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鈴鹿にて

[ 三重バイオレットアイリス ]

今日は7月16日、今は東京に向かう新幹線。明日7月17日から本格的に日本代表活動が再開。デンマーク合宿、国内合宿を経て、アジア大会(ジャカルタ)という流れでの活動、次に鈴鹿へ戻るのは9月上旬になりそうだ。今回は1ヶ月半もの間、鈴鹿を離れることになるだろう。

6月26日から7月16日までの3週間弱は三重バイオレットアイリスの強化に集中していた。選手個々の成長を見極めながら、やる事を絞って強化を図った。限られた時間と機会の中で選手たちは集中して頑張ってくれた。1日、1回の練習、1プレー、1分、1秒無駄にはしない。そんな想いで本当に頑張ってくれた。

通常のトレーニングとも並行して、リクルート対象選手の受け入れ、ファン感謝デー、バイオレットJrカップ、トークセッション、公開紅白戦、選手との個人面談、大学生の夏合宿受け入れなど、未来への種まき&ホームタウン活動などイベント盛り沢山の毎日だった。

3連休前の2日間7月12日、13日は意識的に予定を開けて、梶原コーチと個人個人の成長とチームの強化の方向性をずっと話し合っていた。何だかんだ言って、梶原がいるから何とかやっていける。

3連休の初日7月14日は自宅から一歩も出ずに梶原コーチと共有した内容を元に、これからの事を整理していた。僕にとって、こういう時間&機会を持つことは大切なこと。意識的に考えを纏める時間を持たないと、集中して行動できない。

そして昨晩は池原綾香(ニューコビン)のおかえりパーティー。(古巣に顔を出してくれて嬉しい限りだ。)クラブのみんな、気の合う仲間でゆっくりと時間を過ごすことができた。高井さん、梶原の誕生日祝いと共に、妻の誕生日もみんなで祝ってくれた。江森(えもち)が新スタッフに加わってくれた。息子も照れ臭そうに、でも嬉しそうに「Super Violet Soul」の輪に加わっていた。クラブのイベント参加を楽しんでくれる家族がいるのもこれまたありがたい。

まだまだ道半ばではあるが、いいクラブになったなとつくづく思う。本当にこのクラブの監督係で良かったなと思うし、この選手たち、このスタッフと、この仕事ができて幸せやなと思う。毎日楽しくてしょうがない。

あーだこーだ言いながらも、限られた時間と機会である事を理解して、ハンドボールをやる時は、ぐっと集中して頑張る選手たちには感謝の気持ちしかない。まあ選手たちは「早く行ってくれ。もう帰ってくるな。おらん方がいい。」と言うやろうけどね。そう言う意味で、選手たちの集中力と結束力は凄まじいのだ。

この後、チームは7月末の東海ダービーを経て、8月2週目には国体東海予選へ挑むことになる。選手もスタッフも色んな想いを持ってこの国体東海予選に向かっている。本番のその場に全員が揃うことはできないけど、自分が関わった何かが、チームの何処かに関係している。みんなそんな想いでやっている。一隅を照らす。

暫くみんな離れ離れになるけど、選手もスタッフもそれぞれの場所で成長し、9月にまたみんなで会おう。



バイオレットJrカップ&紫桃戦 〜僕たちが大切にしていること〜

[ 三重バイオレットアイリス ]

気がつけば7月中旬。先週末はバイオレットJrカップ&公開紅白戦(紫桃戦)を開催。

全国各地から小学生ハンドボーラーが三重県に集結。各チームにバイオレットの選手たちがついた。

ウォームアップ&昼食を共にし、試合のベンチにも入り、試合の合間にはトークセッションも実施した。

トークセッションでは選手たちもその趣旨を理解した上で、主体的に子供たちと触れ合い、自分の想いを子供たち語ってくれていた。

「夢」「目標」「仲間」「協力」「感謝」「笑顔」「楽しむ」こんな様な事をキーワードにしながら、自分のこれまでの経験や大切にしてきたことを本気で話してくれた。「怪我」「苦しみ」「壁」を乗り越えて、今がある。

対戦相手がいるから試合ができる。レフリーがいるから試合ができる。お父さん、お母さんがいるから試合ができる。コーチがいるから試合ができる。体育館があるから試合ができる。ボールやシューズ、ユニフォームがあるから試合ができる。

自分が子供に声をかけたその一言が、その子の未来へ繋がっている。自分を成長させてくれた大好きなハンドボールの未来への種まきをしているのだという事を選手それぞれが考えてくれている。クラブチームの僕たちにとってこうした活動はとても重要。選手たちもその本質を理解した上で協力してくれた。

バイオレットJrカップの後は一般公開での紅白戦。通称「紫桃戦」。今回は20分×3本の変則ルール。ユニフォーム&シューターズの存在が選手たちをより一層ガチンコモードにしてくれた。スポンサーがついたユニフォームに袖を通し、シューターズを目の前にしてハンドボールができる。

これこそ三重バイオレットアイリスの選手としてハンドボールをプレーできる醍醐味なのだ。

バイオレットJrカップ&紫桃戦を終えて、選手たちはそれぞれ自分の言葉でこの日のことをSNS等で表現していた。その全てを紹介はできないがNo10の河嶋が「へんてこブログ」でその日の様子を綴っている。

子供たちとっても、シューターズにとっても、バイオレットの選手たちにとっても、素晴らしい時間になった。それを繋いでくれたのがハンドボールだ。



無毛な人たちの、不毛ではない会話

[ 三重バイオレットアイリス ]

5月23日から5週間続いたおりひめJAPANの活動も先日のJAPANカップ2018、日韓定期戦2018で一旦一区切り。6月26日に韓国から帰国し久しぶりに鈴鹿に戻ってきた。

5月中旬から下旬までのおりひめJAPANコーチとしての活動は、社会人選手権視察、フィジカルクリニック参加。

その後一旦MVIの活動に戻り鈴鹿経由で5月29日に韓国へ移動し釜山国際親善大会に参加。アメリカ戦、香港戦、釜山BISCO戦を戦った。

6月初旬、釜山国際親善大会3戦を終えたところで僕は原、多田、河嶋と共に釜山から東京、アムステルダムを経由してデンマークへ渡りおりひめJAPANに再合流。

MVI本隊はその後も国体を見据えたメンバーでオーストラリア戦、セネガル戦を戦った。MVIの釜山国際親善大会の戦績は3位(5戦3勝2敗)、大会ベスト7に加藤、團が選出された。過去に膝の大怪我をした二人が努力を重ねてこうして国際大会で正当に評価して貰えるのは本当に嬉しい。

