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「もう櫛田さんにお腹いっぱいです。からのおかわり。」

[ ~2022 三重バイオレットアイリス2022~ 中部大学パートナーハンドボールスクール講師 ]

1/11(土)は宮崎県延岡市でのハンドボール講習会。正式名称は「令和6年度チームのべおか小中高連携アスリート育成事業」とのこと。

メイン講師が僕。メイン講師より遥かに豪華なサポート講師の原さん(写真左上、元三重バイオレットアイリス)と清家さん(写真右上、元レットル佐賀)の3名で進行。

午前は小学生男女。経験者の子も、初心者の子もいる。ウォーミングアップはみんなで体を動かして、1on1を攻めたり、守ったり。最初は6mライン付近でただ立って守っているだけだったのが、高さを出したり、牽制をかけて守ったり、攻撃はまたその背後のスペースを狙いに行ったりと、攻守どちらの視点からも豊かな駆け引きが沢山あった。最後はゲーム形式。

経験者のみんなが初めてハンドボールをやる仲間たちにハンドボールの楽しさを伝えてくれていた。聞くところによると初めてのハンドボールが楽しかったみたいで、翌日もハンドボールをやりに来てくれたみたいだ。最高。

午後から高校生男女。高校生はPVを絡めた2on2がメインテーマ。国スポの宮崎成年男子チームみなさんも駆けつけてくれて、デモンストレーションや指導補助に入ってくれて本当に助かった。

2on2の後は3on3に発展。最後、女子と男子は少し違いメニューをやって終了。宮崎の指導者の皆さんと事前、講習会中と高校生の様子を見ながらメニューを微調整しながら進行させてもらった。「6on6やゲーム形式はいつでもできるから、今日は細かい部分を徹底してやりたいです。」と言う意向だったので、スモールゲーム(部分練習)中心のメニュー構成。

中盤、攻撃が上手く解決できないと言う意味で少し停滞したけど、ボール保持者の動きと、ボールの受け手のポジショニングやタイミングがシンクロし出して、最後の30分は劇的に変化していく高校生たち。あの変化は凄かった。

現地、宮崎ではこんな感じでニュースとして取り上げてもらったみたい。

宮崎ニュースUMKより「五輪を目指す選手が出てきたら嬉しい」

延岡市ハンドボール協会のInstagramより

レットル佐賀のYoutubeをよく見ているので、「あ〜あの清家選手や〜」って思いながら一緒に子供たちの前に立たせてもらっていた。清家さんにはデモンストレーション役を何度もやってもらって本当に助かった。

タクちゃんありがとうね〜。

そして何よりも今回、7シーズン一緒に仕事(ハンドボール)を一緒にした原さんに声を掛けてもらって、宮崎のみんなと一緒にハンドボールができて最高やった。事前に原さんから「フォーメーション、戦術的なことではなく、1on1やPVとの2on2を子供たち、指導者の人に知ってもらいたい。」と何度も連絡をもらった。

原さんとは三重バイオレットアイリスでも、おりひめジャパンでも年がら年中、地球のどこでも同じ場所でハンドボールしていた。「もう櫛田さんにお腹いっぱいです。」と当時よくボヤかれていたけど、こうやって「おかわり。」してもらってまた一緒にハンドボールをする機会を頂けた。ホンマに最高やった。しょもないこと、言うとまた怒られる。


延岡駅前に原さんの手形を発見。すごっっっ!!!

クル、事前準備、当日のフォローと本当にありがとうね。



ドイツ遠征プロジェクト事前トレーニングキャンプ

[ パートナーハンドボールスクール日々講師 ]

新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。皆さんにとって2025年が素晴らしい一年になりますように。

さて1/4.5が仕事初め。中学生対象のトレーニングキャンプの講師をしてきた。ドイツ遠征を控えた中学生が全国各地から集結。北は東北、南は九州から集まってくれた。またトレーニングパートナーとして滋賀県からTSCハンドボールアカデミー(以下、TSC)の皆さんが参加。

1/4はハンドボール&トーク。1/5ハンドボール。合計3セッション。

2月にドイツ遠征を控えている7名の事前合宿って言うのが、そもそもの今回の位置付け。7名でできるメニューは限定的になるので、滋賀からTSCの皆さんがトレーニングパートナーとして参加してくれた。とは言え、基本的には両日ドイツ遠征組も滋賀組も同じメニューをこなしてくれた。

ハンドボールに関してはPVを絡めた攻撃を3つ提案。2on2スタート、1on1スタート、そこからの発展。戦術的で複雑なものではなく、シンプルなもの。普段違うチームで過ごすメンバーたちが自分の強みを出してドイツで勝負するための考え方を整理をした。ドイツに行くと普段より形態的に大きくて力強い相手を守り、攻めることが想定されるので、攻守ともの強いコンタクトの中で自分がやりたい攻守ができるか?この部分にも焦点を当てた。(個人的には、ここが最重要やと思う。)

ハンドボールに関しては初日、二日目と狙い絞って、自分たちのやることを整理した。あまり事前にガチガチに縛るよりも、緩やかな共通認識を持ち、余白を残しまくって子供たちの反応を見つつ牟田さんと相談しながら進めていった。

