火、水と普段練習している北電体育館がワックス掛けで使えないので、田原市でのユメ先生を終えてその足で母校の中部大で一汗かいてきました。
大学4年間は勿論、ケガをしてリハビリの毎日だった時、オフシーズンのトレーニングなど、何回ここで練習したのかわかりませんな。ある意味僕の原点です。
後輩達は秋季東海リーグの真最中で、ここからが勝負所みたい。本気になって頑張って欲しいね。
みんな頑張ってな!!!
火、水と普段練習している北電体育館がワックス掛けで使えないので、田原市でのユメ先生を終えてその足で母校の中部大で一汗かいてきました。
大学4年間は勿論、ケガをしてリハビリの毎日だった時、オフシーズンのトレーニングなど、何回ここで練習したのかわかりませんな。ある意味僕の原点です。
後輩達は秋季東海リーグの真最中で、ここからが勝負所みたい。本気になって頑張って欲しいね。
みんな頑張ってな!!!
少し前の話ですが、9月30日に岐阜県大垣市でユメ先生をさせて頂きました。
一之瀬小学校と牧田小学校の2校合同でのユメ先生でした。
今回もミスターフットサルの木暮さんがアシスタントをして下さいました。
グレさんとは2度目です。グレさん、ありがとうございました!!!
大垣の子供達も元気いっぱいでした。
ユメ先生は基本的に3人体制で小学校に向かいます。
ユメ先生、アシスタント、そしてディレクターの3人です。
今回で言えば、ユメ先生は僕。
運動の時間をリードしてくれるアシスタントはグレさん。
当日の最終打合せや、事前打合せなどなどユメ先生と子供達の橋渡し役といってもいいディレクターさん。
今回のユメ先生がディレクターデビュー戦だったルーキーの下田さん。
事前の連絡や当日の進行など、きめ細やかな対応で本当に良くしてくださいました。
「緊張します。」が口癖でした。
こうした方に支えてもらってユメ先生をさせてもらっています。
下田さんありがとうございました。
下田さんが去年の岐阜国体のゆるキャラの中に入っていた事は、内緒です。
東京国体から福井に戻りました。
初戦は開催地でもある東京都との一戦でした。
序盤は東京都の左腕シューターに苦しめられましたが、後半の立ち上がりに東京を突き放して準々決勝進出を決めました。
福井 31(16-13 15-10)23 東京
翌日、広島(湧永製薬)と福井県成年男子としては初のベスト4をかけて準々決勝に臨みました。
狙い通りに攻撃回数を落として、ローテンポな試合展開に持ち込みました。
GKの川添&有江のがんばりもあり、前半は10-9の1点リードでハーフタイムを迎えました。
後半立ち上がり、この時間帯が全てだったのかもしれません。
不運な連続退場も重なり、後半7分までに広島に6連続得点を許してしまい10-15と一気に5点ビハインド。
ここから追いかける展開になり、4点〜5点差を保ちながら時間だけが経過していきます。
攻撃では切越&池上を投入、早いパス回しからシュートチャンスを作り出し、いつもは停滞してしまう時間帯を全員で食らいついていきました。
最後はGK川添も加えて捨て身の7人攻撃も駆使して、得点を狙いました。
後半の最終局面、3:2:1DFから更にラインを上げて広島にプレスをかけました。それでも後半立ち上がりに逆転を許してからは、追いつく事ができませんでした。
結果は23−25の2点差での敗北。ここで僕らの東京国体は終わりました。今回もベスト4への壁は厚かった。
福井 23(10-9 13-16) 25 広島
目標のベスト4以上は届かず、残念で仕方ありませんが、今回の東京国体は本当に多くの方に応援して頂きました。
試合会場はもちろんですが、ユーストリームを観てくださったり、FBからメッセージが届いたり、メールが届いたり、本当に嬉しかったし力になりました。
普段ハンドボールを観る機会のない関東近辺の方に大会前から声をかけていたこともあってか、多くの方が会場に足を運んでくださいました。
「あんなに激しいスポーツだとは思わなかったよ。また観たいよ。」
「広島戦、本当に惜しかったね。僕らも悔しかったよ。」
「応援している小学生が、福井のマルコメっていったけど、あれは絶対にクッシーの事だなって思って笑うの堪えて聞いてたよ。」
最後の感想はさておき、こういう感想を頂けるのは本当に嬉しいです。
トライマックス(所属先)の仲間も応援に駆けつけてくれて、本当に嬉しかったです。(泉さん、鈴木さん、神山さん本当に有り難うございました。)
さて、明日から東京国体です。
これから福井を出発して東京へ向かいます。
明日は13時20分から、開催地の東京チームとの一戦です。
場所は墨田区体育館。応援よろしくお願いします。
写真はあくまでイメージ。
このまま東京まで行くわけではありまへん。
3週連続のさばスポ。アスリート派遣事業が10月2日にありました。
子供達も少し慣れてきた様子で、今回はちょっとだけ注意しました。
子供達は「あのクッシーが怒った。これは一大事や。」と驚いていた様子ですが(笑)…
「ふざけてやるのと、真剣にやって楽しいのは違うぞ」
子供達を集めて目を見て真剣に話しました。
一年間通してやるこのアスリート派遣事業、子供達も、僕も何でも勉強、何でも経験です。
今月は16日と23日にも子供達に会えます。
みんな待ってるよ!!!