話が前後したが、おりひめJAPANのデンマーク遠征に合流後、アイスランド、デンマークU20、デンマーク男子U16とのテストマッチを5月中旬まで重ねていった。世界選手権2017の戦術の再確認および新戦術&新加入選手のテスト、これらを繰り返しながらチームを再構築していった。

6月中旬にデンマークから帰国し、ヤングおりひめ(日本代表U24)との合同練習などを交えながら強化合宿を継続。6月21日に群馬県高崎市へ移動。いよいよJAPANカップ2018に向けての本格的な準備開始。対戦相手は欧州の強豪国ポーランド。

今回のJAPANカップはノンタイトルマッチとは言え、世界選手権2017のおりひめJAPANの躍進を経て、現在のチームの成長を日本の皆さんに応援して貰える絶好の機会。チーム内にとっても、チーム外にとっても色んな意味で大切なJAPANカップ、ポーランド戦だった。(まあこの時期色々あったしね。)

試合当日ウォーミングup前のベンチで監督のウルリクと応援席を見渡しながら「こんな風に日本で応援して貰えて、ハッピーだなぁ。いい試合にしよう」と無毛な二人が不毛ではない会話をしていた。

試合開始直後こそ、ウルリク曰く「ラグビーハンドボール」のポーランドの力技に苦戦し1-4とリードを許す展開だったものの、選手たちは慌てる事なく体制を立て直した。前半は苦しみながらも11-13の2点ビハインドでハーフタイムへ。

ハーフタイムでは後半に向けての修正ポイントをウルリクと共に再確認した。

後半の立ち上がりで追いつき、その後は一進一退の攻防が続いた。後半残り10分からおりひめジャパンは再加速。最後は一気にギアを上げてポーランドを押し切った。

日本 27(11-13 15-7)20 ポーランド

7点差をつけて見事に逆転勝利。苦しい時間帯もあったが、ブルーのスタンドからの応援が本当に力になった。

試合前に会場全員が起立して、ナショナルフラッグを見上げ、肩を組みナショナルソングを歌うその瞬間。おりひめJAPANの応援をする。そのチームの選手としてプレーする。そのチームのスタッフとして選手をサポートする。選手がプレーしやすいように、ファンが楽しめるように、運営者として全力を尽くす。

「自分がこの国の、ハンドボールの今と未来の何処かに携わっている。」

会場にいる全員とそう感じることのできる時間であり、空間だった。

ノンタイトルマッチとは言え、色んな事を試しながら、ポーランドに、そして日本で、このタイミングで勝利できた事は本当に意味のある事だと思う。

JAPANカップ2018を終えて、おりひめJAPANは帰京。翌朝早朝に彗星JAPAN(男子代表)と共に日韓定期戦2018へ向けて韓国へ移動。MVIの釜山国際親善大会から約1ヶ月、今度はおりひめJAPANと共に韓国へ戻ってきた。ポーランド戦から中一日で韓国戦へ。

海外遠征、国際試合にはイレギュラーが付き物、スケジュール&環境は現地に入らないと分からない&決められない。現地入りしても予定は目まぐるしく変わる。整理整頓された中、万全の準備が整った中で力を発揮することも大切だが、想定外のことが起きた時の対応力や思い通りにことが進まない時の修正力もこれまた大切。

思い通りにいかない時に何ができるか。今ある条件下で何ができるか。こういう経験をするために海外遠征や国際試合が組まれている。望むところだ。

ポーランド戦から若干メンバーが変更になり8月のアジア大会を想定したチームで韓国戦に挑んだおりひめJAPAN。立ち上がりから韓国の巧みな試合運びに苦戦を強いられる展開が続いた。

日本 20(9-14 11-13) 27 韓国

終わってみれば、ポーランド戦と全く逆のスコアでの敗戦だった。おりひめJAPANのコーチになって初めてアジアのチームとの対戦だった。これまでは欧州を中心に南米、アフリカのチームとの対戦が続いていた。

韓国との対戦を通して多くの課題が浮き彫りになった、それが何よりの収穫だった。

今回の日韓定期戦2018を終えて、おりひめJAPANの活動は一旦ブレイク。次回は7月中旬から活動再開の予定だ。

さあ今度は鈴鹿でMVIの監督としての活動が待っている。早速鈴鹿に戻ってウエイトTrを終え、先週末の練習試合の振り返りミーテイングを行う鈴鹿のみんなの顔を見てきた。

そして梶原コーチとのしつこいくらいの打ち合わせ。釜山国際親善大会以降のチームの様子や選手個々の様子、7月中旬までのテーマ、スケジュールなどを話し合ってきた。

わずか2週間ちょっとではあるが、少しでもMVIの選手たちの成長の手助けが出来るように全力を尽くそう。

6月27日から本格的にMVI監督係として活動再開。これまたエキサイティングな仕事が始まるのだ。



MVI &JPN

[ 三重バイオレットアイリス ]

今回は三重バイオレットアイリス(以下MVI)の監督と日本代表女子チーム(以下JPN)のコーチの話。

日本ハンドボール協会(以下JHA)とJPNのコーチ業務委託契約を締結した。契約期間は2018年度内の1年間。2017年のドイツWCに続き、2018年度もJPNのコーチをさせて頂く事になった。

2018年度、ざっと1年の3/5はMVIの監督として、2/5はJPNのコーチとしての活動になりそうだ。全てのJPN活動に帯同できる訳ではないが、1年間で130日〜140日ほど鈴鹿を離れることになる。

MVIとは2015年5月1日から2022年3月末日までの契約を結んでいる。2020年の東京五輪の翌年、2021年に三重国体があり、2021年度末までの契約だ。その契約の中には日本代表活動が発生した場合についても事前に盛り込んである。

JPN活動に帯同できる期間、できない期間は事前に協議を重ねた。

もしMVIの監督とJPNのコーチのオファーが別のタイミングであればどちらか一つに集中して仕事ができるかもしれない。もし自分の体が二つあれば、どちらもフルパワーで仕事をするだろうが、物理的にそうは行かない。(MVIの拠点は三重。JPNの拠点は東京、そして海外)

次年度以降の予想される状況に備えて準備を進めているが、少なくとも2018年度は多くの方の理解と協力があってMVIとJPNの2つの活動になりそうだ。

こんな背景もあって、今シーズンから梶原BMがコーチ(櫛田不在時は監督代行)として新たにMVIの現場スタッフに加わった。そして国体、日本選手権などのトーナメント戦は梶原が指揮を取る事になるだろう。JPNからMVIに戻った直後のこの2つのトーナメント戦、僕はチームスタッフの一員として梶原や選手のサポートに回る。