トークセッションでは、子供たちと同じ年齢の頃の自分自身の話やドイツで選手をしていた時の話をさせてもらった。

「ハンドボールって何なのか?」
「20,30歳の時にどう在りたいのか?」
「ドイツ遠征を終えた時、今の所属チームを卒団する時にどうなっていたいのか?」
「なぜ。ドイツに行くのか?」
「この経験が自分にどうプラスになるのか?」

こんなことを、ゴリゴリに真剣に考えてもらった。流石に自分の意思で手を挙げて全国から集まってきたメンバーだけあって想像以上に具体的に考えている参加者が多かった。

トークセッション後に子供たちからの質問もなかなか鋭かった。

「試合の時にどんな準備をしていたのか?」
「ドイツで(プロ)ハンドボールするって言うのはどういうことだったのか?」

子供相手だからって、ええ事言うたりふわっとしたこと答えるんやなくて、真剣にシビアでリアルに自分で考えていたことを答えさせてもらった。

「ハンドボールは仕事。自分自身が商品やと思って生きるようになった。」これに尽きる。

結果が全てだからこそ、自然にプロセスにこだわりが出るし、プロセスを大事にする。自分が情熱を持って取り組んでいることが仕事なので、僕にとってはそれが当たり前。

もしかしたら、ドン引きするんちゃうか?って思ったけど、目を逸らすことなく真剣に話を聴いてくれていた。


今回GK陣は個別指導。初日は静岡から脇坂さんが来てくれた。また両日、濱ちゃん(濱野太一、中部大学の学生ですでに指導資格を持っている。)が来てくれた。

GKは専門職。やはり専門家に個別で指導してもらうのは大切なこと。

大きな絵を描いて(中学生をドイツに連れて行くという)、1年がかりで準備を進めてきた牟田さん。その想いに共感してそれぞれの専門性を活かして協力している皆さん(特にKKハンドボールの川瀬さんはカメラをまわし、受けれをし、時に実技を見せ、獅子奮迅の活躍やったなぁ。)勇気を持って手を挙げて現在進行形で頑張っている中学生のみんな。そして我が子にその機会を作るための懸命にバックアップするご家族。みんなホンマに凄い。

こんなにも夢のあるプロジェクトに関わらせて頂けて本当にありがたい。僕にできるのは実体験を話ししたり、コーチングしたりくらいだけど、ホンマに応援している。



大晦日、近鉄新大宮経由デンマーク行きみたいな話。

[ 2022~ 中部大学日々 ]

大晦日。大掃除を終えてひと息。

インカレを終えてから一ヶ月半が経過。年内のチーム活動やスカウト活動も終えてちょっと一休み。簡単にインカレ後の動きや年明けの動きをサクッと綴っていこう。

広島インカレを終えて、一週間のオフをとって新チーム始動。新キャプテンの平野(3年生)を先頭にして再始動。

再始動後に直ぐに東海学生トーナメント大会があり、中部大からは3チームがエントリー。インカレを終えた4年生にとってはこの大会が本当にラストだった。卒論を纏める大事な時期でもあり、4年生は各自の判断で卒論に無理のない範囲で体を動かしにきていた。中部大Cがベスト4まで勝ち進んだが優勝には一歩及ばず。4年生はこれで中部大学ハンドボール部での全ての試合を終えた。

東海学生トーナメント大会以降は基本的に3年生以下での練習(たまにリーグHに進む4年生が、卒論の合間を縫って体を動かしにくるが)である。戦術的な練習は殆どない。個人能力向上に狙いを絞って練習をしている。ゴール型ボールゲームの基本的な考え方を丁寧にやり込んでいる最中である。

時にはGKがCP側に入ってみてDFやOFの基本構造を理解したり、CPがゴールマウスに立ってみたり、普段の自分の逆側の視点から物事を見たり、考える機会を設けている。他にもハンドボールと直接関係はないがエアロバイクを漕ぎながら好きな本を読んだり、食事の記録を取り始めたりしている。また本格的にチームとして広報活動、地域活動していく為にどんな準備が必要か?という視点で学生たちが主体的にやってくれている。

こうした取り組みは何か即効性があるわけではないが、今よりも自分の世界が広がるような取り組みを続けていきたい。

12/21には中部大学キッズスポーツフェスタ。ハンドボール部以外の強化クラブと協力して春日井市の子どもたち対象に野球、サッカー、ラグビー、バスケットボール、ハンドボールの体験イベントを開催。天気にも恵まれて、最高のスポーツイベントになった。春日井市、春日井商工会議所、中部大学が連携して実施したスポーツイベントだった。今回は当日のメニュー作成、当日のアプローチも全て学生たちが自分たちでやってくれた。


キッチンカーがあったり。


ご支援頂いた協賛企業の皆さん。

各強化部の学生たちが自分たちで切り盛りできるように全体の絵を描いて、ずっと準備してきた人がいる訳である。多くを語らない男だけど、長期間ずっと準備しているの観ていたので、本当に良かった。

