ブログ&ニュース ( 2020年4月 )

2019年度末と2020年度始めの話。

[ ~2022 三重バイオレットアイリス ]

昨日3月31日2019年度が終わり、本日4月1日から2020年度が始まる。

2020年2月27日以降、一ヶ月以上チーム全体でのハンドボールは行われていない。この一ヶ月の事を書き残しておこうと思う。

新型コロナウイルスの影響を受け、2月29日、3月1日の日本リーグの最終週2試合と3月13^15日のプレーオフは中止が決定し何とも言えないシーズン終了だった。この頃は、まだどこかで対岸の火事的な思いが自分自身にもあった。「そこまでする必要があるかな?」と当時は考えていたのかもしれない。

レギュラーシーズン最終週2試合に勝利していれば、MVIとしては過去最高位の3位に入る事ができた中でのレギュラーシーズン終了になり、やりきれない気持ちで一杯だった。

3月4日にプレーオフ中止の発表がJHLからあるまではコンディションを維持しつつチームで活動していた。レギュラーシーズン最終2試合とプレーオフは中止になったが、シーズンの総括や振り返りを済ませてチームはオフ期間へ入った。(オフとは言えども、選手は当然、仕事があるので、チームでの練習が無いって言うだけだが)

シーズン途中に加入してきた大学生3名に関しては3月13日まで新シーズンへの準備と傷害予防を兼ねて基本動作修得のトレーニングを継続。またトレーニングと並行して、目標設定やバイオレットの選手としての在り方などを考えて貰う機会を設けた。

新加入選手への各種対応をしつつ、既存選手との個人面談を実施。選手からの一年の振り返りを受けての監督&コーチからのフィードバックを行なった。

引退及び移籍の意向を聞き調整に入ったり、リハビリ中の選手の職場へ経過報告に行ったり、産後からの競技復帰を果たした選手のサポートチームの皆さんとの1年の振り返りミーティング行なったり(この時期なのでWebミーティング)、新加入選手たちの4月からの雇用先企業との調整だったり、代表選手たちの取材調整だったり。何だかんだとバタバタする日々を送っていた。

そう言えば、バタバタする日々の合間を縫って、3月上旬に同じ鈴鹿市内で引越しをした。42年の人生で20回以上引越しを経験している。前の家から信号機4つの引越しなのだが、何だかんだと一ヶ月ずっと家の片付けをしている。

話が脱線した。

本来であれば3月13日から東京でプレーオフを戦う予定だったので、この時期は「本当にこれで今期終わるんだぁ」って言う、やりきった感の無い不思議な感覚を持ちながら、2019シーズンの締めと2020シーズンの準備に追われる日々が続いた。

2020シーズンの準備の中には、代表チームコーチを継続した場合(現在の業務委託契約期間は2019年5月1日から2020年3月31日)の不在期間の準備も含まれる。この頃はまだ東京五輪の延期は決まっておらず、4月以降はほぼチームに居ないことを予想しながら、MVIの2020年度の活動計画を練っていた。

それぞれのタイミングでオフをとっていた選手たちが帰省から鈴鹿に戻ってきた。新加入の選手たちの卒業式も中止やコンパクトな形式になるなど、新型コロナウイルス感染拡大の影響がジワジワと日常生活でも感じられるようになってきた。東京を中心にいよいよ日本各地で感染拡大の様子がヒシヒシと伝わってくるようになった。

そんな中、3月24日の夜に東京五輪延期の報道があった。この決定を受けて、先に東京五輪に向けて強化活動をスタートさせていた男子日本代表チームの国内合宿がストップした。

オフに入る前のMVIの計画では3月25日から自主練習開始、3月31日ミーティング、4月1日から活動開始予定となっていた。この計画に基づいて、医療スタッフに活動ガイドライン(新型コロナウイルスに対して)を準備してもらっていた。

3月31日のミーティングではチームを離れる選手(引退・退団)から挨拶の機会を設ける予定だった。もっと言えば、オフに入る前は送別会的なことを考えていたが、それも取りやめて短いミーティングに変更していた。その中で、一言だけでもチームを離れる選手からの挨拶の機会と送り出す機会を作りたかった。メディアスタッフもインスタライブなどで、引退選手を送り出す準備をしてくれていた。

30日の午前中まで上記の予定で進めていたが、ガイドラインを踏まえてチームドクターに相談し、ご指導を頂いた。その上で最終判断をし、30日の深夜に31日のミーティング中止と4月1^12日までの期間の活動停止の決定を全選手に伝えた。

3月31日には、クラブの理事及び関係各位に上記を伝え、4月1日(ついさっき)に公式HPでもアナウンスした。

「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止対応について。」

本来であれば、チーム退団者を送り出し、インスタライブを配信していたであろう3月31日の夜にとある選手から電話があった。

「自宅で在宅トレーニングしたんですけど、みんなでテレビ電話しながら一緒にやったんですよー。こんなご時勢だけど、この様子をSNSで出しても大丈夫ですかねぇ???」

時を同じくして、梶原GMからの電話。

「櫛田さん、選手からの連絡きました?アイツら、何なんですか?最高ですよね。もうSNSに出してもいいですよね?どう思います?」

引越しして間もない家で鍋をつつきながら、ニヤニヤ顔で電話している僕、僕の側でこれらのやり取りをニコニコしながら聞いている妻と息子。

このクラブでこの選手とこのスタッフとこの仕事が出来ること、それを支えてくれる家族がいること、こんな大変な時だけど何とも誇らしい気分になった2019年度末と2020年度始めの話。