つまり国体や日本選手権などトーナメント戦は監督係:梶原&コーチ係:櫛田、JHL(リーグ戦)は監督係:櫛田&コーチ係:梶原、こんな感じでMVIは今シーズンを戦って行く計画だ。この体制はMVIとJPNの年間スケジュールを照らし合わせ、尚且つ昨シーズンの結果を踏まえ、更には来シーズン以降も見据えて何度も何度もチーム内で議論を重ねて、生まれたものだ。

決して形遊びをしているのではない。必要だから生まれた形だ。

ちなみに、5月12日(土)チーム内で紅白戦ならぬ紫桃戦を一般公開して行った。バイオレットアイリスが櫛田、ピンクアイリスが梶原でフルマッチ。実戦さながらの白熱した展開になって何と紫桃戦はお互い譲らずドロー。梶原率いるのピンクアイリスは相当手強かった。

MVIの監督(JHLチームスタッフの一員)としてJHAやJPNを観ている景色、JPNのコーチ(JPNスタッフの一員)としてJHLチームを観ている景色がある。この2つの仕事に同時に携わらせて貰える人間はそんなに多くはいない。だからこそこの二つの視点を持つことを大切にしたいし、その意味や責任を感じている。MVIの活動をJPNでも活かしたいし、JPNの活動をMVIや三重県に還元したい。

自分に何ができるのか?何のためにやっているのか?この仕事がハンドボールの未来に繋がっているのか?今まで以上にこんな事をよく考えるようになった。そしてハンドボール界の中から視点は勿論、ハンドボール界の外からの視点を持つことを忘れずにいたい。

「指導者である僕自身が誰よりも成長するために力を注ぎ、誰よりも学ぶ。誰からも学ぶ。」

難しさや、リスクはあるに決まっている。2018年度は契約内容に則ってこれでやると決めた。やると決めたからには目の前のことに集中して、そしてユーモアを持ってやりきるのみ。

この仕事に関わることが出来て、ほんまにハッピーやし楽しい。ほんまにやり甲斐がある。



2017年度の総括からの…

[ 三重バイオレットアイリス ]

プレーオフを終えて2週間のオフを挟み、4月8日から2018年度の三重バイオレットアイリスの活動が再開した。

2018年度の話の前に、2017年度を簡単に振り返っておこう。

2016年度にプレーオフ初出場を果たし、その後日本代表選手2名(右サイドの池原がデンマーク、ポストの角南はSONYへ)が新天地へと移籍。右サイドは島居と佐野、ポストは近藤、原、森本らの奮闘を期待してのシーズンインだった。

日本リーグ前半戦、日本代表の原や河嶋が怪我で戦線離脱する期間は、中田や細江など若い選手たちがここぞとばかりに躍動してくれた。

前半戦を終え、ブレイク期間の11月中旬から12月中旬までの約1ヶ月、監督である僕がチームを離れることになった。(世界選手権@ドイツに出場する日本代表チームのコーチ就任)

年明けからの後半戦への大切な準備期間にチームを離れることになったが、この期間は梶原BMがチームを引き受けてくれた。鈴鹿に残った選手たちもこのブレイク期間にテーマを持って取り組んでくれていた。

若い力を引き出しながら、要所要所で経験豊かな中心選手たちが力を発揮してくれた事もあり、リーグ終盤戦の大事な時期に6連勝と波にのり、何とか2年連続でプレーオフ進出することができた。プレーオフでは残念ながらSONYに勝利することが出来なかったが、日本代表選手の移籍や、主力選手の離脱を乗り越えて選手全員が大きく成長してくれた。

終ってみれば、社会人選手権3位、愛媛国体5位入賞、日本選手権ベスト4、日本リーグ4位、結果的に全ての公式戦で過去最高成績あるいは過去最高成績タイというシーズンだった。中でも日本リーグは24戦15勝8敗1分(勝点31)と初めて勝ち越しでレギュラーシーズンを終えることが出来た。

主力選手の海外移籍、結婚、高校生日本リーガー誕生などなど、数々の変化を受け入れながら逞しく成長してくれた選手たち。勝利することも嬉しいが、彼女たちの人間的な成長を感じる瞬間も本当に嬉しい。

バイオレットの監督になって3シーズンを終え、2015年度は12戦4勝7敗1分、2016年度は9勝9敗、そして2017年度が15勝8敗1分と少しずつ勝点を重ねることができるようになってきた。最初の3シーズンをステージ①と位置づけ、このステージ①では日本一を狙うための土台を作ることを大きなテーマにして強化してきた。

2018年度からの3シーズンはステージ②、日本一を狙って掴み取ることが目標だ。

そして新シーズン。高校生ハンドボーラーだった舟久保は一旦チームを離れて関西の大学へ進学した。現在は関西学生リーグに活躍の場を移している。その他、引退者は一人もおらず、現時点では17人の選手たちと再スタートを切ったところだ。

昨シーズンチーム2位の得点を叩き出す活躍をしてくれた島居が膝の手術で約半年リハビリ、そして昨シーズン1年間怪我で苦しんでいた水谷はいよいよ戦列復帰の見込みだ。

今シーズンエントリー予定の公式戦は国体、日本選手権、日本リーグの3大会。(社会人選手権は参加を見送った)

この17人の選手たち、そしてこの選手たちを全力でサポートするスタッフと、気持ち新たに日本一に挑戦だ。勝利する喜びも、負ける悔しさもクラブに関わる全員で共有しながら、成長していこう。

日本人女性と、日本のクラブチームの可能性にチャレンジし、三重バイオレットアイリスが日本のハンドボール会、スポーツ界を少しでも前に進めていこう。鈴鹿をハンドボールで元気にしていこう。

2018年度もSuper Violet Soul !!!