話は少し変わって、12月6.7日とトップコーチセミナー2024@大阪に参加してきた。リーグHや日本代表チームのチームマネジメント、強化方針、タレント発掘、育成に関して学ぶ機会になった。自分自身が2006年に日本を出て、ドイツで選手をやりながら当時感じていた事。日本に戻り、選手として、指導者として感じてきた事。その辺りと照らし合わせながら講師の皆さんの話を聴かせて頂いた。

12月中旬以降は、愛知近県の県大会に足を運んで、高校生のプレーを視察した。この県大会が3月の春の高校選抜の県予選にあたり大所帯で日本一を目指す第一歩として戦っているチームもあれば、単独では人数が揃わずに複数校が協力してエントリーしている合同チーム、メンバーが揃わずに終始コートプレーヤーが5名で戦っているチームなど様々だ。試合会場でご挨拶させて頂いた皆さん、お声かけ頂いた皆さんありがとうございました。

チームは12/22~1/6までOFF。学生たちは故郷に戻り、大切な人たちとゆっくりした時間を過ごしている。年明けには直ぐに期末試験が控えている。その後は春休み期間。そうこうしていると3月には新一年生が加入して、あっという間に新学期になって春季リーグが開幕する。

僕は1/4.5と中学生対象の講習会を控えている。全国から愛知県に集まってきてくれる。この講習会を経て、ハンドボールの本場のドイツにチャレンジする予定の中学生たちである。

そういえば、さっき大掃除の合間に家の近所を歩いていると「一条高校ご卒業の方ですか???ハンドボールされていますか???」と同世代の方に声を掛けてもらった。なんと同じ歳で奈良高校ハンドボール部とのこと。当時、ちょいちょいも練習試合をしたとのこと。超ローカルトークだが一条高校と奈良高校は最寄駅が共に近鉄新大宮駅なので、練習試合は平日でも自転車でひょいと行ける。奈良高校のサッカー部には少年野球でチームメイト(中塚)や、小学校のクラスメイト(田岡)もいて、そいつらの名前を出すと「おおっ」っと言った様子でご存知だった。

大晦日に自分のルーツでもある奈良を感じることができて何かよかったなとか思って、このブログを書いていたらデンマークのウルリック(元日本代表監督)から久しぶりのメッセージ。いつも忘れた頃に、不意に連絡をくれる。「Győr(ハンガリー)の監督を終えた後どうしてるんやろか?」とか思いつつ元気そうで何より。

近鉄新大宮経由デンマーク行きみたいな話。それでは、皆さん良いお年を。



ユメセン@九久平小学校

[ ユメ先生 ]

豊田市立九久平小学校の5年1組のみんなに会ってきた。JFAの夢の教室である。体育館でのゲームの時間はアシスタントの久光さんの進行で、僕も5年1組のみんなの中に入って一緒に活動させてもらった。久光さんがルールを説明すると、こどもたちはホンマに真剣に話を聞く。どうやったらクリアできるか?バンバン、手を挙げてアイディアを出してくれる。みんなで出し合ったアイディアから作戦を決める。自分たちで考えた作戦をふざけることなく、クリアに向けてみんなで本気で協力しあう。ちょっとじゃなくて、だいぶ凄かった。

教室に移動して、まず僕が現役選手をしている時の映像を観て、ハンドボールってこんな競技だよって知ってもらう所からスタート。その後はトークの時間。小学校、中学校、高校と野球少年から少しハンドボールをやり出して、何とく日々ゆらゆらと過ごしていた10代中盤。そこから中部大学に進学して、本気モードでハンドボールに打ち込むようになった。大学の最初はユニフォーム係で、試合には全く出ることなく、チームで一番下手くそやった。そこからチームメイトと指導者に恵まれて少しずつ試合に出ることができるようになった。

大学卒業後にハンドボールを続けるなんて夢にも考えていなかった。就職活動して、一般企業でサラリーマンをする準備をしていた。4年生の夏以降に急に日本リーグへの道が開き出して、その後は気がつけば今である。まさか37歳まで現役選手を続けることができるなんて、考えてもいなかった。ドイツに行ってハンドボールするなんて1ミリも予定に無かった。人生わからんもんや。

「お前には無理や、無謀や、やめとけ」って言われる道ばかり進んできた。自分で決断して進んだ道で毎度のように壁にぶつかった。大怪我したり、解雇されたりしながら、多くの人に助けてもらって何とかもう一度ハンドボールができるようになった。

僕の話を聞いた後に今度は5年1組のみんながそれぞれの夢シートに自分の夢や目標を綴ってくれた。今はっきりとした夢や目標がある子もいれば、う〜んって悩みながら中々書けない子もいる。でも真剣に考えてくれていた。それでいいと思う。

今、ハッキリとした夢がある子は自分を信じて突き進んで欲しい。壁にぶつかった時にこそ自分を信じて欲しい。

今はまだハッキリとしたものがない子(僕はこっちだった。)も焦らなくていいし、周りと比べる必要もない。自分のペースで何か好きなことや、夢中になれることが見つかると良いなと思う。色々なことにアンテナ張って、興味を持って、自ら動いて欲しいなって思う。

実は中部大学ハンドボール部の学生(4年生)が小学校の時に夢の教室の授業を受けたそうだ。僕がユメシートに返事を書いている時に彼はそう教えてくれた。彼は今でも夢シートを大切に持っているそうだ。