少し前ですが、9月24日に大阪は堺市の浜寺東小学校でユメ先生を務めさせて頂きました。
2学期初のユメ先生&久しぶりのユメ先生&関西初のユメ先生やったので楽しみにしていました。
笑いの街、堺。
ちょっとトボケたリアクション。
虎視眈々と笑いを狙ってくる鋭い眼差し。
「おっちゃんどこから来たんや?」「ん福井?」
「おおーー、昔は生駒かいな、田舎やのう」という子供達の胸の内。
なんて事はなく、みんな真剣に僕の話を聞いてくれました。
「クッシー先生、僕は今まだ夢が無いんやけど、それはアカンこと?」
「自分で考えた事を字で書く事が難しいねん。」
と僕の話を聴いた後に勇気を出して質問してくれたちょっとやんちゃそうな男の子。
『今もさぁ。みんなに話したけど、俺もみんなくらいの頃って夢なんて何もなくて、いつもなんかつまらんなぁ。なんかダルいなぁ。って思っていた時あったで。』
『自分の将来の事とか、今の事を真剣に考えたけど、書く事が難しくて書けないのと、自分の事やのに真剣に考えるのを止めてしまって、書かないのでは、全然違うんちゃうか?それは誰よりも自分が一番わかるやろ?』
「うん。」
『夢とか目標とそんな大きい事じゃなくて、何か好きな事とか、興味のある事とか、気になる事はある?』
「友達と遊ぶとか?」
「そうそう、そんな身近なことでええねんで。」
たった2時間の授業の中で、けして子供達全員の事が分かるなんてことはありません。
僕は教育大学で教育学を学んだわけので、専門知識はありません。
それでもユメ先生をさせて貰っている時間、子供達は僕の事を「クッシー先生」と呼んでくれます。
だから、僕も「本気」です。「全力」です。「ガチ」です。
僕の経験や話や一言が子供達にとって何かのきっかけなればと思ってユメ先生をさせて貰っています。
あとはやっぱり、日本だといくら「プロ意識を持とう」と自分で思っていても、結局のところはプロじゃないじゃないですか。僕が日本でやってたチームに限っては、普通に仕事の対価としてのサラリーをもらう仕組みになっているわけで、日本一になっても、逆に1試合も出なかったとしても、給料は一緒なんですよね。
でも、ドイツではハンドボールの選手としてのサラリーがあって、プラス勝ち点を取ったらいくらというインセンティブがつく。純粋に、ハンドでどれだけ活躍できるかだけが評価の対象になる。笑ってしまうんですけど、僕がチーム最多の11得点をあげて、チームが勝利した翌日に、新しい洗濯機がスポンサーから届いたこともありました。
向こうに行ってみて、日本リーグでプロ意識を持つことと、実際にプロになることは、まったく違うんだなというのは感じました。
で、「パスが返ってくるから立たないと……」と思った瞬間に、左膝の靭帯を断裂してしまったんです。自分の左足、膝から下があり得ない方向に曲がってしまった。でも、興奮してるんで、ちょっとわけがわからない。あれ、なんか立たなあかんけど、完全に足おかしいなと思って。
よく交通事故に遭ったときに、時間がゆっくり流れるって言うじゃないですか。本当にああいう感じで、痛いとかは全然なくて、うわっパス返ってくるし、でも膝こんなんやし、うわっ、おれこれもう絶対あかんわ、引退やとか、生活できへんようになるとか、クビになるとかがずっとグルグルグルグル頭の中で回って、やばいやばいやばいってなって、審判も何のことかわからんからプレー続けてるんですよ。
審判に日本語で「タイム、タイム、タイム、足あかん」って言ったら、「ピッー」て試合が止まって、観客が「櫛田の足おかしなってる」って気づいて、チームのトレーナーがベンチからすっ飛んで来て。
担架で運ばれて、ハーフタイムのときにちょうど救急車が来た。ハーフタイムのときにみんな観客とかも下りてきてくれて、救急車のところで、何言ってるかわかんないですけど、がんばれよーだったか、ナイスファイトやったーだか言ってくれて、そんな感じでそのまま病院です。