三重バイオレットアイリスの一員になって3年経過。

[ 三重バイオレットアイリス ]

三重バイオレットアイリスの一員になって今日でちょうど3年が経った。

2014/2015シーズン、僕はまだ北陸電力ブルーサンダーでコーチ兼任選手をしていた。当時の僕はJHL全チームで現役最年長選手だった。左膝の怪我との付き合いながら、1年でも長くJHLでプレーする事に面白みを感じていたのが当時の僕だった。

2015年の年始のある日、三重バイオレットアイリスの細野GMから連絡貰った。

「櫛田、三重バイオレットアイリスの監督やらんか?」

「監督の話をお受けするかどうかは別にして、ぜひ一度お会いしましょう。」

細野GMはすぐに車を飛ばして福井に来てくれた。

「2021年の三重国体を見据えてチームの根幹から立て直してほしい。女子は2019年に熊本で世界選手権、その後に2020年に東京五輪、その後に2021年の三重国体や、櫛田”また”一緒にやらんか?とにかくワシは勝ちたいんや」

また…

2000年、当時JHL6連覇の最強チーム、ホンダの一員に導いてくれたのが細野さんだった。同じ人から選手として、指導者として声をかけてもらう。こんな事は人生にそうあるものではない。

同じJHLの舞台で、現役選手か監督か?本当に悩んだ。2014/2015シーズン終了時点でもまだ答えは出せていなかった。

2020年自国開催の東京五輪。自分が元気なときに自国開催のオリンピックは恐らく一生で一回の機会。この機会に自分の関わる競技で、大好きなハンドボールで本気のチャレンジができるのはどちらか?

現役選手として東京五輪を目指すのか?指導者として東京五輪を目指すのか?

僕が出した答えは後者だった。一生で一回の機会に本気で挑戦しよう。三重バイオレットアイリスの監督として、自分が指導した選手がチームの成長と共に、個人としても成長し日本代表チームで活躍するそういう形で自分は東京五輪に挑戦しよう。

そう考えると、今このタイミングで指導者としてのキャリアを本格的にスタートさせないと間に合わない。

2015年5月1日に三重バイオレットアイリスの監督に就任した。

それからの3年は本当にあっという間だった。

三重バイオレットアイリスの監督をやり出すと、純粋にこのクラブを少しでも良くしたい。自身の現役選手への拘りとか、東京五輪に向けてとか、そんな気持ちよりも、少しでも選手の成長につながる事に時間を使いたい。ただそれだけだった。

ホームゲームの時に選手が活き活きと大好きなハンドボールをプレーし、その姿を一人でも多くに観て貰う。そして何かを感じとって貰う。そんな光景を細野さん達(長年クラブを支えてくださった皆さん)が感慨深くビールでも飲みながら「昔は大変やったなぁ」と悦にいる。

1日でも早くそんな三重バイオレットアイリスにしたい。ただただ、それだけだった。

今もこれからも、その想いは変わらない。



多様性

[ 三重バイオレットアイリス ]

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

大晦日と元旦の2日間だけ、年末年始の休み。1月2日からバイオレットは活動再開。もう今週末1月6日には鹿児島でSONY戦である。つまりJHLが再開する。

11月12日の大阪ラヴィッツ戦以降、約2カ月振りのJHLだ。現在13戦8勝4敗1分の勝点17。いよいよここから痺れる様な試合、毎日が続いていく。今から楽しみでしょうがない。

僕が日頃から大切にしている視点の一つ「多様性」について自分なりの考えを纏めておこうと思う。

バイオレットのメンバー構成は高校生、大学生、社会人と様々。現時点では17名のJHL登録の選手と2名の練習生の合計19名で活動している。シーズン途中では国体では元主将のOG(現在は教員)にも協力してもらった。

言うまでもなく、三重バイオレットアイリスは三重県を拠点に活動するクラブチームなので、こういった多様性を大切にしながら活動している。

高校生が大阪遠征ならぬ、大阪遠足から戻って練習に参加しにきたり、大学生が試験勉強の合間を縫って練習に参加しにきたりと、その辺りはその時その時で柔軟に対応している。それでもチームが目指しているのは日本一であり、世界に通用する選手を育てて行くことに変わりはない。

とは言え、バイオレットの中核をなす選手の多くは高校か大学(所謂ゴリゴリの体育会系を経て)を卒業して、三重バイオレットアイリスに入団してくれた。スカウトを経て入団してくれた選手もいれば、トライアウトを乗り越えて入団してくれた選手もいる。入団してしまえば、みんな同じでスカウトもトライアウトも関係なく、そこにあるのは競争と協力だ。

世間一般の感覚でいうと、このゴリゴリの体育会系の方が特別な存在なのだが、実はこのゴリゴリの体育会系の中に長い間身を置いていると、しばしば逆転現象が起る。自分達の当たり前が全てになってきて、他者からの視点とか社会的な視点とか国際的な視点を持つ事が難しくなってくる。

人間誰でもそうだが、自分のいる環境からの影響は良くも悪くも受ける。自然に「こうあるべき」ということが染み付いてくる。これまでと違う考え方や、変化に対応するのは基本的に、労力を伴うので、あまり良しとされない。「空気を読め」とか「今までもこうだった」からとか言われることが多い。

これは誰でもそうだと思う。僕だっていきなり裸族の村に送りこまれて、今から裸族と同じように過ごせと言われても最初は抵抗感を持つに違いない。

でも僕は「変化」を受け入れたり、自分と「違う考え方」に触れることを大切にしている。「空気を読む」ことも大切なことかもしれないが、それと同じくらいに「空気に流されない」ことも大切だと思う。

話があちこちに飛んでしまったが、話を「多様性」に戻そう。

例えば、大学3年生のこの時期になり、自分の人生と真剣に向き合っていれば今の日本だと「就職活動」が本格的になってくる。練習生として日本リーガーになる為にもチャレンジしたい、でも就職活動も大切にしたい。真剣になればなるほど、本気になればなるほど、悩むわけだ。「両立」「ハンドボール」「就職活動」そこに「正解」も「間違い」もない。世間一般でいう割と普通の感覚に近い練習生の大学生が、自分の人生と本気で向き合って悩んでいる事を、他のメンバーに相談する。そうすると「大学3年生のこの時期になると、普通は就職活動を考えるようになるだぁ」という当たり前の事実に他のメンバーも当事者意識(もしかするといつか自分もセカンドキャリアのこと)を持って気がつく事ができるのだ。ここで言う他のメンバーとはゴリゴリの体育会系を経てきた選手や高校生のことを言う。

年末のチームの忘年会(お酒の場&高校生は言うまでもノンアルコール)に高校生の参加についてもみんなで考えてみる。シーズン途中に合流して練習以外のそんな機会に「参加もしてみたいし。気も使うかな」と高校生の本人は考える。両親にも相談してみる。チームとしても、高校や教育委員会からの意見も仰ぐ。「なかなか無い機会だし、参加してチームにとけ込むことを優先してもいいじゃないか?」「自分達ではよかれと思って親睦の機会を持っても、お酒の場に高校生がいることを他の人が観たらどう思うか?」少しずつだけど選手達がこんな事にまで考えを巡らせられるようになってきた。

こんな事を考えたからと言って、シュートテクニックが向上する訳でも、スタミナがUPするわけでもない。それでも僕はこうした部分と日々向き合っていくことが、競技力向上に繋がっていくと信じている。