凄いことだと思う。



2024 全日本インカレ@広島 ベスト16

[ 2022~ 中部大学 ]

全日本インカレを終えて広島から愛知に戻ってきた。初戦の立教大に勝利し、3年連続の対戦となった国士舘大に敗れベスト16で大会を終えた。

初戦の立教大は関東リーグに所属する好チーム。今季から大城章さんがヘッドコーチに就任し、勢いに乗るチームだ。大城さんはSONYの元監督。前職の三重バイオレットアイリスの監督として、何度も日本リーグで対戦してきた。いろんな意味(坊主対決???)で、負けられない戦いだった。

【ハンドボール】大城章、情熱の人。立教大学男子ヘッドコーチに就任

試合開始序盤は、インカレ特有の緊張感もあって前半の序盤はリードを許す場面もあり、DFで後手に回ってしまった。それでも前半30分の間にベンチ位置16人全員がコートに立ち、結果的に20-17の3点リードで折り返すことが出来た。

ハーフタイムでは、相手のキープレイヤーに対してのDFを再確認。後半はしっかり修正して、徐々にリードを広げる展開。中盤以降の相手の7人攻撃にも慌てることなく対応し後半は15-8、トータル35-25の10点差で勝利することができた。

さっそく試合会場からホテルまでのバスで直ぐに立教大戦の振り返り、翌日の国士舘大戦に向けての準備が始まった。

国士舘大戦。前半序盤から4年生の水谷を前に出した5:1DFで開始。シュート力に優れる国士舘大の攻撃陣を懸命に守る中部大DF陣。攻めても司令塔の井上のゲームメイクから再現性のある得点を重ねて14-12の2点リードで前半を終えた。熱く、冷静に、戦術的な部分への対応も、ハートも、非常にいい前半の闘い方だった。

後半は中央DFを小林、花田の大型ユニットで固めた6:0DFで開始。後半の立ち上がりも上々。ところが後半8~16分にかけて相手に4連取、1点取り返した直後に更に3連取を許してしまった。この試合、唯一この時間帯だけ1-7とエアポケットに陥ってしまった。

タイムアウトをとって体制を立て直し反撃開始。ここまでRBは2年生左腕コンビの向田、福原で凌いできたが、RBにキャプテンの中島を配置。BP3枚をスピードと展開力のある中島、井上、平野の右利き3枚に変更。東海学生秋季リーグ戦の終盤以降に、何度も準備してきた配置だ。

平野や中島のキレキレのフェイントで相手DF陣を切り裂き中央突破。2点差、3点差の攻防が続く。徐々に時間だけがが過ぎていく。それでも前向きな声を掛け合い、焦ることなく、全力を振り絞る選手たち。あと一本というところで、何度も相手に跳ね返されてタイムアップ。後半は13-19。トータル27-31の4点差での敗戦。国士舘大は強かった。

対戦相手、レフリー、応援席への挨拶を済ませて、コートを引き上げる学生たち。最後の円陣。涙に暮れる4年生。力を出し切った4年生。応援席にいた4年生も合流し、また涙。インカレが終わった。中島主将の代が終わった。

余談。

ここからが実に彼ららしいのだが、試合会場を後にする道すがら中心メンバーたちとこの後の予定について話し合っていると、一先ずこの試合をみんなで観たいとのこと。ホテルに戻って夕食を終えて、他会場に偵察に行ってくれていたメンバーも再合流。1~4年生まで全員で国士舘大戦の映像を確認し、「これはできた」「これは通用した」「ここはこうしたらよかった」といつものように自分たちの試合の振り返りが始まった。

この先、トップリーグでまだハンドボールを続ける予定の4年生もいれば、ここで競技スポーツとしてのハンドボールは一区切りの4年生もいる。もちろん3年生以下は少しのオフを挟んで新チームがスタートする。

今のこのチームでの活動はここで一区切りだけど、それぞれの人生は続く。中部大学ハンドボール部ももちろん続く。

ハンドボールが人生の全てではない。でも自分の人生の一部分なのは間違いない。だからこそ日常生活も、ハンドボールも大切するのだ。

そんな背景があるから、ごく自然に国士舘大戦の試合をいつもの様に振り返っていた。

国士舘大戦の振り返りを終えて、4年生が一人一人、この試合、この一年を振り返ってのコメントを全員に残してくれた。自分自身に言い聞かせるように言葉を紡いでくれる4年生。4年生からのラストメッセージに耳を傾ける下級生たち。チームの全員が今の、この瞬間、このメンバー、今だからこその感情を大切にしてくれた。

バトンタッチの瞬間だった。

【全日本インカレ結果】
中部大 35-25 立教大
中部大 27-31 国士舘大

4年生にとっては、主力メンバーが揃わずに彼らが思い描いていたラスト1年とは全く違うものだったと思う。春季リーグ、西日本インカレの結果も振るわずに夏を終えた。

9月中旬、秋季リーグの中盤になってやっとベストメンバーが揃いだした。主力の4年生が不在の期間に苦しみながら成長しつ続けた下級生たちと懸命のリハビリを経て、戦列復帰していた主力の4年生たちとの融合。そこからインカレまでの1ヶ月半、本当に毎日、一瞬一瞬を丁寧に過ごす彼らの姿が印象に残っている。

