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三重バイオレットアイリス2018/2019シーズンを監督係目線で振り返ってみる

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本当に色々あった1シーズンだった。毎年、毎年色々あるが、今シーズンもエキサイティングでタフなシーズンだった。三重バイオレットアイリスの2018/2019シーズンを監督係目線で振り返ってみようと思う。

【プレーオフ】
いきなりだが、先ずはプレーオフの関して振り返ってみる。オムロン戦に関して、一言で表現するのであれば「無念」これに尽きる。前半はほぼゲームプラン通りの試合展開だっただけに後半立ち上がりの失速が本当に悔やまれる。一年間の集大成。一発勝負のプレーオフのオムロン戦は今シーズンの縮図のような60分だった。1シーズン通しての良い波も、良くない波も、60分の中に凝縮されていた。分かっているけど、ノーマークシュートを決めきるのは簡単でもあり、難しくもある。

【2つの大前提】
次に今シーズン全体を振り返ってみる。と、その前に大前提としてシーズン前から頭に入れておく必要のあることが2つあった。チームのメンバー構成(GKと右サイドをどうするか?)と自分自身の日本代表コーチ活動(不在期間をどうするか?)についてである。
GKと右サイドをどうするか?
一点目のメンバー構成について、昨シーズンから今シーズンにかけて引退者及びチーム退団者はゼロ。しかしGK高木が産休、右サイド島居がケガでリーグ開幕には不在。主力2名を欠く厳しい状況でのシーズンスタート。GKは岩見、花村。右サイドは当初、水谷、佐野、そして團あたりの併用を考えていた。

【三重バイオレットアイリス監督と日本代表コーチと】
二点目は自分自身の日本代表コーチ活動について、日本リーグ開幕前の殆どの期間と11月中旬からブレイク期間にチームを離れることになる。日本リーグ開幕までの4^9月まではアジア競技会(ジャカルタ)へ向けて、日本リーグブレイク期間はアジア選手権(熊本)へ向けて、レギュラーシーズン中以外の約130日、僕は鈴鹿を離れることになり、この期間は梶原BMにチームを託すことにしていた。社会人選手権は出場回避、国体&日本選手権の2つのトーナメントは梶原が指揮をとり、僕は日本リーグに集中させてもらうことにした。

【福井国体、そして日本リーグ序盤戦】
9月上旬、アジア競技会を終えてチームに戻った。直後に福井国体が控えていた。ここでは梶原がチームの指揮をとってくれた。僕はベンチに入りながら、チームのサポート役に回った。結果は初戦の福岡県(福岡大学)には大勝し、翌日の石川県(北國銀行)には大敗だった。福井国体を終えて、鈴鹿に戻りここまでチームを率いてくれた梶原からバトンタッチして本格的に僕がチームを観るようになっていった。そして、数日後には日本リーグが開幕。年内の10試合はチームのベースを作りながらの戦いが続いた。目先に勝利に当然拘っているが、「今シーズンこのチームはこうやって戦っていく」というベース作りも並行して行っていた。戦いながらチームを作っている。そんな感じだった。懸案事項の右サイドも森本と河嶋を右BPと右サイドをある程度自由に交代しながら回せるように二人をセットで投入したり、ルーキー團のスピードプレーを試してみたり、試行錯誤する試合が続いた。

【司令塔の離脱と前半10試合】
そうこうしていると、前半6試合を終えたところで司令塔の加藤も膝のケガで離脱。シーズンの残り3/4にあたる18試合を司令塔不在で切り抜けていく必要に迫られた。。11月に入って北國銀行、オムロン、SONYと勝負の掛かった上位チームとの戦いも3連敗。結局、前半戦10試合を終えて4勝5敗1分、この時点で6位。そしてアジア選手権の参加する為に、原、多田と僕はチームを離れた。

【日本選手権に向けて 救世主・梶原】
この期間にチームの立て直しを図ってくれたのが他でもない梶原だった。前半戦に作りあげたベースに則った上で、シンプルに目の前の相手を攻めることの大切さを説き、その徹底を図ってくれていた。アジア選手権を終えて日本代表組がチームに戻り、12月末の日本選手権を迎えた。シーズン前の予定通りこのトーナメントも梶原が指揮をとってくれた。日本リーグの前半戦で2連敗を喫していたオムロンに10点差以上の大差をつけて勝利を収めた。初の決勝進出を狙った準決勝の北國銀行戦では前日の大勝が嘘のようにボロ負けした。とは言え、3年連続の大会ベスト4進出を果たすことができた。

日本選手権後、梶原本人曰く「日本選手権前のチャレンジカップ(HC名古屋、SONYとの)を開催できたこと。実戦形式で指揮をとることができたことが大きかった」とのこと。実際にこの大会でSONYは優勝、僕が観ていてもそれは強く感じた。
日本リーグ後半戦に向けて
12月末、日本選手権後。梶原からバトンタッチを受けて僕が再びチームを指揮していくことになった。梶原とも話し合って、攻撃に関してはそのまま彼に見続けてもらう形で日本リーグ後半戦に向けて準備を整えていくことにした。良いものはそのまま継続していこうと思った。

1月は4週連続で週末2連戦が続き合計8試合が控えていた。右サイドの島居はリハビリに苦しみ戦線復帰に目処が立たず、運動量あるDFで何度もチームを救ってきた中田もこの時期にコンディションを崩して戦線から離れていた。普段の練習に僕や梶原が加わらないと6対6が出来ない年末年始の練習だった。

【この時に監督係が考えていたこと】
この頃に僕が考えていたこと。それは「リーグ後半戦プレーオフ争いを生き残る為どうしていくか?」「調子が悪い時にどう勝点を積み重ねていくか?」「その為には何が必要か?」だった。つまり「もう今日は調子が悪いからしょうがない」「自分の思う通りにいかないからしょうがない」ではダメだということだ。想定外のことが起きようが、思う通りにプレーができなかろうが、ここから先の戦いでは苦しい時にどれだけやり抜けるかが大事になってくる。

【心を整えるが8割】
上手くいかなくて精神的に追い込まれた時に、心を整えて、人の話を聞いて(戦術を頭に入れて)次のプレーでそれを表現できるか?上手くいっている時は当たり前にできていることを、精神的に追い込まれた状況の中でもやり切れるか?ここが勝負の分かれ目になってくると考えていた。こうした部分は数値化することが難しいが、直感的にそう感じていた。いくら戦術的なことや作戦を周りが授けても、それを遂行できる精神状態でなければ絵に描いた餅。時間、点差、対戦相手、仲間のメンバー構成、ベンチの向き、そういった事を常に頭に入れて最適の戦術を選択し、最高のプレーを表現する。その為には心を整えていく必要がある。