最初は「大学生を練習生に?」「高校生を日本リーガーに?」と言う反応が内外にあったことは確かだ。その他にもシーズン途中に伴侶を得て夫婦二人三脚で気持ち新たに日本リーグにチャレンジしてくれている選手もいるし、バイオレットを経てデンマークのプロリーグへ海外移籍した選手もいる。こうした「変化」を受け入れながら、本人の意志と周囲の理解もあって少しずつ歩みを進めてきた。「答え」や「正解」の無いことに対して、みんなで向き合い「多様性」を大切にしながら活動しているのが今の三重バイオレットアイリスというクラブチームなのだ。

年末年始の忙しい中に、選手の職場の皆さんや、県外のシューターズの皆さんが、そんな三重バイオレットアイリスというクラブチームの練習を観に来てくれたことが僕は凄く嬉しかった。

2018年も三重バイオレットアイリスのこと、皆さんよろしくお願いします。



日本選手権2017を終えて

[ 三重バイオレットアイリス ]

日本選手権を終えて鈴鹿に戻ってきた。男女ともに見応えのある決勝だった。男子は大崎電気、女子はオムロンが共に2年連続優勝。

今年もMVIは決勝の舞台には立つことができなかった。昨年に引き続きクラブベストタイの3位入賞、これにて2017年の全ての公式戦を終えた。

初戦、東京女子体育大学。後半中盤まで歯車が噛み合わずに苦しい展開が続いた。後半中盤、怒涛の9連続得点で一気に逆転に成功。そのまま試合を決めた。苦しみながらもなんとか初戦突破を果たした。

準々決勝、SONY戦。前日の課題を修正し、MVI本来のハンドボールを展開。どんな相手でも自分たちの力を出し切ることが何よりも大切。今シーズンSONYに初勝利をあげた。

準決勝、北國銀行戦。初の決勝進出を目指して挑んだこの試合。攻守ともに女王北國銀行が1歩も2歩を上手だった。完敗だった。

日本選手権3試合を終えて、現地で今大会の振り返りを行ってきた。「心技体」の各要素で、どんな取組みをして今大会に臨み、どんな結果だったのか、そしてこの後のJHL再開に向けてどう繋げていくのか、この手の振り返りは初戦敗退したとしても仮に優勝したとしても必要なことだ。

当たり前のことを、当たり前に継続していく。そして当たり前のレベルをさらに高めていく。これに尽きる。

11月中旬に年内のJHL中断し、監督の僕、主将の原と攻撃の中心の多田が、世界選手権出場の為に日本選手権開幕直前まで約一ヶ月チームを離れていた。世界選手権を終えて全員揃って日本選手権に準備できたのは3日間だった。3日間の準備期間では優先順位をつけて、やることを絞って今大会に備えた。

そんな限られた条件下でも選手たちは本当によく頑張ってくれた。梶原BMと共に鈴鹿に残って個人能力を高めることにフォーカスして自力をつけて待ってくれていた鈴鹿組と世界の最前線を体感してきた原と多田。

限られた時間の中でも、試合中、そして試合と試合の間(宿舎で)、移動のバスの中でも、積極的にコミニュケーションをとってくれた。

試合内容には手応えもあれば、新たな課題もある。全てのプレーがうまく行ったわけではない。どちらかと言えば、大会を通して苦しい時間帯の方が多かった。それでも昨年と同じクラブベストタイの3位入賞まで駒を進めることができたのは選手たちのおかげだ。そしてその選手たちをサポートし応援し続けてくださったみなさんのおかげだ。

だからこそ、準決勝の北國銀行戦は自分たちの力を出し切って、決勝に駒を進めたかった。そういう力を出し切ったMVIをシューターズに感じて貰いたかった。翌日のオムロンvs北國銀行の決勝戦を観ていて、尚更そう感じた。

しかし苦しんだ中だからこそ、気づけた部分がある。自分たちがどこを目指して、何の為にやっているのか、MVIの存在意義、そのクラブに関わる人間、選手、スタッフとして自分は何ができるのか、自分たちが大切にしてきた部分ともう一度しっかりと向き合うキッカケをくれたのが今回の日本選手権だった。

【日本選手権2017 MVI最終成績】
MVI 27(11-12 16-9)21 東京女子体育大学
MVI 26(14-10 12-13)23 SONY
MVI 16(8-14 8-11)25 北國銀行
※2年連続3位入賞

MVIは年内30日まで活動を続ける。新年は1月6日のSONY戦からJHLが再開する。連戦の疲労を抜きながら、個人面談、SBT、トレーニング、忘年会、お掃除と頭も心も体も整理の為に2017年年末を過ごしている。

締めくくりとか、終わりという感覚は全くない。いよいよこれから始まるという感覚の方が強い。

とは言え、久しぶりに鈴鹿で家族で食卓を囲んだり、しっかりとチーム&選手のことを考え、それを纏める時間が持てることは幸せなことだなと思う。

2歳の息子が「ハッケヨーイ、ドン!!!」とダッシュしながら相撲の立合いをしてくる。思わず笑ってしまった。



世界選手権2017ドイツ大会を振り返る

[ 三重バイオレットアイリス ]

2017世界選手権ドイツ大会を終えた。11月中旬から国内合宿、スペイン&オランダ遠征、そして世界選手権と約1ヶ月もの間、日本代表チームのコーチとして活動させてもらった。

死のグループと言われた予選ラウンドグループCを3位(2勝2敗1分)で勝ち上がり決勝トーナメントに駒を進めた。日本代表として初のベスト8をかけて前回準優勝国オランダ相手に真っ向勝負を挑んだが延長戦の末に2点差で敗れた。今大会はベスト16で大会を終えた。

オランダ戦を終えて、試合終了数時間後には慌ただしくホテルを発った。監督のウルリク、海外組の亀谷&池原とは現地で別れた。

怒涛のように過ぎ去ったこの1ヶ月の記録を残しておこう。

11月12日(日)JHL年内最終戦を終えて、ANTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)で国内合宿開始。この時は育成選手を含む、国内組のみで強化合宿をスタートさせた。

翌日13日には世界選手権に向けた記者会見が行われた。14日の早朝に東京を後にし、僕は一旦鈴鹿に戻った。代表活動で約1ヶ月三重バイオレットアイリスを離れる事になるので、不在時の引き継ぎを行うためだった。

JHL前半13試合の振り返り&ブレイク期間の目標設定、この部分をチームとしても、個人としても明確にしておく必要があった。14日から16日まで3日間で個人面談と不在時に指導に入ってもらう梶原BMとの打合せを重ねた。