しかし、頑張っている、成長しているのは、彼らだけではい。どこのチームだって、どこの選手だって成長するために、勝利するために1年間頑張ってきているのだ。勝負の世界は努力が必ず報われるわけではない。ベスト16で終わった結果を受け止めて、新チームでまた頑張っていこう。

大会運営をして下さった皆さん、1シーズン中部大学ハンドボール部をご支援頂いた皆さん本当にありがとうございました。

大会自体は今日から準決勝。最後まで素晴らしいインカレになりますように‼️

追記:インカレハイライト



ユメセン@宇美町立井野小学校

[ ユメ先生講師 ]

福岡県の宇美町立井野小学校でユメ先生として子どもたちに夢について話してきた。何度もユメ先生をさせてもらってきたけど、何度やっても独特の緊張感がある。子どもたちとの真剣勝負。それでもこの役割は特別。

僕が子どもたちに伝えたかったことは「本気」と「あきらめない気持ち」そういうことの大切さだ。僕自身はホンマにどこにでもいるごくごく普通の中学生、高校生やった。特に夢とか目標もなく。何となく毎日を過ごしていた。一生懸命やるとか、そういうのを避けている時期もあった。

でも自分でつまらなくしていることには自分が一番気がついていた。このままじゃあかんよなって思いながらもなかなか変えることできずにいた。大学生になったら何か一個本気で打ち込んでみよう。その対象がハンドボールだった。

中部大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって大きく人生が変わった。学生のころは、ただハンドボールが楽しいだけ、上達するのが面白いだけで、ハンドボールが生業になるなんて夢にも思っていなかった。

大学4年の時は普通に就職活動して、いくつか内定を頂いた企業のいずれかでサラリーマンをする予定だった。4年生の西日本インカレで準優勝できて優秀選手に選んでもらえて、日本リーグの何チームからかお話を頂いて、あれよあれよと話が進んで、ハンドボールの世界に身を置くことになった。

ドイツで左膝を脱臼して途方に暮れていた時に、多くの人に支えてもらった。今でこそ、失敗や挫折もまた大切な経験。とか言えるけど、当時はそんな余裕は全くなかった。ただただ絶望していた。2年間は絶対に諦めずにリハビリすると決めて、意地になってリハビリを続けた。

1年11ヶ月10日経った。北陸電力ブルーサンダーで競技復帰することができた。そこから更に6シーズンもプレーさせてもらった。毎日、この日の練習や試合が人生最後のハンドボールかもなって思いながら気が付けば6シーズン、37歳まで現役選手を続けさせてもらった。

目標に向かう途中には何度も壁にぶつかる。全く思い通りにいかないことばかりだ。それでも夢中になって目標に向かい、壁にぶつかり、自分と向き合い、乗り越えていくことで、アスリートしても一人の人間としても成長できる。

今回のアシスタントはシッキーこと式田さん。1977年生まれの同世代。元サッカー選手でもあるシッキーがアシスタントとしてサポートしてくれた。もう10年以上前だけど、僕のユメ先生デビュー戦@越前市の時のアシスタントもシッキーだった。今回もシッキーが場を盛り上げてくれたおかげで、僕も話しやすかった。シッキー有難うね〜



2024東海学生秋季リーグ戦を振り返る

[ 2022~ 中部大学 ]

9/7~10/5の約1ヶ月は東海学生秋季リーグ戦だった。本来は開幕週に当たる8/31の岐阜聖徳学園大、9/1の愛知大との試合が台風10号の影響でそれぞれ9/16、10/5に延期になるなど例年とは違うトリッキーな秋季リーグ戦だった。

最終結果は9戦8勝1敗(勝点16)で3位。中京大、名城大と共に9戦8勝1敗と勝点16では並んだが、9/21の中京大戦に11点差で敗れた事が響き優勝には届かなかった。

春季リーグが9戦6勝2敗1分けの4位だったので、春よりも2勝多く白星を積み上げることができた。特に9/21の中京大戦に大敗した翌日9/22の大同大戦、翌週の9/28の名城大戦で勝利することができたのは収穫だった。

ここからは時系列で、秋季リーグ戦を振り返ってみようと思う。

前述の通り、開幕週の試合が延期になった関係で9/7の岐阜聖徳学園大が開幕戦になった。開幕戦特有の緊張感もあって後半中盤まで苦しい展開が続いたが何とか開幕戦を勝利し、続く9/8の南山大戦にも勝利。これで開幕2連勝。

続く9/14の朝日大、9/15の岐阜大、9/16の愛知産業大との3連戦で弾みをつけて、9/21以降の上位対決を迎えたいところ。もちろん内容にも結果にも拘って。

そんな中で西日本インカレ前の練習試合で膝を負傷しリハビリを続けていた水谷がリハビリ期間を終えて戦列に戻ってきた。春季リーグではキャプテンの中島、副キャプテンの小林が不在。西日本インカレにようやく主力が揃うとみんなで楽しみにしていた矢先での水谷の離脱。