【戦術は6割】
例年、日本リーグまでの準備期間に個人能力向上系のトレーニングを徹底的に行うのだが、今シーズンは先に(前半戦を通して)チームの型を作ることを優先した。そうせざる得なかった。後半戦は戦術的には6割くらいのフレーム(因みに前半戦は8割くらいのイメージ)を作りながら、勝負ところで選手が自分たちで決断して乗り越えていけるようなアプローチに切り替えていった。日々の練習でもルールや状況設定が変わるメニューにシフトさせていき、常に状況判断や意思決定が必要な状況を選手にぶつけ続けたい。徹底的に個人の強化を図ることにフォーカスしていった。とは言え、こうしたアプローチに即効性はあまりない。それでも勝負ところでこうした部分が必要になってくると信じていた。前半戦に作った型を後半戦に伸ばした個人能力でやりきることができれば、どこかで爆発してチームは一気に加速する。それが間に合わなければプレーオフにたどり着けない。それくらい割り切って後半戦は自分たちの能力高めていくことに集中した。

【苦戦の1月、4週連続2連戦】
1月も暫くは苦戦が続いた、年明けの広島メイプルレッズ戦では前半一時8点リード奪いながらもじわじわと追い上げられての痛恨の逆転負け、しかもこの試合でここまで好調を維持していたGK花村が眼球を痛めて数試合プレー出来なくなった。ここで奮起したのがGK岩見だった。ホームでのオムロン戦、勝負のかかったアウェーでのブルズ戦をたった一人でゴールを守り抜きチームを勝利に導いてくれた。この2連勝で波に乗っていけるかと思った矢先の熊本でのHC名古屋戦ではまさかの1点差負け、更には1月末の大阪ラヴィッツ戦ではドロー。正しく崖っぷちの状況が続いていた。

【怒涛の6連勝、3年連続プレーオフへ】
しかし選手たちはこうした時も結果、内容、チーム、自分と正面から向かい続けてくれた。涙を流しながらの激論を重ねて、それでも前を向いて歩みを進めてくれた。上手くいかない試合での学びがあったから1月末から3月上旬にかけての6連勝に繋がった。1月の敗戦や引分けと正面から向き合うことなければ、2月頭の大阪ラヴィッツ戦で後半残り20分からの8点差をひっくり返した逆転勝利はなかった。

2月上旬の福岡でのSONYとの一騎討ちに勝利した事で、もう駄目だと諦め掛けていた周囲の空気が一変した。(やっている僕らはずっと自分たちで次第で何とでもなると思ってやっていたが)逆にここからが難しいもので、実質プレーオフ確定だの何だの、周囲の風向きが変わった。油断大敵である。こう言う時が一番危ない。勝負は下駄を履くまでわからない。僕らはまだ何も手にしていない。「ここからプレーオフを決めるまでにもう一山も二山あるよ」チーム内では盛んにこうした声が飛びかっていた。

今シーズンの日本リーグのプレーオフ争いを加熱させた要因の一つが、李美京を補強した飛騨高山BB岐阜だろう。しかし僕らとの第3戦を前にエース李はチームを退団し韓国へ電撃移籍していった。得てしてこう言う時こそチームは纏まるものだ。警戒していた通り、この時の飛騨高山BB岐阜は素晴らしい集中力を発揮。最後の最後まで一進一退の攻防が続き、多田のノータイム7mtで何とか一点差で勝利した。

そして翌週のHC名古屋戦、この日は条件次第でプレーオフ進出が決まる可能性がある試合だった。終始相手にリードを許す展開が続いたが、最後の最後で万谷が逆転打をねじ込み、辛くも一点差で勝利した。僕らの試合と並行して行われていたSONYが敗れた為に、僕らの3年連続プレーオフ進出が確定した。過去2シーズンは最終戦で共にHC名古屋に勝利してプレーオフを決めた。今シーズンは最終戦を待たずにプレーオフを決めることができた。しかし、やりきったと言う感覚は全くなく、今年こそプレーオフで勝利を掴みとろう。チーム全体がそう言うムードに包まれていた。

個人的にはシーズン終盤までプレーオフ争いで凌ぎを削りあったチームの分まで、やってやろうと言う気持ちが強かった。特に飛騨高山BB岐阜、HC名古屋とは東海のクラブチーム勢で切磋琢磨してと言う気持ちでやっているし、今シーズンは初めてシーズン終盤まで3チームともプレーオフ争いに絡んでいたので、尚更その気持ちは強かった。結果的にプレーオフでは前述の通り、今回も勝利を上げることはできなかった。まだ何かが足りない。

【4つのターニングポイントとそこからの学び】
今シーズンのターニングポイントになった試合はいくつかある。10月末に四日市で大敗した広島メイプルレッズ戦、年明けの8点リードから逆転負けを許した広島メイプルレッズ戦、熊本で1点差で破れたHC名古屋戦、1月末の引き分けに終わった大阪ラヴィッツ戦。特にこの4戦(敗戦や引き分け)からチームとしての学びが多かった。この4試合はいずれも、苦しい展開になった時に踏ん張りきれなかった試合だ。

年末年始に感じていた、上手くいかない時にも勝点を積み重ねていくって部分。4つのターニングポイントからの学び、正面から向き合うことがなければ終盤の6連勝はなかった。6連勝中も決して簡単な試合ばかりではなかった。むしろ苦しい試合の方が多かった。大逆転の大阪ラヴィッツ戦、1点差の接戦を制した飛騨高山BB岐阜戦、HC名古屋戦とまさしくそんな試合展開だった。それでも選手たちは苦しい展開の時こそ、声を掛け合い、勇気を出して前を狙い続けて勝利をもぎ取ってくれた。

【若い力の台頭】
シーズン前の懸案事項だったポジションでは岩見、花村の両GK、右サイドに團、森本、センターに林と新しく入った選手がきっちりと役割を果たしてくれた。また後半戦の快進撃の影の立役者はDFとFBで存在感を示した細江だった。森本や細江の台頭は当初シーズン前の構想とは違う形だったかもしれないが、競争と協力の中で自然にハマっていった感がある。