フィジカルトレーニングに関しては個人個人にメニューを提示し、ボールトレーニングに関しては不在時のテーマと、各週ごとの目標を梶原BMと詰めていった。ボールトレーニングに関しては、梶原と中心選手3名とが週1回集まって、その週の振り返りと翌週のメニュー作成を行う。こんな感じで1週間を回していく計画を立てた。

1週間に一度はチーム内でのミニゲームや練習試合を組み込み、ゲーム形式のメニューの映像データを随時送ってもらって確認できるように準備した。途中、中部大学富田監督をゲストコーチに招きポストプレーやDFを中心に指導してもらった。

選手個々のコンディションについてはコンディショニングアプリの導入と佐久間トレーナー、木本トレーナーと常に情報共有しながら進めていった。

話を日本代表に戻そう。11月12日から19日までANTCでの国内合宿、そして11月20日から30日までがスペイン&オランダ遠征、そして12月1日から世界選手権2017ドイツ大会開幕。ざっとこんなスケジュールだった。

国内合宿では今回の世界選手権に向けたメンバーに加え、大学生&日本リーグから合計4名の育成選手も加わり約1週間の強化合宿を行った。世界選手権で日本の攻守のベースとなる部分を詰めていく作業が中心だった。

11月19日深夜、国内合宿を終えて空路で欧州へ。スペインのマドリッド空港で海外組の亀谷&池原が合流。これで今回の世界選手権にエントリーしている選手19名全員が揃った。

スペインと言えど、滞在場所はアフリカ大陸。モロッコにあるスペイン飛地領のメリリャでスペイン国際(ウクライナ、スペイン、アルゼンチンとのテストマッチ)を中心とした強化遠征を行った。国内合宿で固めてきた自分たちのスタイルをテストマッチの中で詰めていく日々が続いた。

練習に練習を重ねてコンビネーションを確立させていくと言うよりも、大体こんな感じのハンドボールをすると言うフレームを作っておいて、実戦形式の中で煮込んでいく。一般的な欧州のコーチがとる手法をウルリクもとっていた。

とは言え、本大会直前のテストマッチでは勝利という結果も欲しいというのが本音。ところがこのスペイン国際では一勝もすることが出来なかった。同じ敗戦でもウクライナ、スペイン戦では自分たちのやりたいハンドボールをある程度展開できての敗戦だった。

ところが最後のアルゼンチン戦では相手に日本の攻守を徹底的に研究されて、自分たちハンドボールすらさせてもらえずにフラストレーションのたまる内容での敗戦だった。

【スペイン国際】
日本 24-25 ウクライナ
日本 22-26 スペイン
日本 21-26 アルゼンチン

この時に感じていたのは、本大会も予選ラウンド5試合が進むにつれて日本は研究、対策されるだろう。それを大会中にもう一歩上回る必要があるということだった。

11月27日、スペイン国際を終えて空路でオランダへ。世界選手権に向けての最終調整の地がオランダだった。ここではブンデスリーガ1部のクラブとのテストマッチが組まれていた。このテストマッチが本大会に向けての最後の実戦形式の機会だった。

それにも関わらず、ここでも望んでいる結果、内容には程遠いものになってしまった。ラストテストマッチの後は流石にチーム内に動揺が走った。

でも誰も助けてくれない。今いる選手&スタッフで乗り越えるしかない。こんな時こそ、他者に目を向けるのではなく、大切なのは己に目を向けること。チームが何処に向かっているのかを理解し、その中で自分に何ができるかを考え、整理し、行動に移すことだ。今向きあうべきは自分自身。分かりきってはいるが、こんな時だからこそ、そんな当たり前のことを確認しあった。

【ラストテストマッチ】
日本 23-32 HSG BLOMBERG

スペイン&オランダでのテストマッチ4試合を終えて明確になったことは、自分たちのやろうとしているハンドボール、プレーができないと勝利どころかクロスゲームにさえ持っていけないということだった。

逆に言えば、こうやって守る、こうやって攻めるというベーシックな部分が徹底できている時は日本はちゃんと戦えている。

11月30日にオランダを出発する直前のミーティングで、もう一度自分たちのやろうとしているハンドボールを明確にした。うまくいっている時、うまくいっていない時、それぞれどうなっているのかを整理して、プレーに迷いを無くしてもらうことが目的だった。

この頃、僕はサッカー南アフリカW杯の直前もこんな感じやったんかなぁと、岡田武史監督の元で若き本田圭祐が躍動し、予選グループを勝ち抜いたあの大会をイメージしていた。

ありとあらゆるネガティブな要素が本番前に出てくれて良かった。そこに気づけずに本番に行くよりも、そこを直視する機会持てて良かった。あとは雨降って地固まるじゃないけど、本番では好転していくんちゃうかなぁと考えていた。

11月30日の夕方前には陸路でドイツ入り。ドイツ入りしてからも、ボリュームを調整しながらも、ミーティングとトレーニングを繰り返していた。

自分たち(日本チーム、日本人)の強みは何か、対戦相手に関わらずここだけはブレずに貫こう。こういうスタイルで戦おう。試合の中で困難な局面にぶつかった時に立ち返る原点を明確にした。その上で対戦相手に対して、今回はこうやって戦う。というプランを理解し、実践する。

ここまで出来てようやく、接戦に持ち込むことができる。そして試合の中で、対戦相手が対応してきた時にチームとしても、個人としてその対応を上回ることができれば勝点が見えてくる。1試合の中で勝ち点を取るまでにこの2段階をイメージしていた。

そして予選ラウンド試合が進む中でも、次から次へと日本に対して、対策を練ってくるので、最初に通用していた部分も通用しなくなってくる。その山や変化を5試合の中で乗り越えることができれば予選ラウンド突破が見えてくるのではないかと考えていた。

つまり自分たちのスタイルを出し切るのは大前提、尚且つ1試合の中での変化、大会中の変化にチームとしても、個人としても対応していくことが予選ラウンドを突破する鍵になると考えていた。

死のグループと言われた予選ラウンドグループCの試合日程は下記のように、2日試合をやって1日休みの流れで進んでいく。

12月2日 vsブラジル
12月3日 vsデンマーク
12月4日 No Game
12月5日 vsモンテネグロ
12月6日 vsロシア
12月7日 No Game
12月8日 vsチュニジア

