先週、6月16日(金)は久しぶりのユメセン。いつ以来かも定かでは無いくらい久しぶりぶり。
MVI &JPNとダブルワーク、2019年の熊本世界選手権を終えてコロナになって、全くユメセン出来なくなっていた。
本当に久しぶりのユメセンだった。今回は岐阜県中津川市の坂本小学校へ。
最初はゲームの時間。みんなで体育館で体を動かして、ルールを確認して、作戦を考えて、協力して、失敗して、また作戦考えて、挑戦しての繰り返し。
ゲームの時間の後は、教室に移動して、夢や目標について考える時間。
特にやりたい事もなくて、ユラユラ、フラフラしていた中学、高校の頃。何となく始めたハンドボール。別にハンドボール選手になりたくて始めたわけでも無いし、ハンドボールで食っていくつもりも全くなかった。夢中になったり、熱くなったりするより、何でもテキトーでええやんくらいに思っていた。自分の人生やのに、他人事のようにテキトーやった。何となくこのままじゃあかんなと感じていた。けど、どうしていいのか分からんって感じやった。
中部大学に入学して、本気でハンドボールに打ち込み出してから、人生が大きくシフトしていった。本気になると、壁にぶつかる。それこそ何度も。良い時ばかりじゃないどころか、良い時なんて殆どない。それでも、本気でハンドボールすることが楽しかった。
大学を卒業して当時、6年連続の日本一だったホンダに加入した。殆ど試合に出ることもなく、プレーオフの時には応援スタンドで太鼓を叩いていた。日本一になって「嬉しいけど、悔しい」みたいな感じが続いた。この時点で何度も引退を考えた。ストックラン(フランス代表のスーパースター)はヤバすぎた。
ホンダ熊本を経由して、一念発起して2006年にドイツに渡った。1年目に優勝できたと思ったら2年目に左膝を脱臼して、最高潮から奈落の底に突き落とされた感じだった。ドイツのドクターには、「将来自力で歩けたらラッキーだよ。選手としては難しい。」と告げられた。ピルナ(ドイツのクラブ)をクビになって、帰国した。
2年間は何があってもハンドボールをもう一度するためにリハビリをすると決めた。それ以上やっても無理なら辞めることにした。携帯電話も解約して、ペットボトルの水を買うのも悩むような生活をしながら意地になってリハビリ続けた。貯金を食いつぶした。転職活動をしながら、リハビリをしながら、チームを探した。
2009年トライマックスの泉さんに救って貰って福井で仕事をさせて貰えることになった。そして北陸電力BTが拾ってくれた。結局6シーズンもプレーさせて貰った。
指導者に転身し、2015年から三重バイオレットアイリスの監督になって5回もプレーオフに連れていって貰った。それなのにプレーオフでは一度も勝てなかった。並行して2017年からはおりひめジャパンのコーチとしてウルリック達と一緒に仕事をさせて貰った。
そして2022年から母校・中部大学に戻ってきて、将来有望な若い学生たちと一緒に汗を流す毎日。
チームを移籍したり、海外(ドイツ)に拠点を移したり、大怪我してクビなったり、30歳過ぎて路頭に迷ったり、失敗ばかり。「やめておいた方がいい」「もうやめとけ、無理するな」って言われることの方が多かったけど、多くの人に支えて貰って今も何とかやっている。(やれてんのか???)
いい時ばかりじゃ無いけど、夢や目標に向かって本気で挑戦して生きていくって悪くないで。