【存在感を示した主力陣、修羅場をくぐり抜けてきた彼女たち】
またこうした新しい力を引き出しながら、シーズン終盤戦の大事な時にチームを牽引してくれたのは万谷、原、多田、近藤ら主力陣なのは言うまでもない。過去2シーズンプレーオフ争いの数々の修羅場を潜り抜けてきた彼女たちは観ていて本当に頼もしかった。

【今、監督係が考えていること】
終わってみれば、レギュラーシーズン24戦13勝9敗2分勝点28(前半戦10戦4勝5敗1分、後半戦14戦9勝4敗1分)で駆け抜けることができた。平均得点に目を向けると前半戦19.2点、後半戦23.8点と4点以上、得点力を上積みすることができた。これは日本選手権以降、攻撃をほぼ任せていた梶原の存在が大きい。

バイオレットの監督とおりひめJapanのコーチの両立はもちろん簡単ではなかったが、やり甲斐があった。梶原との二人三脚はシーズンが深まるにつれ、面白味と手応えを感じていた。この部分は選手、梶原、そしてスタッフに感謝しても仕切れない。

プレーオフの切符を掴み取るまでの経験全てが選手とクラブの財産。いい時ばかりではなく、苦しい時に勇気を持ってチャレンジできるか、一致団結できるか。ごく当たり前のことだが、後半戦になるにつれて我々が大切にしているそういった部分を選手たちがプレーで表現してくれるようになった。心を整えること、選手の人間的な成長がチームの勝利に繋がっている事を再確認できた。プレーオフ単体では純粋にシュートを決めきることの大切さと難しさを痛感した。

春先から種まきしていた速攻やスカイプレーなどリーグの後半戦の苦しい場面で自然で選手たちがコートで表現できた。前半戦にチームのベースを作り、後半戦に個人能力を伸ばす方向でやってきたことが、1月末以降に勝負がかかった場面で少しずつプレーに出始めた。
今シーズンも決していい時ばかりではなく、むしろ苦しい時の方が多かった。そんな時ホームゲームでの大声援が本当に力になった。アウェーゲームでも応援に駆けつけてくださる方の存在に勇気を頂いた。プレーオフでは初勝利の喜びを共有することは出来なかったが、3年連続プレーオフ出場を果たせたのは選手の努力と多くの方のご支援があればこそ。

一年間本当にありがとうございました。



アジア選手権2018を振り返る

[ おりひめJAPAN ]

11月30日から12月9日まで日本代表チームコーチとして熊本県でアジア選手権を戦ってきた。結果は決勝戦で韓国に敗れて準優勝。アジアチャンピオンにはあと一歩届かなかった。

8月のジャカルタでのアジア大会では準決勝で中国に1点差で敗れ銅メダルに終わった。今回は準決勝で中国を撃破し決勝戦に進むことはできた。しかし決勝戦で韓国に勝つことは叶わなかった。決勝戦、前半を1点リードで折り返していただけに、後半逆転を許しての敗戦は本当に悔しい。それでも一歩前進しての銀メダル。

少し時間軸を戻して、今回のアジア選手権を元にした約1ヶ月の代表活動を振り返ってみる。

11月13日から今回の日本代表活動はスタートした。場所は東京。日本リーグ前半戦を終え、インカレを終え、欧州各国での闘いを中断して、代表選手たちは東京に集まってきた。

自国開催のチャンピオンシップを戦う準備として、戦術的な準備だけではなく、計画性を持った栄養補給、メディア対応といった部分でも綿密に準備を重ねていった。何よりもチームで大切にしていたことは目の前の一戦一戦に集中すること。これに尽きる。

アジア各国の大型選手を想定して男子大学生、男子高校生とのテストマッチを重ねながら熊本入りした。

予選ラウンドは4戦全勝1位通過で準決勝へ駒を進めた。予選ラウンドのハイライトは互いに3戦全勝同士の対戦となったカザフスタン戦だろう。身長180cm、190cmを超える大型選手に対して機動力で上回り、フィジカルコンタクトでも負けることはなかった。攻守ともに日本のアグレッシブな部分が相手を上回った。

準決勝の相手は中国。ドイツ人監督招聘後、着実にビルドアップが進んでいる印象の中国。8月のアジア大会では大型選手の破壊力ある攻撃を防ぎきれずに1点差で敗れた。今回は前回対戦からの課題を修正することができた。ロングシュートに対して中央のDF陣が果敢に利き腕側からの身体接触を繰り返し、ライン際の攻防でもポストに対して人数を割いて守り抜くことができた。苦しい時間帯が続いたが、選手たちが自信を持って戦い抜いてくれた。

決勝の相手は韓国。アジア大会では決勝で中国を破り韓国が優勝。現在のアジアの頂点に君臨しているのが韓国だ。試合開始序盤から日本の攻撃が韓国DFを上回り1点リードでハーフタイムを迎えたが、前述の通り後半一気にトップギアに入った韓国に逆転を許して5点差での敗戦。後半攻撃の停滞による7連続失点。なりふりかまわず得点を狙いにきたNo11サウスポーRYUの個人技を守りきれなかったこと。このあたりが試合の中で修正しきれなかった。惜しくも金メダルには届かなかった。

2018年の日本代表の活動はこれで一旦終了。アジアの頂点、金メダルを目指して今回の活動だったので銀メダルに終わった今回の結果に対して悔しい気持ちがあるのは当然だ。それでもこの大会を通して選手一人一人大きく成長してくれた。今回の課題と手応えを整理して、前を向いてこれからに繋げていこう。大学、日本リーグ、デンマーク、ドイツで一人一人がそれぞれの場所で成長を続けていこう。日本代表としての世界の最前線と対峙している以上、前を向いて最善を尽くす以外の道はない。

最後に今回のアジア選手権全体を通して。11月末に熊本入りしてから、熊本の皆さんには本当に良くして頂いた。公式練習会場、試合会場、活動拠点になったホテルなど熊本滞在中どこへ行っても熊本の皆さんの温かさが本当にありがたかった。そしてどの試合、どの会場でも超満員の応援スタンドからの「日本コール」に勇気を頂いた。皆さんからの熱い応援、本当にありがとうございました。

個人的にも、2006年までプレーしていたホンダ熊本の元チームメイトやスタッフが試合を観にきてくれて「ザビ」って2階席から声をかけてきてくれたり、当時お世話になった熊本の先生方が「頑張れよ」って試合会場で声をかけてきて下さったのは本当に嬉しかったし、懐かしかった。