病院連れて行かれても、ドイツ語の医療用語は分かんないですし、何か手術か入院かさせてくれるのかなと思ったら、自宅に帰されたんですよ、結局。ベッドが空いてないか何か分かんないですけど。
自宅に帰されて、夜中になって、さすがに足がパンパンに腫れてきて、むちゃくちゃ痛いんですよ。夜中に目覚めてトイレ行こうと思っても、もう血が全部ここ(左膝)に行ってるからか分かんないですけど、膝がパンパンに腫れて気持ち悪いことになってて。
でも、寝返り1つ打ってトイレに行くだけに1時間ぐらいかかって、汚い話ですけど、ションベン漏れそうやし、ボロボロボロボロ泣けてきて。「もうほんまにどうしよう」って。
普通、膝って前十字靱帯と、後十字靱帯と、内側と、外側と、半月板ってあって、どれか1つ傷めても大変なのに、僕はこれ全部をやってしまった。だからもう完全にグラグラで。
膝って三次元的な動きをするじゃないですか。だから、靱帯がこれだけ切れたら、もう軸が取れないんです。医者も「たぶん自分ではまっすぐ歩けないよ。ハンドなんてもうあり得へん、あり得へん」みたいなニュアンスでしたね。それを聞いた途端、やっぱりチームのスタッフは、ああこれもうおってもしゃあないから、どのタイミングで日本帰すかなぁとか、契約どうするかなぁっていうシビアな話をしていたみたいです。それは雰囲気でなんとなく分かりましたね。
久しぶりに石田学に会った。職業、サッカー監督。元サウルコス福井の監督。
その後、デッツォーラ島根の監督を務めた。
サッカーとハンドボール。
競技は違えど、同じスポーツ、同じゴール系球技ってこともあり、ほんまに色んな話をしてきた。
お互いのチームの応援にも足を運んだ。今はそんなに頻繁に連絡を取り合っているわけではないが、節目節目で近況報告をする仲だ。
久しぶりに会って、いろんな話をした。
プロの世界、プロサッカー監督の世界はシビアだ。
相変わらず、チャレンンジングな学、前を見ている学、クレイジーな学。
次ぎに会うまでまたお互いに頑張ろう。
今週水曜日は今月2度目のさばスポのアスリート派遣事業でした。
今回も小学3年生のちびっ子達と一緒にハンドボールを楽しんできました。
ラダー&コーンを使いながらのランパス、シュート&1対1、そして10分×2本のゲーム。
今回も楽しそうにやっていました。
チームメイトの廣瀬、池上、宮下、桜井たちも自分達のトレーニングの後に覗きにきてくれましたぜ。
ホームゲームではこの子達が応援に来てくれます。
「クッシーコーチ、94番のクッシーコーチ。」
「クッシーさん、今度は勝ってね。」
地域に愛されて、そして勝てるチームになっていかないとね。
高山から福井に戻った。さすがに凹んでいる。
北陸電力 20(11-9 9-16)25 琉球コラソン
昨日、今日の2連戦はホンマに今季の勝負所やと思って準備をし、臨んだ試合だった。
どちらも勝つ事が出来なかった。
今のこの環境の中で、このメンバーで…。
「何ができるか?」
「どうすれば勝負に持ち込めるか?」
「その為にどんな準備をすればいいのか?」
「自分は何ができるのか?」
まだまだ足りないという事。
合成、東日本、コラソン…。
対戦し、日本リーグのHPでスコアを追いかけ、色々と感じる。
自分達が自分のいるチームの事をあきらめたら、そこで終わる。
ファイティングポーズを解いたら、そこで終わる。
まだまだ厳しい闘いは続くと思う。けど、「本気」になればもっとやれる。
東京国体を挟んで、豊田合成戦。
福井から、高山まで応援に駆けつけてくれた皆さん、そして素晴らしい会場を用意してくれた高山の皆さん本当に有り難うございました。(ほんまに素晴らしい試合会場、雰囲気でした。)