中島がキャプテンのこの代になって漸く役者が揃っての公式戦。この3連戦はチームにとって本当に大きな意味を持つ3日間だった。復帰した水谷の活躍もあってこの3連戦も3連勝する事が出来た。これで5戦5勝。いよいよ翌週から全勝対決が始まる。

林田&近藤の北陸高校出身コンビもこの3連戦で頑張ってくれた。

全勝対決の1stラウンドとも言える9/21の中京大戦。前半の立ち上がりこれが全てだ。攻撃で決定的なシーンを決め切ることが出来ずに、相手の速攻に守備が対応できず、あっという間にリードを許してしまった。前半の中盤以降、そして後半で挽回を試みるが、焦りが出てしまい勝機を逃し悔しい敗戦となった。敗戦後、主力陣はかなりショックを受けていた。水谷も揃い、前週の3連戦でかなり手応えを感じていただけに、精神的なダメージは大きかった。

翌日9/22の大同大学戦では気持ちを切り替えて試合に臨んだ(つもりだった)。ところが現実はそう甘くは無かった。デジャブかのように前日同様の悪い立ち上がり。しかし、ここからが違った。奮起する主力たち。前日の悔しさを力に変え、まずはディフェンスで踏ん張りそこからの速攻で反撃開始。逆転に成功した後もキャプテン中島の声かけで全員が集中してプレーし見事に逆転勝利。チームは再び自信を取り戻した。

9/28の名城大戦を控える中、試合メンバーから外れていた豊田一虎が大一番を前にした円陣で魂を揺さぶる言葉を紡いでくれた。「出られへん選手の分も頑張ってほしい。全員が一つになって戦って、必ず勝とう。4年生の力を信じている」と。一虎の思いを背負って戦う決意が固まった。首位を走る名城大を相手に全力で挑んだ。前半から小林&水谷を中心としたディフェンスが相手の攻撃を封じ、オフェンスでは司令塔の井上のチャンスメイクから再現性のある展開で得点を積み重ねた。キャプテン中島を中心にチームが一丸となり、熱く、そして冷静に試合を進めて勝利することができた。

本来であれば最終戦になっていた名城大戦の後、台風10号の影響で延期になった愛知大戦が10/5にが行われた。本来であれば9/28の名城大戦で終了だった後の愛知大戦。初めての経験に少し戸惑いながら準備をする選手たち。実際、平日の練習期間では少し集中力を欠く場面もあった。4年生と戦うことができる最後の秋季リーグ戦。チーム全員で16人のメンバー入りに向けて競走し、最終戦を迎えた。公式戦デビューの斎藤や長谷川らの頑張りもあって19点差で勝利する事ができた。

今回の秋季リーグ戦では9名の選手が今シーズン初出場することができた。因みに今シーズンここまで春季リーグ、西日本インカレ、秋季リーグの3タイトルで36名の選手が公式戦のコートに立っている。軸を作りながらも、チーム内での競走を大切にして全員で戦ってきた。フェアに競争してその後で協力し合う。これからもそれは変わらない。

最終成績は9戦8勝1敗で3位。優勝にあと一歩届かなかった。しかし春には届かなかった相手に勝利する事が出来た。

どちらの事実にも向き合い。課題と手応えを整理してインカレに繋げていこう。

東海学生秋季リーグ戦の運営をしてくださった皆様、チームを応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。



ユメセン@更級小学校

[ ユメ先生講師 ]

長野県千曲市へ足を運んできた。更級小学校でのユメ先生である。更級小学校では既に2学期が始まっていた。8月末のこの時期にユメ先生に行くのは初めてだった。

当日の打合せで、「自主性」「思いやり」を大切にして学級運営していると担任の先生に教えてもらった。最初は体育館でゲームの時間。アシスタントのカワムさんからのお題が難しくて、なかなかゲームをクリアできなくて悪戦苦闘の子供たち。

作戦タイムでルールを再確認して、どうやったらゲームをクリアできるか?今はどうしてクリアできないか?限られた時間の中でアイディアを出して、みんなで考えた作戦をやってみる。

作戦を立てる前よりは、クリアに近づいているけど、それでも上手くいない。ちょっとふざけてしまったり、真剣にやっているけどカワムさんのフェイントに引っかかってしまったり。

またまた作戦タイム。こん感じで挑戦して、失敗して、また挑戦しての繰り返し。最後にクリアできた時のみんなの笑顔は最高やったね。

体育館から教室に移動して、今度はユメトークの時間。

特に夢や目標もなくゆるゆると過ごしていた小学生、中学生、高校生の頃の話から始まり。雨降って部活休みになれ〜って思ったり、負けて悔しいって言うてる翌日には、ハンドボール部やのに、ボーリング行ったり、カラオケ行ったり、そんな感じのゆるゆるハンドボール。部室でスラムダンク読んで上手くなった気分になって既に日が暮れていたり。

それはそれで悪くなかったけど、なんかモヤモヤしながら過ごしていた。常に漠然と、将来への不安があった。それでも将来のことを具体的に考えることは無かったし、何ならちゃんとすることを常に避けていた。

大学に進学して、本気でハンドボールに打ち込むようになって。少しずつ変わり始めた。大学で本気でハンドボールに没頭はしていたけど、日本リーグの道に進むなんて考えてもいなかった。と言うより、当時は日本リーグの存在を知らなかった。在学中の1997年に熊本県で開催された世界選手権の存在も知らなかった。