今回のアジア選手権に関わって下さった全ての皆さん本当にありがとうございました。そして三重バイオレットアイリスに関わる全ての皆さんも約1ヶ月の留守を本当にありがとうございました。

《アジア選手権2018戦績》
・予選ラウンド (4戦4勝1位通過)
日本 41-5 ニュージーランド
日本 37-18 オーストラリア
日本 31-8 イラン
日本 31-24 カザフスタン

・準決勝
日本 23-21 中国

・決勝
日本 25-30 韓国



アジア大会2018を終えて

[ おりひめJAPAN ]

アジア大会を終えて帰国した。予選ラウンドを4戦全勝で1位追加。ベスト4で中国に1点差で敗戦。その後の3位決定でタイに勝利して銅メダルで大会を終えた。

金メダルは韓国、銀メダルは中国、銅メダルは日本。目標としていた決勝戦には一歩届かずだった。悔しい気持ちもあるし、銅メダルを獲得できた事に喜びや誇りも感じている。というより感じるようにしているという方が正確かもしれない。やはり悔しい気持ちは小さくない。

2017年の世界選手権以降、2018年に入ってからジャパンカップ@高崎でのポーランド戦、デンマークでのコペンハーゲン戦、熊本トライアルゲームズのニューコビン戦などを通じてこのアジア大会に向けて準備を進めてきた。

若干のメンバーの出入りや、けが人などはあったが、おりひめJAPANとして一歩一歩ビルドアップさせながらアジア大会に臨んだ。開会式よりも早く現地入りし、予選ラウンドを戦っていった。40点台、時には60点を超えるハイスコアで予選4試合を勝ち抜いていった。その後急激に対戦相手のレベルが上がってのベスト4だった。

THW Kielのアシスタントcoach経験のあるドイツ人監督を招聘し、体格を活かしたスケール豊かなハンドボールを展開する中国との真っ向勝負の準決勝だった。前半立ち上がりは6-10の4点リード許すが、そこから巻き返し前半を終えて15-13の2点リードでハーフタイムを迎えた。後半も3点リードを保ちながら優位に試合を進めていったが、後半ラスト10分に逆転を許す31-32の1点差で敗戦。決勝には駒を進めることができなかった。

この敗戦から何を学び、次にどう活かすか。日本代表はそんな場じゃないのかもしれないが。それ以外にない。

ここから先はハンドボールの勝敗とは直接関係ないけど、ハンドボールやスポーツを通して僕自身が今回感じていたこと。

7月中旬から今回の活動はスタートし、デンマーク(スウェンボー&ニューコビン)、東京、熊本、東京、ジャカルタと約7週間も続いた日本代表活動だった。気候、食事、文化、民族、国の違いを感じとる事ができるなかなかユニークな7週間だった。

中でもアジア大会の開会式に参加できたことや、選手村での生活は普段なかなか経験できないものだった。

開会式で感じた高揚感は言葉にできないような素晴らしいものだった。

ハンドボールの日本代表の男子の選手やスタッフ、女子でも他の国の選手やスタッフ、または日本の違う競技の選手やスタッフと選手村の食堂やトレーニングルームで何度か顔を合わせて挨拶するようになった。

レスリング日本代表の選手やスタッフのトレーニングを見たり、話を聞かせてもらえたことは素晴らしい気づきになった。鈴鹿を拠点に活動する陸上の衛藤さんが「鈴鹿組で一緒に頑張りましょう」と部屋を訪ねてきてくれたのも嬉しい出来事だった。

台湾男子代表のちょう君、韓国代表男子コーチの白さんは日本リーグでも顔馴染みだったので、会うたびにお互いに声を掛け合っていた。中国代表コーチやタイ代表コーチとも、それぞれ代表チームのコーチっていう境遇もあってか試合会場で会うたびにどちらからともなく声を掛け合っていた。

また現地でのボランティアスタッフは片言の日本語で話しかけてきてくれたり、テレマカシー&サマサマ(ありがとう&どういたしまして)とインドネシア語で挨拶を交わしたり、練習会場や試合会場で割と顔なじみになって一緒に写真を撮ったりした。

2006年に日本を出てドイツでプレーすることを機会に僕は今まで自分が日本人であるということは割と意識して生きてきた。今回このアジア大会に参加して、自分がいるアジアのこと、全然知らないんやなって凄く思ったし、自分はアジアの一員なんだって自然に感じるようになった。

メダルセレモニーがひと段落して、原と多田が「しょうがないから一緒に撮ってあげますよ」って銅メダルを首にかけてくれたのは最高に照れ臭くて、最高にいい思い出になった。



鈴鹿にて

[ 三重バイオレットアイリス ]

今日は7月16日、今は東京に向かう新幹線。明日7月17日から本格的に日本代表活動が再開。デンマーク合宿、国内合宿を経て、アジア大会(ジャカルタ)という流れでの活動、次に鈴鹿へ戻るのは9月上旬になりそうだ。今回は1ヶ月半もの間、鈴鹿を離れることになるだろう。

6月26日から7月16日までの3週間弱は三重バイオレットアイリスの強化に集中していた。選手個々の成長を見極めながら、やる事を絞って強化を図った。限られた時間と機会の中で選手たちは集中して頑張ってくれた。1日、1回の練習、1プレー、1分、1秒無駄にはしない。そんな想いで本当に頑張ってくれた。

通常のトレーニングとも並行して、リクルート対象選手の受け入れ、ファン感謝デー、バイオレットJrカップ、トークセッション、公開紅白戦、選手との個人面談、大学生の夏合宿受け入れなど、未来への種まき&ホームタウン活動などイベント盛り沢山の毎日だった。

3連休前の2日間7月12日、13日は意識的に予定を開けて、梶原コーチと個人個人の成長とチームの強化の方向性をずっと話し合っていた。何だかんだ言って、梶原がいるから何とかやっていける。

3連休の初日7月14日は自宅から一歩も出ずに梶原コーチと共有した内容を元に、これからの事を整理していた。僕にとって、こういう時間&機会を持つことは大切なこと。意識的に考えを纏める時間を持たないと、集中して行動できない。

そして昨晩は池原綾香(ニューコビン)のおかえりパーティー。(古巣に顔を出してくれて嬉しい限りだ。)クラブのみんな、気の合う仲間でゆっくりと時間を過ごすことができた。高井さん、梶原の誕生日祝いと共に、妻の誕生日もみんなで祝ってくれた。江森(えもち)が新スタッフに加わってくれた。息子も照れ臭そうに、でも嬉しそうに「Super Violet Soul」の輪に加わっていた。クラブのイベント参加を楽しんでくれる家族がいるのもこれまたありがたい。

