

いい時ばかりじゃ無いけど、夢や目標に向かって本気で挑戦して生きていくって悪くないで。



ユメ先生@忍海小学校

[ ユメ先生 ]

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社会人選手権後のオフ期間に2017年度のユメ先生がスタート。今回は奈良県にある忍海小学校の5年生が対象。

この時期の5年生は新しいクラスになって間もない。それにしても元気いっぱいの子供達。目をキラキラさせて食い入るように話を聴いてくれる子供達。

僅か90分の間にチャレンジする事、協力する事、アイディアを出し合う事、ルールを守る事、仲間の意見を取り入れる事、自分の夢について考える事、勇気を出して発表する事、色んな事と向き合ってくれた。

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はっきりとした夢がある子もいれば、今はまだ夢を捜している最中の子もいる。自信満々の子もいれば、自分に自信が持てない子もいる。

自分の人生、今、これからに対して、どこかで「本気」のスイッチが入れば嬉しいね。



ユメセン @豊田市立四郷小学校

[ ユメ先生 ]

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6月28日は愛知県豊田市での夢先生。今回は四郷小学校の5年生のみんなに会ってきた。

アシスタントは元なでしこリーガーのほっしーこと「法師人美佳さん」、何度かご一緒させて頂いたが今回も抜群の安定感&安心感だった。

ゲームの進め方、子供たちへのアプローチ、熱量本当に勉強になる。

今回も子供たちは色んなゲームを自らのアイディアを出し合って、協力してクリアしていった。時には上手くいかないときもあるけど、なんでも簡単にクリアできては面白くない。難しいくらいが楽しめる。みんなで協力して、本気になってクリアできた後の表情は最高だった。

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ゲームの時間後は教室に移って、夢トークの時間。僕の小学生の頃からの話をいくつかのポイントに絞って話をしていった。

「適当にやり過ごしていても誰にも怒られない、そこそこ楽しい生活、でも本気になっていない自分には気づいている。」

「チーム内の同じポジションに世界ナンバーワンの選手がいる。ライバルはメッシ、ボルト、イチロー、ジョコビッチ、練習で世界一の相手に勝たないと試合に出ることができない。」

「日本を飛び出して、何かに本気で打ち込んで、絶好調の時に大けがや大事故にあって、もうそのことができない日本に帰れって言われた。怪我したり、事故した深夜に独りぼっちでベッドの上。」

「みんななら、どう思う?どうする?」って何度か前後の席の仲間と話し合ってもらった。

子供たち自分のことに置き換えて真剣に話し合ってくれた。最後は自分の夢や目標をユメシートに書いて発表してくれた。

いい表情だった。「実家の酒屋を継ぎたい。日本一の日本酒を作りたい」って。凄くかっこええな。

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最後の振り返りの時の小話を。僕が左膝のリハビリ中に何度も救われたカールハインツの言葉。

カールハインツはピルナのファンの親父さんで僕が怪我で途方にくれて松葉づえつきながらマーケットで買い物をしていた時に声をかけてきてくれたドイツ人のおっちゃん。大恩人。

カールハイツは人差し指の先がない。若い時に釣りをしていて、上流からビンの破片が流れてきて第一関節から先が切れたって教えてくれた。

「クシ、ワシは指がきれてなくなったけど、みんなに出来ないことができる、ワシは切れた指を使うと1.5ってできるんじゃ。クシの膝も同じ。今はつらいかもしれんが、この怪我とちゃんを受け入れて、向き合っていけばいつかプラスに出来るときがくるかもしれんよ。」

2年間のリハビリ中に何度この言葉に救われたか分からない。



夢先生 美濃加茂市双葉中学校へ

[ ユメ先生講師 ]

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今年度一発目の夢先生に行ってきた。今年で4年目。

場所は岐阜県美濃加茂市。今回は小学生ではなく、中学2年生対象だった。

無邪気に、素直に夢を持つことができた小学生時代と違い、少し大人に近づいてきて目の前がザワザワしてきて夢や目標が持ちにくくなってくる頃かな。まだ夢を見つける途中の子もいれば、具体的な目標に向かって頑張っている子もいる。夢や目標が途中で変わったっていいと思う。

大切なのは自分の今や将来に対して本気で向きあうこと。自分の人生なのに他人事になるは本当にもったいない。

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本気になれる夢や目標をもって、目の前のことに全力で本気でチャレンジし続ける。失敗しても、ずっこけても、足踏みしても、本気でチャレンジし続ける。

