ブログ&ニュース ( 2024年8月 )

ユメセン@更級小学校

[ ユメ先生講師 ]

長野県千曲市へ足を運んできた。更級小学校でのユメ先生である。更級小学校では既に2学期が始まっていた。8月末のこの時期にユメ先生に行くのは初めてだった。

当日の打合せで、「自主性」「思いやり」を大切にして学級運営していると担任の先生に教えてもらった。最初は体育館でゲームの時間。アシスタントのカワムさんからのお題が難しくて、なかなかゲームをクリアできなくて悪戦苦闘の子供たち。

作戦タイムでルールを再確認して、どうやったらゲームをクリアできるか?今はどうしてクリアできないか?限られた時間の中でアイディアを出して、みんなで考えた作戦をやってみる。

作戦を立てる前よりは、クリアに近づいているけど、それでも上手くいない。ちょっとふざけてしまったり、真剣にやっているけどカワムさんのフェイントに引っかかってしまったり。

またまた作戦タイム。こん感じで挑戦して、失敗して、また挑戦しての繰り返し。最後にクリアできた時のみんなの笑顔は最高やったね。

体育館から教室に移動して、今度はユメトークの時間。

特に夢や目標もなくゆるゆると過ごしていた小学生、中学生、高校生の頃の話から始まり。雨降って部活休みになれ〜って思ったり、負けて悔しいって言うてる翌日には、ハンドボール部やのに、ボーリング行ったり、カラオケ行ったり、そんな感じのゆるゆるハンドボール。部室でスラムダンク読んで上手くなった気分になって既に日が暮れていたり。

それはそれで悪くなかったけど、なんかモヤモヤしながら過ごしていた。常に漠然と、将来への不安があった。それでも将来のことを具体的に考えることは無かったし、何ならちゃんとすることを常に避けていた。

大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって。少しずつ変わり始めた。大学で本気でハンドボールに没頭はしていたけど、日本リーグの道に進むなんて考えてもいなかった。と言うより、当時は日本リーグの存在を知らなかった。在学中の1997年に熊本県で開催された世界選手権の存在も知らなかった。

ホンダに進み、何年も連続して日本一のチームの万年補欠で、ストックランや日本代表の先輩たちに圧倒される毎日やった。ホンダ熊本に移籍して、ようやく出番を掴んだら、チームが日本リーグか徹底することになった。会社員として残る道もあったけど、一念発起して欧州へのチーム探し。

エストニア、スウェーデン、ドイツを回って、チームを探して。色々あったけど、最終的にドイツのピルナに拾ってもらった。一年目に優勝できて 4部から3部に昇格することができた。ドイツ2シーズン目の試合中に左膝を脱臼してしまった。複合靭帯損傷と診断され、お先真っ暗。約半年ボールを触ることもなく、前に進むこともなく、ただただ途方に暮れていた。カールハインツ(ピルナのファンのおっちゃん)の思いやりに触れ、何とかギリギリのところで生活していた。ピルナをクビになることが決まった。

帰国1週間前の大切な試合に当然呼ばれて、ベンチに入れてもらって、マティアス(当時の監督)に7mt打ってこいと指示をされ、ベンチから足をひきづりながら、コートイン。観客が立ち上がって拍手で後押ししてくれる中で7mtを打つことになった。「これがクシのドイツでの最後の仕事やから」ってベンチから送り出されて、半年ぶりに打ったヘロヘロシュートはあっさり相手GKに止められた。足をひきづりながらベンチに戻ると一気に悔しさが襲ってきた。「何で俺はこの半年立ち止まっていたんだろう。俺何やってたんや…」と。

ピルナを解雇されて日本に戻った。

先の見えないリハビリの日々が始まった。貯金を切り崩しながら意地になって2年間リハビリを続けて、何とか北陸電力ブルーサンダーで復帰させてもらった。

北陸電力ブルーサンダーでは左膝にテーピングをグルグルに巻きながら6シーズンもプレーさせて貰えた。当時は全然勝つことが出来なかったけど、福井での6シーズンはハンドボールでも仕事でも本当に素晴らしい経験になった。2015年、37歳まで現役選手をさせてもらった。

良い時ばかりではなく、壁にぶつかることの方が多かったけど、ゆるゆる高校生だった僕でも、大学で本気でハンドボールに没頭するようになって道が開けた。多くの人の支えや思いやりがあって37歳まで現役選手をやり切ることが出来た。

更級小学校のみんなの夢や目標が叶うと良いなって思うし、今は夢や目標が無くて何か自分が夢中になることを見つけたり、今過ごしている毎日を大切にできると良いなと思う。

ユメシート、届くの楽しみやなぁ。



西日本インカレ2024

[ 2022~ 中部大学 ]