まだまだ道半ばではあるが、いいクラブになったなとつくづく思う。本当にこのクラブの監督係で良かったなと思うし、この選手たち、このスタッフと、この仕事ができて幸せやなと思う。毎日楽しくてしょうがない。

あーだこーだ言いながらも、限られた時間と機会である事を理解して、ハンドボールをやる時は、ぐっと集中して頑張る選手たちには感謝の気持ちしかない。まあ選手たちは「早く行ってくれ。もう帰ってくるな。おらん方がいい。」と言うやろうけどね。そう言う意味で、選手たちの集中力と結束力は凄まじいのだ。

この後、チームは7月末の東海ダービーを経て、8月2週目には国体東海予選へ挑むことになる。選手もスタッフも色んな想いを持ってこの国体東海予選に向かっている。本番のその場に全員が揃うことはできないけど、自分が関わった何かが、チームの何処かに関係している。みんなそんな想いでやっている。一隅を照らす。

暫くみんな離れ離れになるけど、選手もスタッフもそれぞれの場所で成長し、9月にまたみんなで会おう。



バイオレットJrカップ&紫桃戦 〜僕たちが大切にしていること〜

[ 三重バイオレットアイリス ]

気がつけば7月中旬。先週末はバイオレットJrカップ&公開紅白戦(紫桃戦)を開催。

全国各地から小学生ハンドボーラーが三重県に集結。各チームにバイオレットの選手たちがついた。

ウォームアップ&昼食を共にし、試合のベンチにも入り、試合の合間にはトークセッションも実施した。

トークセッションでは選手たちもその趣旨を理解した上で、主体的に子供たちと触れ合い、自分の想いを子供たち語ってくれていた。

「夢」「目標」「仲間」「協力」「感謝」「笑顔」「楽しむ」こんな様な事をキーワードにしながら、自分のこれまでの経験や大切にしてきたことを本気で話してくれた。「怪我」「苦しみ」「壁」を乗り越えて、今がある。

対戦相手がいるから試合ができる。レフリーがいるから試合ができる。お父さん、お母さんがいるから試合ができる。コーチがいるから試合ができる。体育館があるから試合ができる。ボールやシューズ、ユニフォームがあるから試合ができる。

自分が子供に声をかけたその一言が、その子の未来へ繋がっている。自分を成長させてくれた大好きなハンドボールの未来への種まきをしているのだという事を選手それぞれが考えてくれている。クラブチームの僕たちにとってこうした活動はとても重要。選手たちもその本質を理解した上で協力してくれた。

バイオレットJrカップの後は一般公開での紅白戦。通称「紫桃戦」。今回は20分×3本の変則ルール。ユニフォーム&シューターズの存在が選手たちをより一層ガチンコモードにしてくれた。スポンサーがついたユニフォームに袖を通し、シューターズを目の前にしてハンドボールができる。

これこそ三重バイオレットアイリスの選手としてハンドボールをプレーできる醍醐味なのだ。

バイオレットJrカップ&紫桃戦を終えて、選手たちはそれぞれ自分の言葉でこの日のことをSNS等で表現していた。その全てを紹介はできないがNo10の河嶋が「へんてこブログ」でその日の様子を綴っている。

子供たちとっても、シューターズにとっても、バイオレットの選手たちにとっても、素晴らしい時間になった。それを繋いでくれたのがハンドボールだ。



無毛な人たちの、不毛ではない会話

[ 三重バイオレットアイリス ]

5月23日から5週間続いたおりひめJAPANの活動も先日のJAPANカップ2018、日韓定期戦2018で一旦一区切り。6月26日に韓国から帰国し久しぶりに鈴鹿に戻ってきた。

5月中旬から下旬までのおりひめJAPANコーチとしての活動は、社会人選手権視察、フィジカルクリニック参加。

その後一旦MVIの活動に戻り鈴鹿経由で5月29日に韓国へ移動し釜山国際親善大会に参加。アメリカ戦、香港戦、釜山BISCO戦を戦った。

6月初旬、釜山国際親善大会3戦を終えたところで僕は原、多田、河嶋と共に釜山から東京、アムステルダムを経由してデンマークへ渡りおりひめJAPANに再合流。

MVI本隊はその後も国体を見据えたメンバーでオーストラリア戦、セネガル戦を戦った。MVIの釜山国際親善大会の戦績は3位(5戦3勝2敗)、大会ベスト7に加藤、團が選出された。過去に膝の大怪我をした二人が努力を重ねてこうして国際大会で正当に評価して貰えるのは本当に嬉しい。

話が前後したが、おりひめJAPANのデンマーク遠征に合流後、アイスランド、デンマークU20、デンマーク男子U16とのテストマッチを5月中旬まで重ねていった。世界選手権2017の戦術の再確認および新戦術&新加入選手のテスト、これらを繰り返しながらチームを再構築していった。

6月中旬にデンマークから帰国し、ヤングおりひめ(日本代表U24)との合同練習などを交えながら強化合宿を継続。6月21日に群馬県高崎市へ移動。いよいよJAPANカップ2018に向けての本格的な準備開始。対戦相手は欧州の強豪国ポーランド。

今回のJAPANカップはノンタイトルマッチとは言え、世界選手権2017のおりひめJAPANの躍進を経て、現在のチームの成長を日本の皆さんに応援して貰える絶好の機会。チーム内にとっても、チーム外にとっても色んな意味で大切なJAPANカップ、ポーランド戦だった。(まあこの時期色々あったしね。)

試合当日ウォーミングup前のベンチで監督のウルリクと応援席を見渡しながら「こんな風に日本で応援して貰えて、ハッピーだなぁ。いい試合にしよう」と無毛な二人が不毛ではない会話をしていた。

試合開始直後こそ、ウルリク曰く「ラグビーハンドボール」のポーランドの力技に苦戦し1-4とリードを許す展開だったものの、選手たちは慌てる事なく体制を立て直した。前半は苦しみながらも11-13の2点ビハインドでハーフタイムへ。