周りから馬鹿じゃないか、どうせできない、やめておけって言われたとしても、自分ができると信じていることにチャレンジできるってのは最高に楽しい。なんでも簡単にできたらつまらない。目標に向かう中で壁にぶち当たったり、苦しんだりする。それでも乗り越えていこうとするから人間的に成長できる。

ゲームの時間での一コマ。

「いくらいいアイディア出しあっても、どうせ俺一人ぐらい手を抜いたり協力しなくても関係ないだろうって思っている子が一人でもいたらこのゲームは成功できへんで。全員がこのゲームを成功させるために本気で協力しあうことが、クリアへの第一歩やで。本気でやるから楽しいんやぞ。」

一気に子供たちにスイッチが入った瞬間だった。



ユメセン in石巻市立二俣小学校

[ ~2022 三重バイオレットアイリスユメ先生 ]

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先日、宮城県石巻市の二俣小学校での夢先生。偶然にも13日の金曜日やった。

そんなことはさておき。子供たちは本当に元気だ。今回は5年生と6年生とそれぞれ一コマずつ担当させてもらった。

5年生は無邪気&素直に明るい印象。6年生は少し大人の階段を上っていいる最中という印象。

5年生には「犠牲ではなく、協力だよな。」「今しかないよ。勇気をもってチャレンジしてみようぜ。」という部分。

6年生には「チャレンジしなければ、失敗すらできない。成功するかはわからないが、本気でチャレンジすれば人間としての成長は必ずできる。本気かどうかは、自分が一番よくわかるよな。」という部分。

少しでも彼らに何か伝わると嬉しい。

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昨年度までは、選手としての子供たちの前に立って話をしてきた。夢や目標も選手としてのモノだった。

今は、当然三重バイオレットアイリス監督としての夢や目標を子供たちに話している。

一年前の今頃には想像もできないことだった。夢先生をしていなければ、おそらくバイオレットの監督という選択はしていないと思う。

これからもチャレンジあるのみ。子供たちとの約束やしね。



ユメ先生 @高石小学校

[ ユメ先生講師 ]

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シルバーウイーク明け、昨年に続いて大阪は高石市でユメ先生を務めさせて頂きました。

昨年の5年生は、現在6年生ですね。「わっーーー、くっしーやーーっ。」って昨年僕の話を聴いてくれた子達も体育館に集まって来てくれました。

嬉しいねぇ。

嬉しい再会の後は、今年の5年生対象に夢の教室を2コマ担当させてもらいました。

みんな協力する事の大切さに気づいてくれたり、将来について真剣に考えてくれたり、いい機会になったかな?

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そしてこの高石小学校は川淵三郎氏の母校なんですね。

何年か前に川淵氏の著書を読んだことが、ユメ先生プロジェクトのことを知るきっかけになりました。



ユメセン @藤枝市

[ ユメ先生講師 ]

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先日、静岡県藤枝市でユメ先生を務めさせて頂きました。

午前中に2コマ、みんな元気一杯ですね。

みんなでアイディアを出して、協力して運動の時間を過ごして、夢の教室へ。

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僕の話を終えて、今度はじっくりと自分と向き合って、将来について考える時間。

じっくり自分と向き合ったけど、本当にまだ夢が何なのかわからないって正直に教えてくれた子がいました。

僕もそんな子供でした。ユメ先生の時も「ユメ先生で来といて何だけど、俺は子供の頃は夢なんてなかったよ。」と正直に話します。

夢がまだ分からないとこっそりと教えてくれた子が、発表の時間に勇気を出して手を挙げてくれました。

「僕にはまだ夢がないけど、これからの夢を見つける事が今の目標です。」

と照れながら皆に教えてくれました。

最高だね。



ユメ先生 三重県菰野町へ

[ ユメ先生講師 ]

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2015年度のユメ先生がスタートしました。昨年度まではハンドボール選手として、今年度からはハンドボールの監督として子供達の前に立たせてもらっています。

6月1日に福井県から三重県に完全に引越しをしてきたわけですが、その4日後になんと三重県菰野町でユメ先生をさせて頂く機会を頂きました。

菰野町の子供達もみんな元気いっぱいでしたね。今回は午前、午後と合計2クラス授業を持たせてもらいましたが、クラスごと、子供一人一人、雰囲気も表情も夢も違います。当然ですよね。

この子達が自分の夢や目標について考えるきっかけになれば嬉しいですね。

この子達がいつか日本リーグの試合を見に来てくれると嬉しいですね。

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今回の様子を中日新聞に掲載されていましたよ。