福岡県の宇美町立井野小学校でユメ先生として子どもたちに夢について話してきた。何度もユメ先生をさせてもらってきたけど、何度やっても独特の緊張感がある。子どもたちとの真剣勝負。それでもこの役割は特別。
僕が子どもたちに伝えたかったことは「本気」と「あきらめない気持ち」そういうことの大切さだ。僕自身はホンマにどこにでもいるごくごく普通の中学生、高校生やった。特に夢とか目標もなく。何となく毎日を過ごしていた。一生懸命やるとか、そういうのを避けている時期もあった。
でも自分でつまらなくしていることには自分が一番気がついていた。このままじゃあかんよなって思いながらもなかなか変えることできずにいた。大学生になったら何か一個本気で打ち込んでみよう。その対象がハンドボールだった。
中部大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって大きく人生が変わった。学生のころは、ただハンドボールが楽しいだけ、上達するのが面白いだけで、ハンドボールが生業になるなんて夢にも思っていなかった。
大学4年の時は普通に就職活動して、いくつか内定を頂いた企業のいずれかでサラリーマンをする予定だった。4年生の西日本インカレで準優勝できて優秀選手に選んでもらえて、日本リーグの何チームからかお話を頂いて、あれよあれよと話が進んで、ハンドボールの世界に身を置くことになった。
ドイツで左膝を脱臼して途方に暮れていた時に、多くの人に支えてもらった。今でこそ、失敗や挫折もまた大切な経験。とか言えるけど、当時はそんな余裕は全くなかった。ただただ絶望していた。2年間は絶対に諦めずにリハビリすると決めて、意地になってリハビリを続けた。
1年11ヶ月10日経った。北陸電力ブルーサンダーで競技復帰することができた。そこから更に6シーズンもプレーさせてもらった。毎日、この日の練習や試合が人生最後のハンドボールかもなって思いながら気が付けば6シーズン、37歳まで現役選手を続けさせてもらった。
目標に向かう途中には何度も壁にぶつかる。全く思い通りにいかないことばかりだ。それでも夢中になって目標に向かい、壁にぶつかり、自分と向き合い、乗り越えていくことで、アスリートしても一人の人間としても成長できる。
今回のアシスタントはシッキーこと式田さん。1977年生まれの同世代。元サッカー選手でもあるシッキーがアシスタントとしてサポートしてくれた。もう10年以上前だけど、僕のユメ先生デビュー戦@越前市の時のアシスタントもシッキーだった。今回もシッキーが場を盛り上げてくれたおかげで、僕も話しやすかった。シッキー有難うね〜