ハーフタイムでは後半に向けての修正ポイントをウルリクと共に再確認した。

後半の立ち上がりで追いつき、その後は一進一退の攻防が続いた。後半残り10分からおりひめジャパンは再加速。最後は一気にギアを上げてポーランドを押し切った。

日本 27(11-13 15-7)20 ポーランド

7点差をつけて見事に逆転勝利。苦しい時間帯もあったが、ブルーのスタンドからの応援が本当に力になった。

試合前に会場全員が起立して、ナショナルフラッグを見上げ、肩を組みナショナルソングを歌うその瞬間。おりひめJAPANの応援をする。そのチームの選手としてプレーする。そのチームのスタッフとして選手をサポートする。選手がプレーしやすいように、ファンが楽しめるように、運営者として全力を尽くす。

「自分がこの国の、ハンドボールの今と未来の何処かに携わっている。」

会場にいる全員とそう感じることのできる時間であり、空間だった。

ノンタイトルマッチとは言え、色んな事を試しながら、ポーランドに、そして日本で、このタイミングで勝利できた事は本当に意味のある事だと思う。

JAPANカップ2018を終えて、おりひめJAPANは帰京。翌朝早朝に彗星JAPAN(男子代表)と共に日韓定期戦2018へ向けて韓国へ移動。MVIの釜山国際親善大会から約1ヶ月、今度はおりひめJAPANと共に韓国へ戻ってきた。ポーランド戦から中一日で韓国戦へ。

海外遠征、国際試合にはイレギュラーが付き物、スケジュール&環境は現地に入らないと分からない&決められない。現地入りしても予定は目まぐるしく変わる。整理整頓された中、万全の準備が整った中で力を発揮することも大切だが、想定外のことが起きた時の対応力や思い通りにことが進まない時の修正力もこれまた大切。

思い通りにいかない時に何ができるか。今ある条件下で何ができるか。こういう経験をするために海外遠征や国際試合が組まれている。望むところだ。

ポーランド戦から若干メンバーが変更になり8月のアジア大会を想定したチームで韓国戦に挑んだおりひめJAPAN。立ち上がりから韓国の巧みな試合運びに苦戦を強いられる展開が続いた。

日本 20(9-14 11-13) 27 韓国

終わってみれば、ポーランド戦と全く逆のスコアでの敗戦だった。おりひめJAPANのコーチになって初めてアジアのチームとの対戦だった。これまでは欧州を中心に南米、アフリカのチームとの対戦が続いていた。

韓国との対戦を通して多くの課題が浮き彫りになった、それが何よりの収穫だった。

今回の日韓定期戦2018を終えて、おりひめJAPANの活動は一旦ブレイク。次回は7月中旬から活動再開の予定だ。

さあ今度は鈴鹿でMVIの監督としての活動が待っている。早速鈴鹿に戻ってウエイトTrを終え、先週末の練習試合の振り返りミーテイングを行う鈴鹿のみんなの顔を見てきた。

そして梶原コーチとのしつこいくらいの打ち合わせ。釜山国際親善大会以降のチームの様子や選手個々の様子、7月中旬までのテーマ、スケジュールなどを話し合ってきた。

わずか2週間ちょっとではあるが、少しでもMVIの選手たちの成長の手助けが出来るように全力を尽くそう。

6月27日から本格的にMVI監督係として活動再開。これまたエキサイティングな仕事が始まるのだ。



MVI &JPN

[ 三重バイオレットアイリス ]

今回は三重バイオレットアイリス(以下MVI)の監督と日本代表女子チーム(以下JPN)のコーチの話。

日本ハンドボール協会(以下JHA)とJPNのコーチ業務委託契約を締結した。契約期間は2018年度内の1年間。2017年のドイツWCに続き、2018年度もJPNのコーチをさせて頂く事になった。

2018年度、ざっと1年の3/5はMVIの監督として、2/5はJPNのコーチとしての活動になりそうだ。全てのJPN活動に帯同できる訳ではないが、1年間で130日〜140日ほど鈴鹿を離れることになる。

MVIとは2015年5月1日から2022年3月末日までの契約を結んでいる。2020年の東京五輪の翌年、2021年に三重国体があり、2021年度末までの契約だ。その契約の中には日本代表活動が発生した場合についても事前に盛り込んである。

JPN活動に帯同できる期間、できない期間は事前に協議を重ねた。

もしMVIの監督とJPNのコーチのオファーが別のタイミングであればどちらか一つに集中して仕事ができるかもしれない。もし自分の体が二つあれば、どちらもフルパワーで仕事をするだろうが、物理的にそうは行かない。(MVIの拠点は三重。JPNの拠点は東京、そして海外)

次年度以降の予想される状況に備えて準備を進めているが、少なくとも2018年度は多くの方の理解と協力があってMVIとJPNの2つの活動になりそうだ。

こんな背景もあって、今シーズンから梶原BMがコーチ(櫛田不在時は監督代行)として新たにMVIの現場スタッフに加わった。そして国体、日本選手権などのトーナメント戦は梶原が指揮を取る事になるだろう。JPNからMVIに戻った直後のこの2つのトーナメント戦、僕はチームスタッフの一員として梶原や選手のサポートに回る。

つまり国体や日本選手権などトーナメント戦は監督係:梶原&コーチ係:櫛田、JHL(リーグ戦)は監督係:櫛田&コーチ係:梶原、こんな感じでMVIは今シーズンを戦って行く計画だ。この体制はMVIとJPNの年間スケジュールを照らし合わせ、尚且つ昨シーズンの結果を踏まえ、更には来シーズン以降も見据えて何度も何度もチーム内で議論を重ねて、生まれたものだ。

決して形遊びをしているのではない。必要だから生まれた形だ。

ちなみに、5月12日(土)チーム内で紅白戦ならぬ紫桃戦を一般公開して行った。バイオレットアイリスが櫛田、ピンクアイリスが梶原でフルマッチ。実戦さながらの白熱した展開になって何と紫桃戦はお互い譲らずドロー。梶原率いるのピンクアイリスは相当手強かった。

MVIの監督(JHLチームスタッフの一員)としてJHAやJPNを観ている景色、JPNのコーチ(JPNスタッフの一員)としてJHLチームを観ている景色がある。この2つの仕事に同時に携わらせて貰える人間はそんなに多くはいない。だからこそこの二つの視点を持つことを大切にしたいし、その意味や責任を感じている。MVIの活動をJPNでも活かしたいし、JPNの活動をMVIや三重県に還元したい。

自分に何ができるのか?何のためにやっているのか?この仕事がハンドボールの未来に繋がっているのか?今まで以上にこんな事をよく考えるようになった。そしてハンドボール界の中から視点は勿論、ハンドボール界の外からの視点を持つことを忘れずにいたい。

