ブログ&ニュース ( 2022年7月 )

おっとこまえ吉田耕平

[ 日々 ]

7月が終わろうとしている。春学期も終盤。レポートなど課題や期末試験などを終えると学生たちは長い夏休みが待っている。もうあと一踏ん張りと言ったところかな。

僕も15週の講義を終えた。健康科学とスポーツC(ハンドボール)の2つの講義を担当した。受講してくれた全ての学生に感謝しています。有り難うございました。

さてさて、ここからはハンドボールの話。ほとんど、いやいや丸ごと吉田の話。

7月15〜24日までバーレーンにて開催された第17回男子ジュニアアジア選手権でハンドボール男子日本代表U-21が初優勝を飾った。

中部大学からも中島遼也(2年生)が出場。予選ラウンド第1戦では、MOM(Man Of the Match)にも選出されるなど、左サイドの主軸として頑張ってくれた。

準決勝、決勝戦共にライブ配信を観させてもらったが、両試合ともにDF陣とGKの奮闘を感じた。奮闘というレベルを超越していた。

一人目が9~10m付近でハードに接触し、盾になる。そこから溢れてきたら、すかさず隣のDFがカバーにいく。意地でも中央突破を許さない。言葉で言うのが簡単だが、これを国際レベルで一試合、そしてここ一番で出しきるのは簡単ではない。至難の業だ。

中央のDF4枚はもちろん、両外を守る選手も含めて鬼気迫るDFだった。フリースローを取るたびに、雄叫びをあげながらガッツポーズする姿を何度も観た。

その背後でロングシュートやサイドシュートを止めまくるGK陣。GKが好セーブをする度にベンチで立ち上がって選手以上の熱量でガッツポーズをする吉田の姿があった。

話を少し2週間ほど前に戻そう。7月10日には東海大学付属諏訪高校、関西大学北陽高校が中部大学に来てくれた。吉田は関西大学北陽高校の監督をしている。

ハンドボール界の大悪友・吉田。

吉田とは2001年に日本代表βチームで初めて一緒になった。その後、僕がホンダからホンダ熊本に移籍し1シーズン一緒にプレーした。そのあと彼はアラコ九州(現トヨタ紡織九州)を経由してエストニアに活躍の場を移した。

家族を連れて。

プロフェッショナルとしてハンドボールで食っていく姿は最高に男前(おっとこまえ)やった。その吉田の影響を受けまくったのか僕も数年後に・ホンダ熊本を辞めてドイツへ渡った。

余談だけど、ドイツでチームを探す時に、植松さん(U21日本代表監督)にめちゃくちゃ助けてもらった。

その後、吉田は大崎電気へ。僕は北陸電力へ。今度は日本リーグで対戦することになった。吉田は僕よりも一足先に現役を引退し、母校の関西大学北陽高校へ。

僕も2015年から指導者になり、今はお互いに指導者として頑張っている。

三重バイオレットアイリスの監督時代も大阪での試合の際はちょいちょい応援してくれた。「俺は友だち応援するんじゃっ」ってほんまに応援してくれちゃう吉田。(これって結構すごいことだピョン)

その吉田は関西大学北陽高校と中部大学との練習試合を終えて「アジアチャンピオンになってくるわ」って言うて、其の足でU21日本代表合宿に向かった。GKコーチとして参加するためにである。

それから2週間後にバーレーンで本当に史上初のアジアチャンピオンになった。ベンチで顔を真っ赤にして、日本のGK陣に指示を出し、檄を飛ばす吉田。それに応える若き守護神たち。

かっこええわ。ほんまに。ありがとう。

よっさんおかえり、また頑張ろう。

写真は2006年5月@エストニア、チョコレートボーイズにて。

写真右が吉田。左から2番目が櫛田。



6月終了、45歳になりました。

[ 2022~ 中部大学 ]

あっという間に梅雨が終わった。怒涛の6月も終了。気がついたら45歳になっていた。SNSなどでお祝いメッセージを送ってくださった皆さんありがとうございました。

大学を卒業して20数年後に母校に戻ってくるとは夢にも思ってなかったけど、毎日元気に過ごしています。

あと数分で妻の誕生日。なんだかんだと、地球のどこに行っても一緒に頑張ってくれる。これで二人合わせて90歳。

さてさて6月29日に監督兼任選手として世界一にもなっているアルティメットの森さん(写真中央)が中部大学に来てくれた。僕も世界一になる瞬間を大阪で観ていた。今でも世界一が決まった瞬間のことを思い出す。森さんは高校時代ハンドボール経験あり。今回はビノベーションコーチとしてハンドボール部の学生たちへの指導がメイン。

まずは自分自身が自分のことを知る。これ当たり前のことだけど大事。その上で、自分のことをチームメイト、スタッフに知ってもらう。これからどんな変化や成長が出てくるのか楽しみだ。

7月2日、3日と中部大学に三県の国体チーム(富山、三重、鹿児島)と中京大学が集まってのトレーニングマッチを実施。

元日本リーグ選手のみんなも地元チームで頑張ってたなぁ。おっちゃん達は流石に2日目はへばってたなぁ。中部大学の学生も数名は地元チームと中部大学チームを行き来しながら、頑張ってたなぁ。経験豊富な藤田や今井の横で声をかけてもらいながらプレーさせてもらってきっと色々と感じたやろうなぁ。

三重国体がなくった後の三重(ホンダ)も、少人数ながらも頑張っていた。活動場所はJHLではないし、目標にしていた三重国体も無くなってしまったけど、ホンダの再現性を持ってプラスワンを作るハンドボールは健在だった。OBとしてもホンダの頑張りはいつもパワーを貰える。

みんな暑い中2日間本当におつかれさまでした。