ホンダに進み、何年も連続して日本一のチームの万年補欠で、ストックランや日本代表の先輩たちに圧倒される毎日やった。ホンダ熊本に移籍して、ようやく出番を掴んだら、チームが日本リーグか徹底することになった。会社員として残る道もあったけど、一念発起して欧州へのチーム探し。

エストニア、スウェーデン、ドイツを回って、チームを探して。色々あったけど、最終的にドイツのピルナに拾ってもらった。一年目に優勝できて 4部から3部に昇格することができた。ドイツ2シーズン目の試合中に左膝を脱臼してしまった。複合靭帯損傷と診断され、お先真っ暗。約半年ボールを触ることもなく、前に進むこともなく、ただただ途方に暮れていた。カールハインツ(ピルナのファンのおっちゃん)の思いやりに触れ、何とかギリギリのところで生活していた。ピルナをクビになることが決まった。

帰国1週間前の大切な試合に当然呼ばれて、ベンチに入れてもらって、マティアス(当時の監督)に7mt打ってこいと指示をされ、ベンチから足をひきづりながら、コートイン。観客が立ち上がって拍手で後押ししてくれる中で7mtを打つことになった。「これがクシのドイツでの最後の仕事やから」ってベンチから送り出されて、半年ぶりに打ったヘロヘロシュートはあっさり相手GKに止められた。足をひきづりながらベンチに戻ると一気に悔しさが襲ってきた。「何で俺はこの半年立ち止まっていたんだろう。俺何やってたんや…」と。

ピルナを解雇されて日本に戻った。

先の見えないリハビリの日々が始まった。貯金を切り崩しながら意地になって2年間リハビリを続けて、何とか北陸電力ブルーサンダーで復帰させてもらった。

北陸電力ブルーサンダーでは左膝にテーピングをグルグルに巻きながら6シーズンもプレーさせて貰えた。当時は全然勝つことが出来なかったけど、福井での6シーズンはハンドボールでも仕事でも本当に素晴らしい経験になった。2015年、37歳まで現役選手をさせてもらった。

良い時ばかりではなく、壁にぶつかることの方が多かったけど、ゆるゆる高校生だった僕でも、大学で本気でハンドボールに没頭するようになって道が開けた。多くの人の支えや思いやりがあって37歳まで現役選手をやり切ることが出来た。

更級小学校のみんなの夢や目標が叶うと良いなって思うし、今は夢や目標が無くて何か自分が夢中になることを見つけたり、今過ごしている毎日を大切にできると良いなと思う。

ユメシート、届くの楽しみやなぁ。



西日本インカレ2024

[ 2022~ 中部大学 ]

一足先に西日本インカレを終え、京都を離れた。結果は予選リーグで2位になり、決勝トーナメントに進出することは出来なかった。

互いに2戦全勝同士で迎えた大阪体育大との大一番は前半から一気に相手に飲み込まれて防戦一方の試合展開となり敗戦。残念ながら予選リーグで2勝1敗となり、目標の優勝はこの時点で消えた。

翌日、インカレ出場権決定戦で環太平洋大に勝利し何とか全日本インカレの出場権を獲得し大会を終えた。学生たちは、そのまま京都で解散し故郷に帰省中。

春季リーグを4位で終えたことで、今回の西日本インカレのシード権を得られずに予選リーグで大阪体育大と同グループになった。因みに昨年度の西日本インカレの決勝カードが中部大vs大阪体育大。その時は延長戦の末に敗れて準優勝。学生たちは昨年のリベンジだと西日本インカレの組み合わせが決まった時から燃えに燃えていた。

長い期間、ハンドボールから離れてリハビリを頑張っていた主将の中島も7月上旬からチームに合流し、西日本インカレまで約1ヶ月丁寧な準備を進めた。今回の西日本インカレがデビュー戦になるメンバーも数多くいる中で、初戦、2戦目と何とか勝利して、大阪体育大戦に挑んだ。立ち上がりに出鼻を挫かれて前半10分で2度のタイムアウト。前半を終えて10-19の9点ビハインド。後半に何とか巻き返しを図ろうと懸命に頑張ったが、結果的に11点差での敗戦。

目標にしていた優勝には届かなかった。

しかし、西日本インカレはここで終わらない。続きがある。各グループ2位同士8チームが完全にフリー抽選でインカレ出場権をかけてしのぎを削る。下を向いて、落ち込んでいる暇はない。細かな振り返りは大会が完全に終わってからでいい。大阪体育大戦から次戦に繋がる部分を振り返り、直ぐに環太平洋大学戦に向けた可能な限りの準備をして翌日を迎えた。大阪体育大戦から愛知より応援に駆けつけてくれたメンバー外の学生たちも心を砕いて共に準備してくれた。

環太平洋大戦も前半から一進一退の展開が続いた。主将の中島、RWの吉原が得点を積み重ね。小林が身体を張って中央を守り。少しずつ、流れを掴んでいった。苦しい時にこそ4年生たちが笑顔で下級生に声をかけ、奮起を促し頑張り抜いてくれた。試合終盤、相手の7人攻撃に手を焼く時間帯もあったが、GKの福島、三浦を中心に耐え抜いてくれた。終わってみれば7点差で勝利することができた。