「指導者である僕自身が誰よりも成長するために力を注ぎ、誰よりも学ぶ。誰からも学ぶ。」

難しさや、リスクはあるに決まっている。2018年度は契約内容に則ってこれでやると決めた。やると決めたからには目の前のことに集中して、そしてユーモアを持ってやりきるのみ。

この仕事に関わることが出来て、ほんまにハッピーやし楽しい。ほんまにやり甲斐がある。



2017年度の総括からの…

[ 三重バイオレットアイリス ]

プレーオフを終えて2週間のオフを挟み、4月8日から2018年度の三重バイオレットアイリスの活動が再開した。

2018年度の話の前に、2017年度を簡単に振り返っておこう。

2016年度にプレーオフ初出場を果たし、その後日本代表選手2名(右サイドの池原がデンマーク、ポストの角南はSONYへ)が新天地へと移籍。右サイドは島居と佐野、ポストは近藤、原、森本らの奮闘を期待してのシーズンインだった。

日本リーグ前半戦、日本代表の原や河嶋が怪我で戦線離脱する期間は、中田や細江など若い選手たちがここぞとばかりに躍動してくれた。

前半戦を終え、ブレイク期間の11月中旬から12月中旬までの約1ヶ月、監督である僕がチームを離れることになった。(世界選手権@ドイツに出場する日本代表チームのコーチ就任)

年明けからの後半戦への大切な準備期間にチームを離れることになったが、この期間は梶原BMがチームを引き受けてくれた。鈴鹿に残った選手たちもこのブレイク期間にテーマを持って取り組んでくれていた。

若い力を引き出しながら、要所要所で経験豊かな中心選手たちが力を発揮してくれた事もあり、リーグ終盤戦の大事な時期に6連勝と波にのり、何とか2年連続でプレーオフ進出することができた。プレーオフでは残念ながらSONYに勝利することが出来なかったが、日本代表選手の移籍や、主力選手の離脱を乗り越えて選手全員が大きく成長してくれた。

終ってみれば、社会人選手権3位、愛媛国体5位入賞、日本選手権ベスト4、日本リーグ4位、結果的に全ての公式戦で過去最高成績あるいは過去最高成績タイというシーズンだった。中でも日本リーグは24戦15勝8敗1分(勝点31)と初めて勝ち越しでレギュラーシーズンを終えることが出来た。

主力選手の海外移籍、結婚、高校生日本リーガー誕生などなど、数々の変化を受け入れながら逞しく成長してくれた選手たち。勝利することも嬉しいが、彼女たちの人間的な成長を感じる瞬間も本当に嬉しい。

バイオレットの監督になって3シーズンを終え、2015年度は12戦4勝7敗1分、2016年度は9勝9敗、そして2017年度が15勝8敗1分と少しずつ勝点を重ねることができるようになってきた。最初の3シーズンをステージ①と位置づけ、このステージ①では日本一を狙うための土台を作ることを大きなテーマにして強化してきた。

2018年度からの3シーズンはステージ②、日本一を狙って掴み取ることが目標だ。

そして新シーズン。高校生ハンドボーラーだった舟久保は一旦チームを離れて関西の大学へ進学した。現在は関西学生リーグに活躍の場を移している。その他、引退者は一人もおらず、現時点では17人の選手たちと再スタートを切ったところだ。

昨シーズンチーム2位の得点を叩き出す活躍をしてくれた島居が膝の手術で約半年リハビリ、そして昨シーズン1年間怪我で苦しんでいた水谷はいよいよ戦列復帰の見込みだ。

今シーズンエントリー予定の公式戦は国体、日本選手権、日本リーグの3大会。(社会人選手権は参加を見送った)

この17人の選手たち、そしてこの選手たちを全力でサポートするスタッフと、気持ち新たに日本一に挑戦だ。勝利する喜びも、負ける悔しさもクラブに関わる全員で共有しながら、成長していこう。

日本人女性と、日本のクラブチームの可能性にチャレンジし、三重バイオレットアイリスが日本のハンドボール会、スポーツ界を少しでも前に進めていこう。鈴鹿をハンドボールで元気にしていこう。

2018年度もSuper Violet Soul !!!



三重バイオレットアイリスの一員になって3年経過。

[ 三重バイオレットアイリス ]

三重バイオレットアイリスの一員になって今日でちょうど3年が経った。

2014/2015シーズン、僕はまだ北陸電力ブルーサンダーでコーチ兼任選手をしていた。当時の僕はJHL全チームで現役最年長選手だった。左膝の怪我との付き合いながら、1年でも長くJHLでプレーする事に面白みを感じていたのが当時の僕だった。

2015年の年始のある日、三重バイオレットアイリスの細野GMから連絡貰った。

「櫛田、三重バイオレットアイリスの監督やらんか?」

「監督の話をお受けするかどうかは別にして、ぜひ一度お会いしましょう。」

細野GMはすぐに車を飛ばして福井に来てくれた。

「2021年の三重国体を見据えてチームの根幹から立て直してほしい。女子は2019年に熊本で世界選手権、その後に2020年に東京五輪、その後に2021年の三重国体や、櫛田”また”一緒にやらんか?とにかくワシは勝ちたいんや」

また…

2000年、当時JHL6連覇の最強チーム、ホンダの一員に導いてくれたのが細野さんだった。同じ人から選手として、指導者として声をかけてもらう。こんな事は人生にそうあるものではない。

同じJHLの舞台で、現役選手か監督か?本当に悩んだ。2014/2015シーズン終了時点でもまだ答えは出せていなかった。

2020年自国開催の東京五輪。自分が元気なときに自国開催のオリンピックは恐らく一生で一回の機会。この機会に自分の関わる競技で、大好きなハンドボールで本気のチャレンジができるのはどちらか?

現役選手として東京五輪を目指すのか?指導者として東京五輪を目指すのか?