上位4チームが決勝トーナメントに駒を進めることができる予選ラウンド。下馬評では日本は予選敗退が濃厚とされていた。

12月2日、運命のブラジル戦。 日本 28(15-13 13-16)28 ブラジル

前半を3点リードで折り返し、自分たちのスタイルで戦えていた。後半終盤に、中心選手のアモリム&ロドリゲスがこれでもかと個人技で得点を狙ってきた。広げていたリードをみるみる縮まっていった。それでも何とか土俵際で踏みとどまり同点でブラジル戦を終えた。

12月3日、デンマークとの一戦。 日本 18(5-16 13-16)32 デンマーク

前日のブラジル戦を元にデンマークは日本を徹底的に研究し、対策してきた。日本の3-3DF対策からかデンマークは試合開始直後から7人攻撃を駆使してきた。フィジカルコンタクトに優れた大型のポストプレーヤーにライン際を制圧され続けた。ウルリクの母国デンマークに日本は一蹴された。

大会中の変化、対策されると言う現象が今まさに目の前で起きていた。幸いなことに、デンマーク戦の翌日は試合がない。今自分たちにどんな変化が起きているのか。チーム全体で共有し、モンテネグロ戦への準備を進めた。

12月5日、モンテネグロ戦。 日本 29(12-15 17-13)28 モンテネグロ

前半3点ビハインドをひっくり返しての劇的な逆転勝利。試合中の変化に対して、選手が見事に対応してくれた。ウルリク采配的中だった。大型左腕のブラトビッチなど世界的名手を擁するモンテネグロに初めて勝利を手にすることが出来た。タイムアップのブザーともに歓喜の輪ができた。

強豪国モンテネグロに勝利できたことは、素直に嬉しいことだ。しかし、今大会の目標はあくまでも予選ラウンドを通過して、決勝トーナメントで一つでも上の順位に駒を進めること。ブラジルに引き分けることでも、モンテネグロに勝利することでもない。

予選ラウンドはあくまでも5試合終わった時の勝点と順位が全て。目先の勝敗に一喜一憂してはいけない。一刻も早く次のロシア戦に意識と行動を向ける必要がある。試合会場から宿舎に戻るバスの中で「目の前のことに集中する」この事を全員で確認しあった。

12月6日、ロシア戦。リオ五輪優勝国の女王ロシア。 日本 28(11-13 17-16)29 ロシア

世界チャンピオン相手に真っ向勝負を挑み、何度離されそうになっても懸命に食らいついていったがあと一歩及ばす。世界王者を土俵際まで追い詰めたが、惜しくも1点差での敗戦。

ここまで4戦を終えて1勝2敗1分勝点3。予選ラウンド最終日のチュニジア戦に勝利すれば自力での予選ラウンド突破が決まる。モンテネグロvsブラジルの結果次第3位通過か4位通過が決まる。そんな条件下でのチュニジア戦だった。下馬評では日本有利の声が聞こえてきたが、欧州各国で活躍する選手を多数擁するチームがチュニジアだった。中でもCBチェバ(チュニジア代表として1000得点)警戒が必要だった。

この時に頭に浮かんだのはラグビーのエディーJAPANだった。W杯で世界の列強を薙ぎ倒したものの予選リーグを突破できなかった。おりひめジャパンは石に噛り付いてでも決勝トーナメント行くぞって人で勝手にイメージしていた。

12月7日、天下分け目のチュニジア戦。 日本 31(15-6 16-7)13 チュニジア

試合の序盤こそ、チェバに得点を許し拮抗した展開だったが、終わってみれば18点差での圧倒的勝利。メンタル的に非常にプレッシャーの掛かる試合だったが選手は自分との戦いに打ち勝ってくれた。

日本の試合後に行われたモンテネグロvsブラジルの試合が引き分けだったこともあり、2勝2敗1分で日本とモンテネグロが勝点5で並んだが、直接対決を制した日本がモンテネグロを上回り、3位で予選ラウンド突破を決めた。

【世界選手権予選ラウンドグループC】
日本 28(15-13 13-16)28 ブラジル
日本 18(5-16 13-16)32 デンマーク
日本 29(12-15 17-13)28 モンテネグロ
日本 28(11-13 17-16)29 ロシア
日本 31(15-6 16-7)13 チュニジア
※5戦2勝2敗1分 勝点5 3位通過

12月9日、決勝トーナメントの行われるマグデブルグへ電車移動。

決勝トーナメントの相手は前回大会準優勝国のオランダに決まった。マグデブルグへ移動直後からオランダ戦への準備が開始した。連戦からの疲労に配慮しながら、オランダ戦に向けてのミーティングとトレーニングを重ねていった。

勝敗に限らず次の試合があった予選リーグから、負けたら終わりの決勝トーナメントがいよいよ始まる。世界の強豪国はここからギアチェンジしてくる。この舞台でなければ体験できない本当の闘いがいよいよ始まる。

12月11日、オランダ戦。 日本 24(10-10 10-10 1-3 3-3)26 オランダ

前半、後半では決着がつかず延長戦まで縺れる大接戦だったが、2点差での敗戦。予選ラウンドで機能していた日本の攻撃も徹底研究されている様子だった。前回大会準優勝国相手に堂々たる戦いを繰り広げたが日本はここで敗れた。

【決勝トーナメント】
日本 24(10-10 10-10 1-3 3-3)26 オランダ
※ベスト16で敗退

11月12日の国内合宿から約1ヶ月、今回の世界選手権に向けてのこの日本代表チームに最も遅く合流したのが僕だった。チームの目標とその中での自分の役割を明確にすることからのスタートだった。約2週間の準備期間で求められていること(これはスタッフにも選手にも直接聴いた。)出来ること、出来ないこと、、優先順位の高いこと、これらは何なのかを考えて動いた。

自分が任されるトレーニングの10分なり1時間だったり、ミーティングで使う分析動画だったり、ウルリクの意図を選手にいかに伝えるかだったり、選手の声をウルリクに届けるかだったり、練習でも試合でも、自分の関わるこの仕事が世界選手権という最高の舞台の何処かに出てくる。日本の未来に直結していると思ってこの仕事をしていた。

準備期間の2週間、大会期間の2週間で僕が何よりも意識していたのは選手のコーチャビリティー(コーチングを受ける能力)を高めて行くことだった。

ウルリクがどんなゲームプランを持っていて、その中で自分はどんなプレーをするのか、ウルリクが出した指示の意図は何なのか、練習メニューやミーティングは試合のどの部分を抜き取っているのか、そんなことを常に構造的に理解して事に当たる。

もっと言えば、今回の大会を終えて、それぞれの国、リーグ、チームに戻った後が大切だと考えていた。所属チームのスタッフと共に今回掴んだ世界との距離感を元になりたい自分に近づいていけるようにと思ってアプローチしていた。