大阪体育大に勝利し、決勝トーナメントを勝ち進んで、優勝という思い描いていた結果には届かなかった。トーナメントを勝ち上がる中で得られる経験や自信。今回はこの経験や自信を得ることが出来なかった。大一番での立ち上がりの難しさ、厳しさ。そこを乗り越えた先に待っている試合終盤5分切っても勝敗の行方の分からない展開。そこで何ができるか?ここまで行けなかった。

それと引き換えに、悔しさを乗り越えて、奮起してチームで一丸とったなって闘いぬく経験を積むことができた。こういう経験はなかなか出来ない。将来、何かの大きな大会で3位決定戦に回った時、或いは日常生活で途方にくれるような場面に出くわしてもまだ目の前にやるべきことがある時、こんな時に今回の経験を活かして欲しい。

でもやっぱり、勝利の中でしか得られないものがある。実戦の場でしか掴めない自信がある。今回は、そこに届かなかった。この事実を受け止めてまた頑張ろう。

【予選リーグ】
中部大 31-22 九州産業大
中部大 36-18 立命館大
中部大 22-33 大阪体育大

【インカレ出場権決定戦】
中部大 38-31 環太平洋大

大会自体は、今日が決勝戦。予選リーグで中部大を退けた大阪体育大がその後も勝ち進み決勝戦へ駒を進めている。トーナメントの逆側からは接戦を勝ち上がった東海地区の中京大が勝ち上がっている。ベスト4から先はネット配信があるので、昨日の準決勝、今日の決勝と勝ち上がったチームの試合を観ながら頭を整理しているところだ。

大阪体育大、中京大のみなさんがベストを尽くせますように。

大会前、大会中と支えて下さった皆さん、応援して下さった皆さん本当にありがとうございました。今度は8/31からの秋季リーグ戦に向けて頑張ります。



東海学⽣ハンドボール選⼿権⼤会 ~中部大C 優勝~

[ 2022~ 中部大学 ]

今週末は久し振りに完全にオフ。チームでも6月の振り返りのミーティングを実施した。4,5月の春季リーグ戦を4位で終え、チームとしても個人としても、そこで出た課題と向き合いながらの6月だった。

国体愛知予選では、6/7のトヨタ自動車に勝利し、6/9の大同特殊鋼との決勝戦に敗れて準優勝。

6/15.16として6/22.23と2週間に渡って東海学生ハンドボール選手権大会を戦った。中部大学からは A~Cの3チームがエントリー。

Aチームは国体予選にエントリーした愛知県出身者が中心のメンバー構成。

Bチームは春季リーグへの出場者多数の一芸に秀でた個性派メンバーを集めたメンバー構成。

Cチームはチームの主軸に故障明けの選手、1年生をミックスしたメンバー構成。

A,Bチームは惜しくも6/16で敗退。Cチームは6/15,16の試合を勝ち進み、翌週へ。6/22のWヘッダーも勝ち進み、6/23の決勝戦へ。

6/23の決勝戦の相手は名城大A、試合開始序盤から一進一退の展開が続き、後半残り30秒切って30-30の同点。中部大Cは最後のタイムアウトをとってファイナルアタック。残り数秒にRB向田(2年生)のシュートが名城大Aのゴールに突き刺さり劇的勝利。春季リーグでは同じような場面でシュートを決めきれずに人一倍悔しい思いをした男が、今度はシュートをねじ込んでくれた。

本人の脳裏にも、チームメイトの頭の中にも、春季リーグの同じような場面がチラついたと思う。春季リーグではここ一番で勝負を挑んでも決めきれず、守りきれずに、同点や一点差で勝点を逃す試合があった。戦術や技術のもう一つ先の小さな差。でもそれが大きな差。ってことを痛いほど感じたのが1ヶ月前の春季リーグだった。

そこから1ヶ月経ってもう一度、自分で勝負にいって決め切ってくれた。ここで優勝したからと言って、この成績が次の大会に繋がるようなものではない。東海地区の小さなトーナメントの決勝戦の一コマに過ぎない。それでもこのシュート、この優勝はチームにとっても向田自身にとっても必ずプラスになると思う。多くを語らない向田の直向きな姿勢をチームメイトたちは知っている。

6月は国体予選と東海学生選手権。多くの学生に出場機会を作ることが出来た。練習での成長も大切だが、試合でしか得られない経験がある。自分が勝敗の責任を背負ってプレーするからこその緊張感。残り5分切っても勝つか、負けるか分からない試合展開の中で自分が勝負に行くからこそ得られるものがある。実戦での成功体験。実戦での失敗体験。スポーツの醍醐味の一つだと思う。

大事なのその後、実戦で得た経験(成功も失敗も)を次にどう活かすか、出来なかったことをどうやって出来るようにするか。自分の特徴を知り、自分の強みをどうやって発揮するのか?どんな環境だと自分は強みを出しやすいのか?

6月の経験をしっかり振り返って、7月に繋げていこう。

https://tshf.jp/information/2024ctournament_results/