僕が出した答えは後者だった。一生で一回の機会に本気で挑戦しよう。三重バイオレットアイリスの監督として、自分が指導した選手がチームの成長と共に、個人としても成長し日本代表チームで活躍するそういう形で自分は東京五輪に挑戦しよう。

そう考えると、今このタイミングで指導者としてのキャリアを本格的にスタートさせないと間に合わない。

2015年5月1日に三重バイオレットアイリスの監督に就任した。

それからの3年は本当にあっという間だった。

三重バイオレットアイリスの監督をやり出すと、純粋にこのクラブを少しでも良くしたい。自身の現役選手への拘りとか、東京五輪に向けてとか、そんな気持ちよりも、少しでも選手の成長につながる事に時間を使いたい。ただそれだけだった。

ホームゲームの時に選手が活き活きと大好きなハンドボールをプレーし、その姿を一人でも多くに観て貰う。そして何かを感じとって貰う。そんな光景を細野さん達(長年クラブを支えてくださった皆さん)が感慨深くビールでも飲みながら「昔は大変やったなぁ」と悦にいる。

1日でも早くそんな三重バイオレットアイリスにしたい。ただただ、それだけだった。

今もこれからも、その想いは変わらない。



多様性

[ 三重バイオレットアイリス ]

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

大晦日と元旦の2日間だけ、年末年始の休み。1月2日からバイオレットは活動再開。もう今週末1月6日には鹿児島でSONY戦である。つまりJHLが再開する。

11月12日の大阪ラヴィッツ戦以降、約2カ月振りのJHLだ。現在13戦8勝4敗1分の勝点17。いよいよここから痺れる様な試合、毎日が続いていく。今から楽しみでしょうがない。

僕が日頃から大切にしている視点の一つ「多様性」について自分なりの考えを纏めておこうと思う。

バイオレットのメンバー構成は高校生、大学生、社会人と様々。現時点では17名のJHL登録の選手と2名の練習生の合計19名で活動している。シーズン途中では国体では元主将のOG(現在は教員)にも協力してもらった。

言うまでもなく、三重バイオレットアイリスは三重県を拠点に活動するクラブチームなので、こういった多様性を大切にしながら活動している。

高校生が大阪遠征ならぬ、大阪遠足から戻って練習に参加しにきたり、大学生が試験勉強の合間を縫って練習に参加しにきたりと、その辺りはその時その時で柔軟に対応している。それでもチームが目指しているのは日本一であり、世界に通用する選手を育てて行くことに変わりはない。

とは言え、バイオレットの中核をなす選手の多くは高校か大学(所謂ゴリゴリの体育会系を経て)を卒業して、三重バイオレットアイリスに入団してくれた。スカウトを経て入団してくれた選手もいれば、トライアウトを乗り越えて入団してくれた選手もいる。入団してしまえば、みんな同じでスカウトもトライアウトも関係なく、そこにあるのは競争と協力だ。

世間一般の感覚でいうと、このゴリゴリの体育会系の方が特別な存在なのだが、実はこのゴリゴリの体育会系の中に長い間身を置いていると、しばしば逆転現象が起る。自分達の当たり前が全てになってきて、他者からの視点とか社会的な視点とか国際的な視点を持つ事が難しくなってくる。

人間誰でもそうだが、自分のいる環境からの影響は良くも悪くも受ける。自然に「こうあるべき」ということが染み付いてくる。これまでと違う考え方や、変化に対応するのは基本的に、労力を伴うので、あまり良しとされない。「空気を読め」とか「今までもこうだった」からとか言われることが多い。

これは誰でもそうだと思う。僕だっていきなり裸族の村に送りこまれて、今から裸族と同じように過ごせと言われても最初は抵抗感を持つに違いない。

でも僕は「変化」を受け入れたり、自分と「違う考え方」に触れることを大切にしている。「空気を読む」ことも大切なことかもしれないが、それと同じくらいに「空気に流されない」ことも大切だと思う。

話があちこちに飛んでしまったが、話を「多様性」に戻そう。

例えば、大学3年生のこの時期になり、自分の人生と真剣に向き合っていれば今の日本だと「就職活動」が本格的になってくる。練習生として日本リーガーになる為にもチャレンジしたい、でも就職活動も大切にしたい。真剣になればなるほど、本気になればなるほど、悩むわけだ。「両立」「ハンドボール」「就職活動」そこに「正解」も「間違い」もない。世間一般でいう割と普通の感覚に近い練習生の大学生が、自分の人生と本気で向き合って悩んでいる事を、他のメンバーに相談する。そうすると「大学3年生のこの時期になると、普通は就職活動を考えるようになるだぁ」という当たり前の事実に他のメンバーも当事者意識(もしかするといつか自分もセカンドキャリアのこと)を持って気がつく事ができるのだ。ここで言う他のメンバーとはゴリゴリの体育会系を経てきた選手や高校生のことを言う。

年末のチームの忘年会(お酒の場&高校生は言うまでもノンアルコール)に高校生の参加についてもみんなで考えてみる。シーズン途中に合流して練習以外のそんな機会に「参加もしてみたいし。気も使うかな」と高校生の本人は考える。両親にも相談してみる。チームとしても、高校や教育委員会からの意見も仰ぐ。「なかなか無い機会だし、参加してチームにとけ込むことを優先してもいいじゃないか?」「自分達ではよかれと思って親睦の機会を持っても、お酒の場に高校生がいることを他の人が観たらどう思うか?」少しずつだけど選手達がこんな事にまで考えを巡らせられるようになってきた。

こんな事を考えたからと言って、シュートテクニックが向上する訳でも、スタミナがUPするわけでもない。それでも僕はこうした部分と日々向き合っていくことが、競技力向上に繋がっていくと信じている。

最初は「大学生を練習生に?」「高校生を日本リーガーに?」と言う反応が内外にあったことは確かだ。その他にもシーズン途中に伴侶を得て夫婦二人三脚で気持ち新たに日本リーグにチャレンジしてくれている選手もいるし、バイオレットを経てデンマークのプロリーグへ海外移籍した選手もいる。こうした「変化」を受け入れながら、本人の意志と周囲の理解もあって少しずつ歩みを進めてきた。「答え」や「正解」の無いことに対して、みんなで向き合い「多様性」を大切にしながら活動しているのが今の三重バイオレットアイリスというクラブチームなのだ。

年末年始の忙しい中に、選手の職場の皆さんや、県外のシューターズの皆さんが、そんな三重バイオレットアイリスというクラブチームの練習を観に来てくれたことが僕は凄く嬉しかった。

2018年も三重バイオレットアイリスのこと、皆さんよろしくお願いします。



  • 株式会社トライマックス
  • ザムスト
  • トランジスタ
  • melis
  • BLUETAG.JP
  • 日本橋西川
  • フローラハウス
  • ゼロフィット
  • ホーストン
  • Ba2ne
  • ウィグライプロ
  • 株式会社エイスオーシャン