もちろん日本代表チームは次回の熊本世界選手権や東京オリピックやそれ以降も続くわけなのは間違いないが、今回の世界選手権、代表コーチというのは、もしかしたら一生で最初で最後かもしれない、そういう思いで今回の仕事をしていた。

日本のハンドボール界において本流とは程遠いアウトローの僕にとっては日本代表とか世界選手権という場はそれくらいのものだった。

今回の日本代表チームのどんなプレーが通用し、どんな選手が活躍できるのか、そして世界はそれをどのように対策してくるか、事前に予想していた範囲内のこともあれば、想像を超えていた部分もあった。

小学生、中学生、高校生、大学生の頃からやってきた1対1のフェイントや牽制をしながらのDFは日本人が世界で戦う上での武器になることが改めて分かった。

そしてそれを出し切れるメンタリティと攻守において接触されてもプレーしきれるフィジカルの強さは言うまでもなく必要だ。

7人OFとそれを凌ぐDF、英語は標準装備だなと感じている。

この1ヶ月掴んだ世界との距離感そして得た経験を、三重バイオレットアイリスの選手たち、そして講習会などでこれから関わるであろう若い選手にしっかりと還元していこう。

今回素晴らしい機会をくださった日本ハンドボール協会、ともに戦った日本代表チームのスタッフ&選手、日本代表チームを応援してくださった皆さん、何より1ヶ月もの間送り出してくれた三重バイオレットアイリスの選手&スタッフ、そして家族。

本当に本当にありがとうございました。



日本代表チームのコーチへ

[ 三重バイオレットアイリス ]

2017年11月13日に東京で、おりひめジャパン(女子ハンドボール日本代表チームの愛称)のドイツ世界選手権の記者発表および壮行会が行われた。

すでに日本ハンドボール協会(以降、JHA)やネットニュースからもリリースがあったが代表チームのコーチとして今回の世界選手権に帯同させて頂くことになった。

日本リーグのブレイク期間、そして世界選手権の開幕直前のこのタイミングで代表チームのコーチに就くことの意味、役割を噛み締めているところだ。

JHAの今年度の新会長、新役員が決まり、そこから一気に事が動き出した。11月に入ってから正式にJHAから三重バイオレットアイリス側(以降、MVI)に代表チームコーチのオファーがあった。

そこからJHAとMVIとで協議を重ね、日本リーグの年内最終戦が行われる11月12日の直前にようやく基本合意に至った。

広島メイプルレッズ、オムロンとの連戦を終えて、年内最後のホームゲーム、大阪ラヴィッツ戦への準備を進め、集中力を高めていく中で、MVIの選手たち代表チームコーチの件を自分の口から説明した。

非常に難しいタイミングだったが、11月12日の大阪ラヴィッツ戦の試合後には東京入りして、日本代表に合流し、13日には記者発表&壮行会が予定されていたのでオムロン戦と大阪ラヴィッツ戦の間にMVIの選手たち伝えるしかなかった。先週末の大阪ラヴィッツ戦までは日本リーグに集中していて、代表コーチの話題に周囲がいくら触れても、意識的に大阪ラヴィッツ戦のことだけを考えていた。

代表チームに合流して直ぐにスタッフMTG。チームの目標と自分の役割を確認した。そして昨日の記者発表、壮行会を終えて今は一度、東京を離れて鈴鹿に戻ってきてる。

記者発表を終えて、一度鈴鹿に戻ることは事前にJHAに了承済み。そして代表選手たちにも一度チームを離れることと、その理由を伝えさせてもらった。

あまりにも急な話でもあり、僕が今回の活動で約1ヶ月、MVIを離れるためにその期間の準備が必要だからだ。チーム&個人の目標設定、活動プランの共有など、チームを離れる期間の引き継ぎを済ませてから17日に代表チームに再合流の予定だ。事前に了承済みとはいえ、代表活動スタートの大切なこのタイミングで、一度鈴鹿に戻ることに理解してくださった代表スタッフ、代表選手にはこの後の17日から自分の仕事で必ず返す。

日本リーグのブレイク期間のこの1ヶ月半の大切は嫌と言うほど理解してる。世界選手権が終わって帰国すれば直ぐに日本選手権、そして日本リーグが再開する。プレーオフ争いの真っ只中、そして現場スタッフが監督の僕一人でコーチ不在というMVIにとって今回の話は大きな決断だった。代表コーチの話=名誉なこと=はい分かりました。そんな簡単なものではなかった。

MVIはまだ1シーズン、1ゲームが勝負の時期。クラブとしての長期計画は持っているが、それと同時に目先のことに拘りまくっている時期でもある。

大きな視点で捉えた時に指導者の僕自身が世界の最前線を感じて、世界とのモノサシを手にいれることで選手にも、クラブにも、三重県にもプラスにできる。

どちらの視点も必要だ。そしていつも答えはシンプルに。答えは自分の中にある。

「指導者である僕自身が誰よりも成長するために力を注ぎ、誰よりも学ぶ。誰からも学ぶ。」

いつも監督係の僕をいじり倒してくれているMVIの選手たち、日本リーグのブレイク期間のこの時期にチームを離れることなる。少しずつ自立してきたとは言え、初めて1ヶ月もチームを離れることなって不安な部分も少なくないと思う。(大嫌いな監督係がいなくなって更に伸び伸びしちゃうかもしれへんけど。)ほんまにしばらく留守にしますがチームをよろしくな。

僕が不在の期間は梶原BMにハンドボールトレーニングを任せることになる。スポンサー営業で忙しいこの時期に「日本のために行ってこい」と背中を押してくれたのは今でもフルスロットで動いてくれている梶原を始めとするMVIのスタッフだった。

そして、ただでさえ、寝る時以外はハンドボール、ハンドボールの生活の中で家族との時間も殆ど持てていないのにも関わらず「行っておいで〜」といつもの調子で送り出してくれた妻。

東京から鈴鹿に戻る新幹線の中で、このブログを書いている。

そう意味を含めて、「日本リーグのブレイク期間、そして世界選手権の開幕直前のこのタイミングで代表チームのコーチに就くことの意味、役割を噛み締めているところだ。」ということなのだ。

何よりも誰でもそう簡単に巡ってくるチャンスではない。全身全霊を注いでチャレンジするだけの価値が、日本代表チームや世界選手権にはある。日本代表や世界選手権とはそういう舞台だと思う。そしてそれと同じだけのやり甲斐と未来がMVIにもある。

成功を信じて全力でチャレンジするのみである。



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