一足先に西日本インカレを終え、京都を離れた。結果は予選リーグで2位になり、決勝トーナメントに進出することは出来なかった。

互いに2戦全勝同士で迎えた大阪体育大との大一番は前半から一気に相手に飲み込まれて防戦一方の試合展開となり敗戦。残念ながら予選リーグで2勝1敗となり、目標の優勝はこの時点で消えた。

翌日、インカレ出場権決定戦で環太平洋大に勝利し何とか全日本インカレの出場権を獲得し大会を終えた。学生たちは、そのまま京都で解散し故郷に帰省中。

春季リーグを4位で終えたことで、今回の西日本インカレのシード権を得られずに予選リーグで大阪体育大と同グループになった。因みに昨年度の西日本インカレの決勝カードが中部大vs大阪体育大。その時は延長戦の末に敗れて準優勝。学生たちは昨年のリベンジだと西日本インカレの組み合わせが決まった時から燃えに燃えていた。

長い期間、ハンドボールから離れてリハビリを頑張っていた主将の中島も7月上旬からチームに合流し、西日本インカレまで約1ヶ月丁寧な準備を進めた。今回の西日本インカレがデビュー戦になるメンバーも数多くいる中で、初戦、2戦目と何とか勝利して、大阪体育大戦に挑んだ。立ち上がりに出鼻を挫かれて前半10分で2度のタイムアウト。前半を終えて10-19の9点ビハインド。後半に何とか巻き返しを図ろうと懸命に頑張ったが、結果的に11点差での敗戦。

目標にしていた優勝には届かなかった。

しかし、西日本インカレはここで終わらない。続きがある。各グループ2位同士8チームが完全にフリー抽選でインカレ出場権をかけてしのぎを削る。下を向いて、落ち込んでいる暇はない。細かな振り返りは大会が完全に終わってからでいい。大阪体育大戦から次戦に繋がる部分を振り返り、直ぐに環太平洋大学戦に向けた可能な限りの準備をして翌日を迎えた。大阪体育大戦から愛知より応援に駆けつけてくれたメンバー外の学生たちも心を砕いて共に準備してくれた。

環太平洋大戦も前半から一進一退の展開が続いた。主将の中島、RWの吉原が得点を積み重ね。小林が身体を張って中央を守り。少しずつ、流れを掴んでいった。苦しい時にこそ4年生たちが笑顔で下級生に声をかけ、奮起を促し頑張り抜いてくれた。試合終盤、相手の7人攻撃に手を焼く時間帯もあったが、GKの福島、三浦を中心に耐え抜いてくれた。終わってみれば7点差で勝利することができた。

大阪体育大に勝利し、決勝トーナメントを勝ち進んで、優勝という思い描いていた結果には届かなかった。トーナメントを勝ち上がる中で得られる経験や自信。今回はこの経験や自信を得ることが出来なかった。大一番での立ち上がりの難しさ、厳しさ。そこを乗り越えた先に待っている試合終盤5分切っても勝敗の行方の分からない展開。そこで何ができるか?ここまで行けなかった。

それと引き換えに、悔しさを乗り越えて、奮起してチームで一丸とったなって闘いぬく経験を積むことができた。こういう経験はなかなか出来ない。将来、何かの大きな大会で3位決定戦に回った時、或いは日常生活で途方にくれるような場面に出くわしてもまだ目の前にやるべきことがある時、こんな時に今回の経験を活かして欲しい。

でもやっぱり、勝利の中でしか得られないものがある。実戦の場でしか掴めない自信がある。今回は、そこに届かなかった。この事実を受け止めてまた頑張ろう。

【予選リーグ】
中部大 31-22 九州産業大
中部大 36-18 立命館大
中部大 22-33 大阪体育大

【インカレ出場権決定戦】
中部大 38-31 環太平洋大

大会自体は、今日が決勝戦。予選リーグで中部大を退けた大阪体育大がその後も勝ち進み決勝戦へ駒を進めている。トーナメントの逆側からは接戦を勝ち上がった東海地区の中京大が勝ち上がっている。ベスト4から先はネット配信があるので、昨日の準決勝、今日の決勝と勝ち上がったチームの試合を観ながら頭を整理しているところだ。

大阪体育大、中京大のみなさんがベストを尽くせますように。

大会前、大会中と支えて下さった皆さん、応援して下さった皆さん本当にありがとうございました。今度は8/31からの秋季リーグ戦に向けて頑張ります。